京都から下関までの西国街道!宿場町や本陣などを調べてみよう!

西国街道というのは江戸時代における街道の1つで、京都から下関までの経路です。西国街道には宿場町や本陣があり、江戸幕府の道中奉行が支配していました。京都から下関までの西国街道についてご紹介しましょう。宿場町や本陣についても調査してみました。

京都から下関までの西国街道!宿場町や本陣などを調べてみよう!のイメージ

目次

  1. 1西国街道とは?
  2. 2西国街道は3つの区分ルートがある?
  3. 3西国街道の宿場町にはどんな施設があった?
  4. 4現在も西国街道には存在している施設はある!
  5. 5マップで調べながら西国街道を巡ってみよう!

西国街道とは?

西国街道というのは江戸時代の街道の1つで京都から下関までの経路です。江戸時代に西国街道は道中奉行が支配し整備されました。西国街道には宿場町や諸大名の宿舎である本陣などがありました。四国街道についてご紹介しましょう。

京都~下関までの旧山陽道

西国街道は京都から下関までの旧山陽道のことです。京都の東寺口から大山崎、高槻、淀川右岸を通り現在の下関市である赤間関に至る道として再整備されました。西国街道をマップで確認してみましょう。

西国街道は豊臣秀吉が朝鮮出兵した際に拡張整備をしたことから「唐道」とも呼ばれています。また、山崎街道とも呼ばれていて、大坂を経由しなくても西国に抜ける脇街道として西国大名の参勤交代に利用されていました。

江戸時代の重要な幹線道路

西国街道は江戸時代の重要な幹線道路であり、数多くの人々が往来しました。西国街道は情報や文化のの伝播を担う動脈であり、物資も流れていました。江戸時代の重要な幹線道路をマップで確認しましょう。

宿場町がいくつもある

西国街道には宿場町がいくつもあります。江戸時代には西国街道は西国大名の参勤交代の往復路にもなり宿場町はとても賑わっていました。下関市には宿場町が50もあります。

西国街道は3つの区分ルートがある?

西国街道には3つの区分ルートがあります。それぞれのルートについてご紹介しましょう。「東寺口から西宮」のルート、「西宮から下関」のルート、「徳川道」のルートについてマップで確認しながらご覧ください。

①東寺口から西宮

西国街道のうち、東寺口から西宮までのルートについてご紹介しましょう。京都の東寺口から西宮までのルートは「山崎街道」「山崎路」「山崎通」とも呼ばれ、大坂を経由しないで西国に抜ける脇街道として西国大名の参勤交代に利用されていました。

山崎宿・芥川宿・郡山宿・瀬川宿・昆陽宿・西宮宿の6宿駅が設けられていました。現在は旧街道と並行し、国道171号が京都から神戸間を結んでいます。京都と大坂を結ぶ京街道があり、東海道と連結しています。

②西宮から下関

西宮から下関までのルートも西国街道と呼ばれていました。山側と海側の南北二手に分岐していて、山側のルートが西国街道、海側のルートは西国浜街道と呼ばれていました。マップで確認してみましょう。

西宮から山口県下関市の赤間関までのルートで、全長約550㎞の長距離街道です。その間に46の宿場町と間の宿が5宿あったと言われています。西国街道の歴史は古く、歴史的にも重要な道で、大陸文化流入の道として知られていました。

③徳川道

兵庫開港に際し、外国人たちの居留地に沿って西国街道が通じています。横浜では生麦事件という外国人殺傷事件が起きたので、そのような衝突を避けるために、外国人居留地を迂回して山中を通るルートに付け替えたのが徳川道です。

神戸市東灘区の石屋川から明石市の大蔵谷の間を六甲山中を抜けて迂回する道が開削されました。この付替道は兵庫港が開港したのと同日に開通したのですが、開通3ヶ月後に廃止されてしまいます。

外国人居留地を小迂回する別の道が設けられ、参勤交代が廃止されたために公式に使われることはありませんでした。その後、付替道はほとんど使われていなかったのですが、近年になり再整備されて、この区間を徳川道と地元では呼ばれるようになりました。

徳川道のコースは廃絶後原野化されて風水害により崩壊しています。近代化に伴って農地を改良したり団地を造成したりと元々の土地の形状が消滅し、現在は辿ることができなくなってしまったところが多いようです。
 

西国街道の宿場町にはどんな施設があった?

西国街道の宿場町にはどのような施設があったのでしょうか?西国街道には数多くの宿場町があり、西国大名の参勤交代の往復路にもなっていたので宿場町はとても賑わっていました。

街道を行き交う人々や物資が増加すると宿場を中心に宿場町が形成されていきました。この宿場町の施設についてご紹介しましょう。

①本陣・脇本陣

宿場町には大名が宿泊する「本陣」がありました。本陣に泊まりきらなかった場合の予備の宿舎が「脇本陣」です。武士や一般庶民が宿泊する宿屋は「旅籠」と呼ばれ、その他「商店」や「御茶屋」などの町家がありました。

現在も宿場の面影が残っている場所があり、街道沿いを散策すると歴史に触れることができます。「御茶屋」は数多くの大名が参勤交代で通過する時に利用され、現在もその姿を見ることができます。

②問屋場

問屋場は宿場で最も重要な施設で、2つの仕事をしていました。1つ目の仕事は人馬の継立業務です。大名や幕府の公用旅行者が宿場を利用する際に必要な馬や人足を用意し、荷物を次の宿場まで運びました。

2つ目の仕事は幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務で継飛脚と呼ばれていました。問屋場には宿場の最高責任者である問屋、問屋の補佐役の年寄、事務を担当する帳付が詰めていて、その下には人馬指、馬指という役職を置いていました。

迎役という参勤交代の大名行列を宿場の出入口で出迎える役職もあったようです。問屋場は1つの宿場に1カ所だけでなく、複数の問屋場があった宿場もありました。

③旅籠

武士や一般庶民の宿屋は「旅籠」と呼ばれていました。旅人を宿泊させて食事を提供していた旅籠は現在の旅館の原点です。宿場町には大名が宿泊する宿屋は本陣、その予備宿舎は脇本陣と呼ばれていました。

江戸時代には宿場ごとに数多くの旅籠があり、武士や一般庶民で賑わっていたようです。幕末に参勤交代が廃止されたり動乱により明治時代になると旅籠は廃業に追い込まれました。現在も昔のままに旅館を営んでいるところは少ないようです。

現在も西国街道には存在している施設はある!

現在も西国街道には施設が存在しています。当時の面影が残る施設にはどのようなところがあるのでしょうか?現在も残る施設についてご紹介しましょう。是非マップで確認してみてください。

①郡山宿本陣(茨木市)

山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の5つの宿場の中で郡山宿は真ん中にある宿駅として重要な役割を果たしていました。大名や公家などが宿泊したり休憩する施設として利用されていました。

茨木市にある郡山宿本陣は現在公開を中止しています。ホームページ上で公開決定を確認することができるのでチェックしてからでかけましょう。

郡山宿本陣は宿場の面影が残る本陣で、浅野内匠頭も宿泊しました。参勤交代の頃の賑わいを感じることができます。

②真金一里場「旧板倉宿」(岡山市)

岡山市の真金一里場「旧板倉宿」は旧山陽道沿いにありますのでマップで確認してみましょう。「旧板倉宿」は道路を挟んで両側に塚があり、崩壊を防ぐために北塚には黒松が植えられ、南塚には榎が植えられていました。

道路の拡張などで多くの里塚は消失しているのですが、真金一里場は現在も完全な形で残されているので貴重です。

③矢掛本陣・脇本陣(矢掛町)

矢掛町にある矢掛本陣・脇本陣は国の重要文化財の指定を受けています。本陣・脇本陣が当時の姿を残していて国の重要文化財の指定を受けているのは矢掛町だけなので是非足を運んでみましょう。

高草家は最後の脇本陣を務めました。本陣から東に400mに位置しているのでマップでご確認ください。高草家は「大髙草」と呼ばれた旧家で、庭瀬藩の掛屋や小田郡大庄屋を務めました。金融業で財をなした旧家です。

約600坪の敷地を誇り、主屋をはじめ9棟は国の重要文化財に指定されていて、白壁と張瓦のコントラストがとても美しいことで知られています。貴重な建造物で、備中南部の建築様式を今に伝えています。

④神辺本陣(福山市)

福山市にある神辺本陣は江戸時代に参勤交代の大名が宿泊した施設です。神辺町は旧山陽道の宿場町として栄え、西本陣と東本陣がありました。西本陣は三日市の尾道屋菅波家で東本陣は七日市の本荘屋菅波家です。

神辺本陣は西本陣で、黒塗りの土塀に囲まれていて重厚なたたずまいです。筑前黒田家専用の本陣で、一般には黒田家以外の本陣を東本陣が勤めました。1969年には広島県の重要文化財に指定されています。

神辺本陣の内部には色々な部屋があり、札の間には休泊した大名の関札が数多く掛けられています。神辺本陣の建物は当時のままなので歴史を感じることができるスポット。東本陣は明治時代に解体され、面影はほとんど残っておりません。

マップで調べながら西国街道を巡ってみよう!

西国街道についてご紹介しました。西国街道は江戸時代の街道の1つで京都から下関までの経路です。マップで調べながら西国街道を巡ってみてはいかがでしょうか?

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この記事のライター
maki
スキューバダイビングのインストラクターであり、海外旅行好きの海好き女子です

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