宇奈月温泉の「事件」を特集!富山の宇奈月で起きた事件とは?
長い歴史があり、風情豊かな温泉地として知られている宇奈月温泉は、かつて重要な「事件」の舞台になりました。宇奈月温泉で起きた事件というのは、どのような事件だったのでしょうか?宇奈月温泉事件の裁判と判決、その後についてご紹介していきます。

宇奈月温泉事件について調べてみよう!
宇奈月温泉事件という出来事をご存知でしょうか。宇奈月は、黒部ダムでも有名な黒部市にある温泉地で、その名の由来は「宇治や奈良と並ぶ名月の地にしたい」という思いから名付けられました。
ですが、そんな純粋な思いとは裏腹に、温泉地ならではの事柄が原因で判例百選にも選ばれ、専門家に聖地と言われるほどの事件が発生したことでも知られています。今回は、そんな宇奈月温泉事件の詳細について紹介します。
宇奈月温泉事件とは?
宇奈月温泉事件のことを宇奈月では「木管事件」と呼ぶ。また、この事件関係で来る人は1000人に1人くらいとのこと。(観光案内所のお兄さん情報) pic.twitter.com/S1kPQAUYEE
— にんにん (@shijin_ni_naren) August 9, 2016
宇奈月温泉事件とは、1930年に富山県の北東にある黒部市の宇奈月温泉で起こった事件です。この事件は法律を勉強している専門家たちには有名な事件で、その理由は、裁判沙汰となった当事件が「権利の濫用」という規定を確立させたからです。
この規定は専門家が最終手段として使うほど効力が乏しく、初めて効果を明確なものにさせたのがこの宇奈月温泉事件だったため、重要な判例として挙げられています。
判例百選の1番目に載っている
宇奈月温泉事件の重要さは、判例百選の1番最初に記載されていることで証明されています。判例百選とは、法学部などの法律や憲法を学ぶ人達が使う本で、その名前通り100個、もしくはそれ以上の裁判例が掲載されています。
宇奈月温泉と言えば宇奈月温泉事件(大判昭10年10月5日 民集14巻1965頁)ですね! pic.twitter.com/JlGC67Rn89
— てふてふ (@tef_tef_tef_) July 24, 2017
そんな判例百選の1番目ということで印象に残っている人達も多く、聖地として宇奈月温泉に行く人も多いです。宇奈月温泉から黒部川沿いに南へ行くと、「宇奈月温泉木管事件碑」という石碑が立てられており、その事件がどれほど大きな影響をもたらしたのかを表しています。
また、Googleマップなどの評価は高く、口コミは多くが法律に関する勉強をしてきた人達によって寄せられています。
宇奈月温泉事件について
宇奈月温泉事件(S10.10.5大審院判決)の例の土地,大審院判決から6年後のS16に被告の黒部鐵道が無事?に買い取っていたことを知る pic.twitter.com/gZ5Ff34RHk
— _hznf_ (@_hznf_) December 6, 2021
では、より詳細な部分に触れていきましょう。判例百選のトップを飾るほどの事件がどんなことだったのかを説明します。
①場所
今日と明日の14:00~16:00
— 黒部・宇奈月温泉観光局@紅葉始まったよ~ (@Kurobe_Unazuki) August 9, 2022
とちの湯や宇奈月温泉事件碑への道が通行止めとなります pic.twitter.com/Avx7UmGskU
この事件は富山県黒部市の宇奈月温泉で起こりました。宇奈月温泉は総称ではなく地名であり、黒部市宇奈月温泉までが住所となります。宇奈月温泉は元々無人の地域で、桃の木だけが生えていることから「桃原」と呼ばれる荒地でした。
その後、大正時代に入り黒部川の開発が進むにつれ、さらに奥地にある、黒薙川沿いの黒薙温泉から湯を引き、現在の宇奈月温泉を開こうという流れになり、1923年(大正12年)に開湯されました。ちなみに、唯一生えていたとされる桃の木は、明治の末辺りに消えたそうで、その理由は分かっていません。
②事件名
宇奈月温泉事件がトレンドに入ってて法クラとして感動を禁じえない🥺宇奈月温泉事件は民法で一番最初に習う判例学習の原点🥺🥺🥺 pic.twitter.com/W0cAzqEEN9
— Kei@司法試験&ロー対策勉強アカ (@keitoai0220) December 15, 2021
事件名は地名を用いた「宇奈月温泉事件」が正式名称です。前述したとおり、「宇治や奈良と並ぶ名月の地にしたい」という願いを込められた地名が、まさか事件名になるとは思いもしなかったでしょう。
法律の専門家の中では、おそらく温泉地としてよりも重要な判決が下された場所としてのイメージが強いはずです。
③事件内容
東京から友人2人が遊びに来てくれて、一人が弁護士なんですが聖地巡礼したいというので宇奈月に行ってきました。
— ふみえ 陶芸作家文絵 (@NYuzen_memo) December 23, 2019
法学部生が学ぶ『民法判例百選』という本の一番最初に出てくる事件が【宇奈月温泉事件】なのだそうです
「ここがあの宇奈月温泉…!!」と大変喜んでいました。ニッチな聖地巡礼だ…笑 pic.twitter.com/c6aKFt5Sfm
では内容について触れていきましょう。詳細に触れる前に必要な知識として、温泉地を作るに当たって源泉を温泉施設に運ぶために「引湯木管」を地面の下に埋めて温泉地まで引く必要があります。
しかし、通すには既に他者が所有している土地を通ることもあり、「その土地の所有者の許可をもらう」、あるいは「通す部分の土地を買って自身の所有にする」必要があります。守らない場合は法に触れてしまい、宇奈月温泉事件は、その部分をずる賢く利用した事件でした。
大正6年に工事開始
工事は1917年(大正6年)に開始され、開湯した1923年(大正12年)までの間に30万をかけて温泉地を開拓しました。
当時の30万は、現在の価値で言うと数億円にもなる大金です。工事に6年もの月日を費やしていますが、時代や立地を考えると、その期間で終わったことや開湯できたという事実が運営会社の苦労を伺い見れます。
黒薙川上流から宇奈月温泉まで引湯した
宇奈月温泉は現場よりも奥地には黒薙川があり、黒薙川を登っていくと黒薙温泉があります。そこから黒薙川と黒部川に沿って引湯木管を埋め、宇奈月温泉へと流しているという形になります。
引湯木管を地下に通すだけでも大変ですが、黒部川と黒薙川の2つの川に沿って宇奈月温泉まで通すとなると、引湯木管の長さは全長7.5kmまで及びます。
その長さの引湯木管を引くとなると、様々な土地に跨るようになってきます。その中にはもちろん既に第三者が所有している土地もあり、運営会社は各所有者に「許可を取る」、もしくは「買い取って運営会社が所有者になる」という形を取らなければ、他人の土地を許可なく利用したとして法に触れてしまいます。
とある人物はその点に目をつけ、悪知恵を働かせます。約3畳程度だけ引湯木管が通っている傾斜地の土地を買い、「不法占拠」されたとして宇奈月温泉の経営をしている会社に金銭を要求します。
宇奈月温泉木菅事件碑
— のこのこ屋 (@PCR_Ho) December 27, 2020
宇奈月温泉事件は法学類では有名(らしい)ということで、権利濫用の聖地として巡礼されているらしい。 pic.twitter.com/OWP82EUHOO
ですが、その金額は当時の相場より23倍の2万円ほどで、今の価値で言うと数千万円という大金でした。会社は数億を投じた引湯木管の工事をしていた上に、移設するにしてもお金だけでなく時間や労力がさらにかかってしまうことから、その要求に応じませんでした。
要求を拒否された土地の所有者は、「所有権に基づく妨害排除請求」を裁判所に提起します。その結果、行われた裁判が歴史的にも重要な判例となりました。内容については後述で詳しく説明します。
引湯木管と土地はそれぞれ譲渡された
宇奈月温泉事件を予習できなかった…(>_<) pic.twitter.com/CeBpbOeKfK
— 平 裕介 (@YusukeTaira) September 21, 2019
裁判まで発展した当事件ですが、最終的には引湯木管は運営会社へ、土地は所有者へ、それぞれあるべき場所へと返されました。細かいことは次項で触れますが、最終的には悪巧みをした土地の所有者の方が損をしたようです。
宇奈月温泉事件の裁判と判決
宇奈月温泉執筆合宿終了。チェックアウト後もお昼まで起案&レビュータイムでした(^^)宇奈月温泉事件の「現場」を見学し、寿司で〆めました
— 平 裕介 (@YusukeTaira) September 22, 2019
今回すばらしい計画を立ててくれた伊藤建先生、編著者となる大島義則先生、ともに合宿を乗り切った執筆者の先生方に大感謝ですm(_ _)m pic.twitter.com/SmEtY4n39H
裁判にもなった宇奈月温泉事件ですが、その内容や結果が気になりますよね。言いがかりにも近い始まりだった事件が、結果的に判例百選に載るほどの重要な裁判となったその詳細を説明します。
①第1審
宇奈月温泉事件聖地巡礼! pic.twitter.com/6sljJbZXv9
— Y.MATSU (@YMATSU72782247) June 15, 2022
第1審は魚津区裁判所で執り行われました。そもそも問題となった土地は、ほとんどが傾斜部分で利用価値が無く、引湯木管は敷地内のわずか3畳程度の部分にしか通っていなかったことを踏まえ、結果的に棄却という形になりました。
黒薙川から引かれた7.5kmという規模の木管を動かすには、取るに足らないものだったようです。
②第2審
第2審では富山地方裁判所で行い、土地の所有者の悪質な点を指摘されました。その土地は既に引湯木管が通っていたことや、相場よりも遥かに高い金額で交渉してきたことなど、それはあまりにも悪質で不当なものとして第2審も棄却されました。
③大審院
宇奈月温泉事件控訴審判決書正本(複製)
— 슬기로운 변호사생활 (@palujero) February 27, 2022
字が綺麗。 pic.twitter.com/S8z51f1qCr
第1・2審の結果に納得の行かなかった所有者は、不服申し立てとして上告します。ですが、結局上記2点を踏まえ、宇奈月温泉にとって引湯木管が欠けてはいけない重要なものとされ、大審院では「権利の濫用」という言葉が用いられる形で所有者が惨敗しました。
その後、権利の濫用が初めて明確に用いられたとして、宇奈月温泉事件は重要な判例となりました。所有者が請求した金額や、黒薙川や黒部川を通るような規模の引湯木管でなければ、判決は少し変わっていたかもしれません。
宇奈月温泉事件のその後とは
権利の乱用という文言が判決文で初めて使われた宇奈月温泉。事件の碑まであるんかい。 pic.twitter.com/Uq4GugmXNc
— たにみちの@BA-KU (@taninon) December 15, 2021
重要な事件と言われる宇奈月温泉事件ですが、判決のその後はどうなったのでしょうか。この項目では、法と事件現場の行方の2点の判決後について説明します。
①昭和10年「権利の濫用の禁止」
ビューティーのトレンドに「宇奈月温泉事件」「権利の濫用」ってwww pic.twitter.com/9HND2nvWHi
— 📡⠧ひ⠑ら⠳し⠴ん@弱視行政書士(予備試験) (@umyamyamya2001) December 15, 2021
大審院で判決が下されたのは昭和10年の10月5日でした。それまで学説でのみ存在した「権利の濫用」に関する法規が確立し、その後も「権利の濫用の禁止」を用いた判決が続きました。
②昭和22年「権利ノ濫用ハ之ヲユルサス」と成文法化
おなじみ、宇奈月温泉事件の記念碑。 pic.twitter.com/sA9OQMWmZs
— きまぐれおれんじめがね (@daidai_megane) November 21, 2020
さらにその後の昭和22年には民法が改正され、第1条3項に「権利ノ濫用ハ之ヲユルサス」が成分法化しました。国民を守るための法として、一方的に私権が濫用され、それがまかり通る状況にしてはいけないと制定されました。
③碑を建立
宇奈月温泉事件の碑 pic.twitter.com/7BwbxmB3VH
— anonymity (@babel0101) September 22, 2019
その後の現在では現場に石碑が建てられています。石碑がある場所は見晴らしの良い場所ですが、事件当時の現場自体は宇奈月ダムが作られたことにより水の底へと沈んでいます。
そのため、石碑として残し、高岡法科大学学長であった人物の解説が記載されています。法を学んだことの無い人でも、その重要さが感じられるでしょう。今も昔も民法の聖地として、多くの法律の学徒達が足を運んでその石碑を見に来ています。
宇奈月温泉事件を知ろう!
宇奈月温泉事件記念碑 pic.twitter.com/T0ZgKRjOY7
— AkifumiMochizuki (@AkifumiMCZK) November 4, 2017
安らぎや癒しの場所である温泉地ですが、規模が大きければ大きいほど、その裏では多くの苦労や問題を乗り越えてきた可能性が高いです。宇奈月温泉のように、実は判例百選に載るほどの大きな出来事があった可能性もあります。せっかく訪れるなら、その地の歴史を知ってから足を運んでみるのもおすすめです。
おすすめの関連記事


