「壇ノ浦古戦場跡」は源平合戦ゆかりの地!歴史や銅像など徹底解説!

治承・寿永の乱(別名源平合戦)、日本に武家社会をもたらした戦いと言っても良いでしょう。今回はその源平合戦の最終戦地「壇ノ浦古戦場」についてお伝えしていきます。「壇ノ浦古戦場」跡地から読み取れる当時の歴史についても少し触れてみたいと思います。ぜひ、ご覧ください。

「壇ノ浦古戦場跡」は源平合戦ゆかりの地!歴史や銅像など徹底解説!のイメージ

目次

  1. 1「壇ノ浦古戦場」で源平の合戦場跡のロマンを体感!
  2. 2「壇ノ浦の戦い」とは?
  3. 3「壇ノ浦古戦場跡」の見所について
  4. 4「壇ノ浦古戦場」のアクセス&駐車場情報
  5. 5「壇ノ浦古戦場」で悠久の歴史に触れてみよう!

「壇ノ浦古戦場」で源平の合戦場跡のロマンを体感!

平安時代から鎌倉時代にかけて、現在の山口県下関市の海上、壇ノ浦で壮絶な戦いが繰り広げられました。その戦いの歴史に関してはテレビドラマなどで取り上げられたりするので、比較的ご存知の方は多いのではないでしょうか。有名な源平合戦、壇ノ浦の戦いです。

鎌倉武士を中心にした源性の源氏、そして、当時の朝廷、貴族で時の権力を司っていた平清盛を代表とする平性の平家との戦い、その最終戦地の舞台となった跡地「壇ノ浦古戦場」を辿りながら、その源平の歴史ロマンを振り返ってみたいと思います。

源平合戦最後の合戦となり歴史を残した戦場

女性のようにしなやかな動きが美しく、さらに容姿端麗で頭脳明晰、別名牛若丸としてドラマや映画などでヒーロ-として取り上げらる歴史上の人物「源義経」。その源義経が大活躍した源平合戦の様子を、この場所で感じ取ることができます。

この源平合戦最後の戦いの跡地として知られている「壇ノ浦古戦場」には、その源氏を代表とする源義経と平家を代表とする平清盛の孫に当たる平知盛の銅像があり、当時の迫力ある合戦の様子を感じることが出来ます。

「壇ノ浦の戦い」とは?

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」で始まる「平家物語」、その物語の中で壮大に語られている源平合戦、その最後の戦いである「壇ノ浦の戦い」。最終的には平家側の8歳にも満たない幼い安徳天皇が入水して終戦するという悲しい歴史となっています。

「壇ノ浦古戦場」跡地の源義経と平知盛の銅像が、この海上戦のすさまじさを物語っているように思えます。さっそく、「壇ノ浦の戦い」について簡単に解説していきます。

平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦い

この治承・寿永の乱(別名源平合戦)が始まった背景ですが、要約するとよくある親族間の権力闘争です。それと、当時の後白河法皇のもと政権を握っていた平清盛に反旗を翻したといった形になります。平清盛の娘婿の高倉天皇が即位し、さらには平清盛の孫に当たる安徳天皇が即位した後に勃発した反乱になっています。この後さらに詳細を解説します。

源平合戦は以仁王の反乱から始まった

後白河法皇の第三皇子に当たる以仁王が、甥っ子に皇位が継承されたことにより、自分の皇位継承が絶望的になったとして、当時平清盛に不平不満を募らせていた武将源頼政に反乱の話を持ち掛けて始まったとされています。裏切りにつぐ裏切り、このことを切っ掛けに、当時の日本は戦国の世に入っていくのですね。

壇ノ浦の戦いが起こった背景

以仁王と源氏の挙兵から戦いが始まり、源平合戦は5年近くにも及びます。様々な戦いを経て源氏勢力は勢いを増し、平家側はどんどんと追い詰められていきました。平家は海上戦が得意と壇ノ浦の戦いで勝利に希望を持ちます。しかし、前方、後方と勢いを増した源氏に追い詰められ、そして最後は包囲されてしまいました。

壇ノ浦の戦いの経過と結果

「壇ノ浦の戦い」の跡地に源義経・平知盛両雄の銅像があるように、ここでは源義経と平知盛が大活躍します。義経のその機転の利く頭脳明晰さが際立ち、しだいに平家は追い詰められ、平家の武将たちは8歳の幼い安徳天皇とともに次から次へと壇ノ浦に入水、その命を絶ちます。何とも後味の悪い戦です。

その後は源氏が勝利し、後に源頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府を作り、これを機に江戸時代まで延々と続く武士が政権を握る戦国時代に入ります。

「壇ノ浦古戦場跡」の見所について

「壇ノ浦古戦場」の跡地に出来た「みもすそ川公園」や「源義経・平知盛両雄の銅像」など、ここからは「壇ノ浦古戦場跡」の見所についてお伝えしていきます。

①みもすそ川公園

迫力のある「源義経・平知盛両雄の銅像」が出迎えてくれる「みもすそ川公園」について、最初にお伝えしていきます。

ここの公園からは関門海峡も眺めることができ、この壇ノ浦で入水した幼い安徳天皇とその母親の二位尼による辞世が刻まれた安徳帝御入水之処碑や壇ノ浦古戦場址碑を見ることができます。この親子、どれほどの悲しみを抱えながら命を絶ったのでしょうか。とても悲しい歴史の結末です。

源義経・平知盛両雄の銅像

容姿端麗で頭脳明晰、映画やドラマなどで取り上げられる源氏を代表するスーパ-ヒ-ロ-源義経、かたや平家を代表とする平清盛、その平清盛の孫に当たる猛者平知盛、この公園にはその2人が戦っている様子がうかがえる「源義経・平知盛両雄の銅像」があります。このことからも、この場所が源平合戦の最終戦地「壇ノ浦古戦場」であることが伺えます。

毎日開催されている「紙芝居」

さて、「みもすそ川公園」では、この壇ノ浦の戦いのお話が紙芝居で見ることができます。毎日決まった時間に開催されていますので、ぜひ、その時間帯を目指して訪れてみてください。

みもすそ川公園の基本情報

スポット名 みもすそ川公園
住所 山口県下関市みもすそ川町1-1
営業時間 日没~22時
定休日 なし
料金 無料
アクセス JR下関駅からバスで15分
駐車場 なし
URL しものせき旅のコンシェルジェ

②外国船に砲撃した砲台跡

この「壇ノ浦古戦場」跡地のみもすそ川公園には、源平合戦の歴史だけではなく、幕末の戦い、アメリカ艦隊やフランス艦隊など外国の艦隊に備え、その海上封鎖、防衛に備えて、長州藩が作ったとされている大砲のレプリカもあります。日本は島国、海の向こうから異国の人々が来るというのは、当時にしてはとても恐ろしいことだったのかもしれませんね。

砲台跡の基本情報

スポット名 壇ノ浦古戦場 砲台跡
住所 山口県下関市みもすそ川町21-1
アクセス JR下関駅からバスで12分
駐車場 なし
URL 山口県観光連盟

③赤間神宮

つづいての「壇ノ浦古戦場跡」の見所は、8歳という若さで壇ノ浦に命を落とした安徳天皇、その安徳天皇と、同じくして壇ノ浦の海に命を落とした平家一門の武将たちの墓が安置されている「赤間神宮」です。

安徳天皇はこの赤間神社で水天皇大神となって、わたしたち子孫を見守ってくれています。幼子の安徳天皇が安らかでいられるように、神社の造りが竜宮城に見立ててあります。きっと幼い安徳天皇もこの竜宮城で楽しい時を過ごしていることでしょう。

赤間神宮の基本情報

スポット名 赤間神宮
住所 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
参拝時間 6:00~18:00
宝物館/9:00~17:00
定休日 なし
料金 参拝無料
宝物館100円
アクセス JR下関駅からバスで10分
駐車場 あり、無料(50台)
URL 公式サイト

④安徳天皇阿弥陀寺陵

つづいての見どころは、赤間神社境内にある「安徳天皇阿弥陀寺陵」です。安徳天皇の御体が納められています。安徳天皇阿弥陀寺陵は、歴史を感じられるおすすめのスポットです。

安徳天皇阿弥陀寺陵の基本情報

スポット名 安徳天皇阿弥陀寺陵
住所 山口県下関市阿弥陀寺町4
アクセス JR下関駅からバスで10分
駐車場 あり、無料(20台)
URL 宮内庁HP

⑤平家の一杯水

次にご紹介する「壇ノ浦古戦場」の見所はお水。壇ノ浦の戦いで命からがら生き延びた平家の武士たちが、岸辺に上がって目の前に出来ていた水たまりの水を飲むと、それが海水ではなく真水であったと言われています。

そして、その後「平家の一杯水」として奉納されるようになりました。この一杯の水が、どれほど彼らの心と身体に染み込んだことでしょう。想像に難くありません。

平家の一杯水の基本情報

スポット名 平家の一杯水
住所 山口県下関市前田2-1
アクセス JR下関駅からバスで15分
駐車場 なし
URL しものせき旅のコンシェルジェ

「壇ノ浦古戦場」のアクセス&駐車場情報

さて、「壇ノ浦古戦場」へはどのような交通手段が良いのか、その交通ルートをお伝えしていきます。訪れる際に参考にしてみてください。

アクセス情報

壇ノ浦古戦場の最寄り駅はJR下関駅になります。そこから車で15分ほどになります。車で15分ほどなら歩いて行けなくもない距離なので、交通機関を使っても、さほど不便でもないですね。その日の交通状況によりけりで、車を使うか公共機関を使うか決めても良いでしょう。

駐車場は?

「壇ノ浦古戦場」に駐車場はありません。近辺に有料のコインパーキングがありますので、車で訪れる際は近辺のコインパーキングに停めると良いでしょう。

「壇ノ浦古戦場」の基本情報

スポット名 壇ノ浦古戦場
住所 山口県下関市みもすそ川町21-1
アクセス JR下関駅からバスで12分
駐車場 なし
URL 山口県観光連盟

「壇ノ浦古戦場」で悠久の歴史に触れてみよう!

親族間の争いにより多くの命が亡くなった源平合戦、壇ノ浦の戦い。8歳の幼い天皇が入水して命を断つなんて、考えただけでも胸が震えます。どんな気持ちで海中に飛び込んだのでしょうか。きっと恐ろしかったことでしょう。

そんな悲しい歴史のつまった「壇ノ浦古戦場」ですが、もう二度とそのような悲しい戦争などを起こしてはいけないといった教訓をもって訪れるにはとても価値のある場所です。悲しい歴史ですが、その悠久の歴史を体感しにぜひ訪れてみてください。

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この記事のライター
田中さちこ
ようこそ(^^)/わたしが文字でつむいだトラベルームへ。 お読みいただいている方が、「わぁ、懐かしい~、また...

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