「回天記念館」には人間魚雷や遺書が展示!フェリーでのアクセスも解説!
山口県にある回天記念館は、戦争で行われた人間魚雷に関係する資料が展示されています。実際の遺書や肉声などが並び、戦争について学ぶことができます。回天記念館の展示物のポイントや回天について紹介していきます。また、フェリーでのアクセス方法も参考にしてください。
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大津島にある「回天記念館」
回天記念館に到着、両サイドには亡くなられた回天搭乗員の方の名前が刻まれています…#回天記念館 pic.twitter.com/hxqXd8HzJ0
— 坂東 甲一 (@bswinban51) February 2, 2019
回天を知っていますか?太平洋戦争において使用された特攻兵器で、映画にもなっているのでなんとなくわかる人もいるのではないでしょうか。現代では考えられないような兵器ですが、その回天について知れるのが回天記念館です。
実際に書かれた遺書や肉声などが残されていて、一般公開をされ見学ができるようになっています。当記事で紹介していくのは、回天記念館についてです。展示物や回天についても解説していくので、アクセスする前にチェックしてみてください。
平和を学ぶ尊い場
戦争を知らない若者。そんな言葉を耳にしたことがありますか?現代に生きる上では、戦争は違う国の出来事で日本にいると対岸の火事のように感じる人もいるでしょう。ですが、回天記念館にアクセスしてみると、いかに今が平和で幸せなのかを感じられます。
太平洋戦争については教科書などでも覚えがあっても、そこで使われていた兵器は別になってきます。過去の戦争について触れられる貴重な展示物ばかりなので、見学をしてみるのがおすすめ。これから紹介する内容を参考にして、見学をする際には役立ててください。
「回天記念館」とはどんな場所?
山口県周南市大津島には、かつての回天搭乗訓練員の宿舎がありました。その宿舎の跡地に建てられたのが回天記念館で、戦争についての資料などが展示されています。見学者にもわかりやすい展示が施されているのですが、実際にどんな場所なのかを紹介していきます。
人間魚雷「回天」にまつわる記念館
回天記念館は、名前の通りに回天についての資料を展示しています。戦争で使われていた回天のレプリカや、乗組員の肉声音声、死を覚悟ししたためた遺書など当時の貴重な資料を見学できます。人間魚雷と言われる回天は、当初は魚雷にする予定でした。
ですが、脱出口が設置できずに人間魚雷へとなってしまったのです。戦争の戦況を変えるために作られた人間魚雷は、現代でも語り継がれています。詳しい資料などは、見学をしてみる価値があると言えるでしょう。
「回天」とは?
大津島の回天記念館を見てきたけど、特攻兵器関連の展示はめっちゃ重いわ… pic.twitter.com/gl3xgrdcmM
— らいあー (@LiAR___) November 25, 2018
人間魚雷の回天。人間魚雷という言葉だけでも、どのような兵器だったのか想像がつく人もいるでしょう。戦況を変えるために作られた特攻兵器で、実際に多くの人が利用しました。約80基近く作られて、作戦が中止になる場合もあったそうです。
人間魚雷の名前通りに、人が魚雷となる兵器。生還することが叶わない兵器です。ここで、人間魚雷回天について、少しだけ掘り下げていきます
日本の戦局を逆転するため作られた
人間魚雷の回天は、太平洋戦争で使用された兵器です。構想を考えられたのはガダルカナル島攻防戦が終結に近づいた1943年でした。ですが、当初は人間魚雷は却下されています。それから1年後の1944年に、日本海軍はトラック島空襲で大打撃を起こしてしまいます。
その時に戦況を一変することを目的として、却下された人間魚雷は作られることになりました。当初制作する予定だったのは100機基でしたが、当初の期限で実際に作られたのは20基近くです。
爆薬を積んだ1人乗り潜水艦
回天は人間が魚雷の役割をする特攻兵器です。乗り込むのは1人だけでした。一緒に乗せられるのは爆薬です。相手の軍艦などに突っ込んでいき爆発させるために作られた、特攻兵器で人間魚雷の名前そのものと言えるでしょう。
乗組員はある程度の訓練を行うのですが、実際には徹底した訓練が行える時間がありません。また、操縦が難しいこともあり乗組員の技量に任される部分が大きかったとされています。
攻撃の結果を問わず必ず命を落とす
先述したように回天は、乗組員の技術が大半を占める操縦となっています。そのため、攻撃が必ず成功するという保証があるわけではないです。ですが、失敗しても成功しても乗組員は命を落としてしまう兵器でした。
各隊に配られた回天は、それぞれで発射することができる全ての回天が使われている隊もあります。また、作戦中止となって帰還した回天も僅かではあるがあったようです。お国のためと、遺書をしたため死ぬ覚悟で挑んだ兵士たちは少なからずいました。
回天搭乗訓練員の宿舎跡に建築
回天記念館到着
— 広島 中川 (@Pan2www) March 19, 2016
入口から回天搭乗員(英霊)の石碑が両端にある pic.twitter.com/laDlabUFIH
回天の乗組員の訓練施設は全国に4カ所あります。その中でも最初に作られたのが、山口県の大津島にあります。訓練基地が現在も残っているのは大津島だけではありますが、回天記念館が建っているのは、乗組員の宿舎跡地です。
戦後に壊された宿舎の後には、当初は小学校がありました。小学校は別の場所に移転することになり、毎年慰霊祭が行われる宿舎跡地に回天記念館を設立したそうです。遺書や軍服などおよそ1000点近くが展示されていて回天について触れられます。
平和学習の場として使用
回天について知ることができる回天記念館ですが、戦争から学ぶことができるのは現在の平和についてではないでしょうか。回天の尊い命の犠牲から、平和に対して学習ができればという想いもあり建設されています。
生きて帰ることができないと分かっていながらも搭乗する決意を抱いたのは、平和のためです。自分の家族や子供たちが平和に暮らせることを願っていた人が多かったでしょう。その平和に対する想いを、見学を通して感じ取ってみてください。
「回天記念館」の展示物について
回天記念館には、回天に関連する多くの資料が展示されています。その数は約1000点にも及ぶのですが、実際の貴重な展示などがあるので、太平洋戦争や回天について詳しく知らなくても見学を通して知っていくことができます。
そこで、回天記念館では目を通してみてほしい資料を中心に展示物について紹介していきます。ここで紹介するのはごく一部になってしまいますが、実際には他にもたくさんの展示があるので見学をするときの参考にしてください。
展示物①黒木大尉の遺書ノート
回天記念館の黒木、樋口の遺言。なおトイレに行かないと気が付かない場所にあります pic.twitter.com/npewSss4ny
— ないさろーる (@nysalor) September 7, 2017
黒木大尉は回天で初めて命を落とした人物ですが、敵艦に向かったわけではなく事故死という形になります。なみの影響を考え訓練の中止を促しましたが、「敵は待ってはくれない!」という気迫に負けてしまいなみの影響が少ない徳山湾内での訓練を許可しました。
その際に黒木大尉が乗っていた回天は18メートル下の海底で酸素が無くなり死亡してしまいます。その際に、黒木大尉は事故の詳細や改善点を書き残していました。その一部が、黒木大尉の遺書ノートとして回天記念館に展示され見学ができるようになってます。
展示物②橋口寛大尉の血書
指導的役割を担っていた橋口大尉は、大津島だけではなく他の基地にも移動をしている優秀な指導官でした。ですが橋口大尉は、指導ではなく自分が回天に乗り出撃することを希望していました。その旨は綴った血書が展示されています。
自身が出撃したい並々ならぬ想いは、血書の文面からも感じ取ることができます。血書の長さは150センチにもなり、決意を表しているのも伺えます。
橋口大尉は回天に登場することができるようになったのですが、出撃の直前で終戦を迎えました。その結果、回天内部で自殺を図ったそうです。
展示物③回天のレプリカ
回天記念館。門は開いていたのですが、お盆休みなのか、台風の影響なのか閉まっていました。2回続けで入れなかった。また来ます。 pic.twitter.com/Loh7HKQlzr
— 艦蔵 (@kankura_jw) August 16, 2019
回天に関する資料を見学していく中で、回天の構造について興味が湧く方もいるでしょう。回天記念館には回天のレプリカも展示されています。詳細まで細かく再現されているレプリカは、回天を知らない方でもレプリカで見られるのは魅力です。
頭部に1.6トンのTNT炸薬を搭載していた、これは大型艦船であっても一撃で爆破できる量です。多くの人が、自ら志願して載った回天。見学時には、レプリカにも目を通してみましょう。
展示物④回天搭乗員の遺書
18歳の回天特攻隊員の遺書 pic.twitter.com/RjCj8Ep1jl
— ぽんた (@ponta_san_) August 18, 2017
何百万という戦死者が出ている太平洋戦争ですが、その中には特攻として若くして命を落とした人も多数います。特に回天は、生還することが叶わない兵器。生半可な気持ちでは、決して搭乗することはできないでしょう。
搭乗した人たちは相手の戦艦を壊し日本の勝利を信じて、死ににいきます。その想いは残された家族や恋人、友人などに向けられ遺書として書き残されています。搭乗員全員のではありませんが、その遺書も見学ができます。
2020年8月より、遺書はデジタル化されましたが文面から決意や想いを感じ取ることができるでしょう。後世に残されるべきものとして見てください。
展示物⑤回天乗組員の肉声
回天に乗って出撃をする直前の肉声も残されており、約2分半の音声を聞くことができます。実際の肉声が残されているのは珍しく貴重な音声となっています。肉声は、1944年1月9日に大津島基地から出撃した、塚本太郎少尉です。
はっきりとした口調からは、死への恐怖や悲観を感じることはないでしょう。例え強がりであったとしても、まるで「ちょっと買い物に行ってきます」というような感じで語られる言葉には重みを感じることもできます。
「回天記念館」周辺の観光情報
回天記念館の周辺には、回天に関連する観光スポットがあります。回天記念館を見て回るだけではもったいないです。せっかく大津島に訪れたなた、一緒に周辺に点在する回天に関連スポットを回って見てください。ここで、3カ所の関連スポットを紹介していきます。
①回天訓練基地跡
トンネルの途中から見える回天訓練基地跡。 pic.twitter.com/4JfH0B0bLc
— kou (@ma1sen) December 14, 2013
回天記念館から徒歩で10分ほどにあり回天訓練基地は、各所にある訓練基地の中でも最初に作られたのが大津島の回天訓練基地です。現存していることから戦争遺産としても貴重な建造物で、土木学会推奨の土木遺産に認定されています。
観覧には料金も発生しませんし、24時間いつでも観覧することができるようになっています。実際に訓練が行われていた場所なので記念館と合わせて見るのがおすすめ。
回天訓練基地跡の基本情報
名称 | 回天訓練基地跡 |
住所 | 山口県周南市大津島1960 |
電話番号 | 0834-22-8622 |
観覧時間 | 24時間可能 |
アクセス | 回天記念館から徒歩で10分 |
URL | 山口県観光連盟 |
②回天運搬用トンネル
回天運搬用トンネル pic.twitter.com/OcXifUYVku
— しろくま 2021年へGO (@junji127) October 3, 2014
先述した訓練基地まで整備工場から運ぶ際に使用されたのが、回天運搬用トンネル。運搬時はトロッコを使用するのですが、長さは250メートルあります。中を実際に歩くことができるようになっていて、トンネルの側面には当時の画像が展示されています。
整備員と搭乗員は、実際に回天の運搬と一緒に歩いて通ったとされてます。記念館でも触れていますが、搭乗員に悲観する気持ちなどはありません。どんな想いを抱いていたのか想像しながら歩いて見てください。
回天運搬用トンネル基本情報
③回天整備工場
大津島で唯一の学校である大津島小学校。かつてはここに回天の整備工場があった。 pic.twitter.com/81hYG8Mzdr
— 鯉する夕立🎏2021年、バリええシーズンへ! (@yudachi67koipoi) July 28, 2018
回天整備工場(九三式酸素魚雷の整備工場)は、現在では馬島港から大津島小学校にかけて建設されていた建造物です。小学校は休校になっているので、見学が可能になっています。変電所、危険物貯蔵庫、点火試験場などが小学校敷地内に現存しているでおすすめ。
広大な敷地に点在しているので、時間をかけてゆっくりと見てまわりましょう。建物だけではなく壁や貯水なども見どころがあるので見ておきましょう。
名称 | 回天整備工場 |
住所 | 山口県周南市大津島1964-1 |
アクセス | 回天記念館から徒歩で約10分(トンネルの反対方向) |
URL | 回天記念館公式サイト |
「回天記念館」のアクセス&駐車場情報
最後に、回天記念館へのアクセス方法を紹介していきます。大津島へのアクセスはフェリーとなってしまうので、フェリーの種類や所要時間なども含めて紹介していきます。また、駐車場情報なども紹介していくので参考にしてください。
アクセスはフェリー必須!
大津島へのアクセスには、フェリーが必須です。フェリーを利用するには、徳山港にアクセスしなくてはいけません。徳山港までは徳山駅から徒歩で5分となっているので、車とどちらでもアクセスがしやすくなっています。
徳山港から大津島行きのフェリーを運行しているのは、大津島巡航です。車を乗せることができるフェリーも運行しているのでシーンによって使い分けるようにしましょう。運行しているフェリーは、全部で3種類あるので所要時間も含めて個別に紹介します。
料金は、片道で大人が720円です。小人の場合には360円で利用できます。車の乗船は、大きさによって異なり予約が必要なので忘れないようにしましょう。
①フェリー鼓海2
復路は、大津島巡航「鼓海Ⅱ」で帰ります。 pic.twitter.com/2HCfvnbOug
— ESPER (@esper_hk) April 2, 2016
最初に紹介するのは、フェリー鼓海2です。1日に4往復しているフェリーで、定員が150名となっています。所要時間は片道で約20分となっているので移動時間は早いのでおすすめですが、車の運搬は行っていないフェリーなので注意しましょう。
車で大津島にアクセスする場合には、別途のフェリーになります。フェリー鼓海2は2020年の年末までは、始発が9時半となり最終は18時50分です。運行時間は変動する場合があるので、アクセスする前に確認するのがおすすめです。
②フェリー回天
フェリー回天は常時運行しているフェリーとは異なり、運行しているフェリーが整備などによって運行できない場合に走るフェリーです。定員が65名と少なくなっていますが、滅多に乗る機会が少ないフェリーとなっています。所要時間は約40分ほどと言われているので、参考にしてください。
③フェリー新大津島
大津島巡航 フェリー新大津島
— K.Kawasaki(写真) (@KKawasaki_photo) November 12, 2017
馬島港にて pic.twitter.com/j1G1EeoQHs
最後に紹介するのは、フェリー新大津島です。大津島行きのフェリーの中で乗用車を乗せられるフェリーですが、載せられるのは6台までです。車でのアクセスを検討している場合には、早めに予約を取るのがおすすめです。
フェリー新大津島は、1日に3往復していて定員は200名と大型になっています。ですが、所要時間はフェリー鼓海2の倍かかってしまい約40分となっています。
駐車場は?
徳山港には駐車場が完備されているので、車でアクセスしても駐車することが可能ですが駐車スペースは少ないです。そのため、大津島巡航でも周辺の有料駐車場の利用を推奨しています。停められない可能性も踏まえて、事前に周辺の駐車場をチェックしておきましょう。
見学時間や定休日
回天記念館は、8時半から16時半までとなっています。そのため、馬島港から先に回天訓練基地跡などを回ると回天記念館の営業時間に間に合わなくなってしまう場合があります。フェリーの時間も踏まえて、先に回天記念館にアクセスするのがおすすめです。
定休日は毎週水曜日です。また、年末年始も営業はしていないので注意してください。全部を見て回るには水曜日以外になります。
「回天記念館」の基本情報
名称 | 回天記念館 |
住所 | 山口県周南市大津島1960 |
電話番号 | 0834-85-2310 |
営業時間 | 8時半〜16時半 |
休館日 | 水曜日 年末年始 |
料金 | 大人 310円 18歳以下 無料 |
アクセス | 馬島港から徒歩で約10分 |
駐車場 | 無 |
URL | 公式サイト |
「回天記念館」で戦争と平和を学ぼう!
回天記念館が閉まっている貴重な写真です。 pic.twitter.com/099jor2hjG
— 艦蔵 (@kankura_jw) July 10, 2019
戦争の中で生きていた人たちが後世に残してくれていた貴重な資料や展示。そこから、何を感じ取るのかは人によって異なってしまうでしょう。ですが、今の平和な時代も戦争ありきで捉えると、別の見方ができるでしょう。
回天は死することを前提とした兵器ですが、そこに搭乗していた人たちは自分たちの行動が日本帝国の勝利の一歩と信じていたことがわかります。決意と覚悟は並々ならぬものなので、ぜひ回天資料館で戦争と平和について触れて見てください。