「荒神谷遺跡」は大量の銅剣の発掘場所!×印の刻印など古代の謎に迫る!

島根県にある「荒神谷遺跡」は、その出土品の全てが国宝指定されている、出雲で重要な古代遺跡です。銅剣に掘られた謎の刻印など、ほとんどがまだ解明されていない謎の遺跡です。古代のロマンが詰まった「荒神谷遺跡」の魅力、アクセス情報などをご紹介します。

「荒神谷遺跡」は大量の銅剣の発掘場所!×印の刻印など古代の謎に迫る!のイメージ

目次

  1. 1「荒神谷遺跡」とは国宝が眠る神秘の原郷
  2. 2「荒神谷遺跡」の出土品
  3. 3「荒神谷遺跡」の青銅器につけられた謎の刻印
  4. 4「荒神谷遺跡」の出土品は古代出雲歴史博物館に常設展示
  5. 5「荒神谷遺跡」のアクセス&駐車場情報
  6. 6「荒神谷遺跡」で未解明の古代ロマンを探求しよう!

「荒神谷遺跡」とは国宝が眠る神秘の原郷

昭和60年1985年、神話の国島根県出雲は世紀の大発見に沸きました。場所は仏経山の北東3km、山間の南斜面から、358本の銅剣が発掘されたのです。「荒神谷遺跡」と名付けられたこの遺跡からは、銅鐸6個、銅矛16本という大量の青銅器が発見されます。

荒神谷遺跡からの出土品は、1998年に「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝指定になりましたが、未だに謎が多く、誰が何の目的でこの場所に大量の青銅器を埋めたのかはわかっていません。歴史ロマン溢れる荒神谷遺跡はファンの心を捉え続けています。

大発見のきっかけとなった土器の破片

昭和58年1983年、広域農道の愛称・出雲ロマン街道建設に伴い、斐川町神庭西谷周辺地域の遺跡調査が行われました。神庭という地名から、とりあえず発掘してみようという事で始まったそうすが、一人の調査員が田んぼの畦から、古墳時代の須恵器の破片を発見します。

須恵器は古墳時代から平安時代に造られた土器です。須恵器は青みを帯びた灰色で、同時期に造られた茶色の土師器(はじき)とは、色と質が違います。このことがきっかけで、本格的な発掘調査が始まり、翌年の大発見へとつながりました。

荒神谷遺跡という名前の由来

昭和58年に須恵器が発見された際、遺跡の南側に「三宝荒神」が祀られていたので、「荒神谷遺跡」と名前が付けられました。三宝荒神は日本特有の神様で、強い力を持つ火の神様です。人々を災いから守り、金銭を融通する守護神です。古くから竈に祀られてきました。

現在も「荒神さん」と呼ばれ、荒神谷遺跡のそばに鎮座しています。荒神谷遺跡の南駐車場から徒歩5分程度でアクセスできる場所にあります

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「荒神谷遺跡」の出土品

荒神谷遺跡の発見で、それまで実態の分からない神話の国などと揶揄されることもあった出雲が、一気に古代の歴史に重要な場所であることが証明されました。山を隔てた場世に、加茂岩倉遺跡も続いて発見され、古代の出雲勢力解明に期待が持たれています

大量の出土品で考古学会を沸かせた荒神谷遺跡ですが、年代や目的など現在も謎が多く、その謎も魅力のひとつとなっています。

詳細不明の358本という大量の銅剣

1985年昭和60年、荒神谷遺跡の丘の斜面から358本の銅剣が発掘されました。銅剣は歯を起こし、4列に整然と並べられた状態で出土しました。銅剣の長さは約50cm、重さは約500gで全てほぼ同じ大きさで、弥生時代後期、同じ場所で造られたと考えられています

銅剣は、銅にすずや鉛などを混ぜて作る合金です。作られた当時は金色に輝いていたと思われています。約2200年前、弥生時代前期に武器として朝鮮半島より伝わり、日本では祭の時に使われる道具となりました。

荒神谷遺跡の銅剣は、「出雲型銅剣」と呼ばれていますが、いつどこで作られたのかは謎に包まれています

全国で出土した銅剣の総数は約300本

銅剣が発見された当初は、100本程度が埋まっているのだろうと推測されましたが、全部で358本が出土しました。それまで、日本全国で発見された銅剣の総数が約300本だったため、荒神谷遺跡の銅剣発掘数はいっぺんにその総数を超えてしまう結果となりました。

銅剣の発見で、担当者は連絡に奔走し、テントを張って夜も見張りをしたと言われています。見張りから帰ると、人相がわからなくなるほど虫に刺されていたという話が残っています。

いつの時代に誰が何のために埋めたのか

荒神谷遺跡で大量の銅剣が見つかった場所から、ほんの7m離れた場所で、今度は銅鐸(どうたく)6個、銅矛(どうほこ)16本が出土しました。これは以前例を見ない組み合わせで、銅鐸には日本最古の形式の物も含まれていました

銅鐸は、神様を呼ぶ鐘の役割をしています。中国や朝鮮半島で牛などの家畜の首につけられていた物が伝来し、銅剣と同様日本で祭器となり、鳴らす鐘から見る鐘へと変化しました。銅矛も同様、神器として悪霊払いなどに使用されました。

詳しい事はほとんど不明

考古学会を揺るがした荒神谷遺跡の大量の出土品ですが、詳しい事は現在もほとんど不明です。大和朝廷が「イズモ」を特別な場所をみなしていたことは、古事記や日本書紀にも記されています。神話も出雲の神話が3分の一を占めていることからも推測出来ます。

中国長江流域で水田稲作が始まり、青銅製の祭器を使い、祭りが終わると地中に埋めて保管したという説があります。荒神谷遺跡の青銅器も、そのような目的で丁寧に埋められてあったのではないかとも言われています。

島根県荒神谷遺跡出土品として国宝に指定

荒神谷遺跡の銅剣は発見後すぐ1985年、国の重要文化財に指定、銅鐸・銅矛は1987年(昭和62年)に追加指定されていました。1998年(平成10年)にすべての出土品は「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定、荒神谷遺跡は1987年に国の史跡に指定されました。

「荒神谷遺跡」の青銅器につけられた謎の刻印

荒神谷遺跡から出土した、358本の銅剣のうち344本の、茎(むかご)と呼ばれる取っ手の部分に「×」の刻印がありました。この刻印は後からわざわざ固いもので印をつけたもので、刻印に何らかの意味があったことは間違いありません。

銅剣に刻まれている「×」印とは

出土した銅剣に刻まれた謎の「×」刻印。この刻印にはいったいどのような意味があったのでしょうか。「埋納した剣のもつ威力が逃げないようにするため」、「制作者のサインのようなもの」など諸説あり、謎に包まれたままで、益々古代ロマンの魅力を感じます

青銅器の埋納に関する諸説

荒神谷遺跡の埋能にも色々な説があります。雨乞い・収穫・地鎮など祀りのための「祭祀説」、普段は地中に埋めて保管しておき、祭りの時に取り出して使ったという「保管説」、当時祭で使用する青銅器は大切な宝物、敵から守るために埋めたという「隠匿説」。

その他にも、青銅器が不要になったため埋めたという「廃棄説」、抗争から生まれた教会意識の反映とされる「境界埋能説」など、様々ありますが、どれも憶測の域を出ません。荒神谷遺跡の出土品は、誰が、いつ、何のために埋めたのか、謎に包まれたままです

加茂岩倉遺跡でも39個の銅鐸が見つかる

荒神谷遺跡から山を隔てて3.4kmの場所に、加茂岩倉遺跡があり、ここからも1996年に、39と言いう大量の銅鐸が発見されました。そのうちの14個から荒神谷遺跡の銅剣の刻印と同じ「×」の刻印が入った銅鐸が発見され、荒神谷遺跡との関係が証明されました。

加茂岩倉遺跡とは

加茂岩倉遺跡は、荒神谷遺跡から山を隔てた場所にあります。加茂岩倉遺跡は1996年(平成8年)、農道建設工事中に発見されました。重機の掘削中に異様な音がしたため重機を止めると、地中にバケツのような物が埋まっています。近づいてみると銅鐸でした。

直ちに工事は中止され、2年に渡る発掘調査が行われました。加茂岩倉遺跡からは、一か所からの出土品としては日本最多となる、39もの銅鐸が発見され、1999年(平成11年)に国の史跡に指定。銅鐸は2008年(平成20年)7月に国宝に指定されました。

加茂岩倉遺跡の銅鐸には、荒神谷遺跡と同じ「×」の刻印の他、顔・トンボ・鹿・猪・スッポンなどの絵画銅鐸も含まれていました。荒神谷遺跡との関係、後に発見された「出雲大社境内遺跡」との関連も含め、出雲巨大文化圏の存在を示すと語る研究者もいます。
 

住所 〒699-1115 島根県雲南市加茂町岩倉837
電話番号 (0854)49-7885(加茂岩倉遺跡ガイダンス)
営業時間 9:00~17:00 
入場料 無料
定休日 毎週火曜日(祝・休日を除きます)、年末年始(12/29~1/3)
駐車場 あり 無料
アクセス 加茂町大崎ICから車で3分
【駐車場から加茂岩倉遺跡ガイダンスへのアクセス方法】
①加茂岩倉遺跡公園駐車場に駐車
②備付のキーボックスで鍵を入手
③鍵でセキュリティゲートを開錠し通過
④徒歩で加茂岩倉遺跡へ

「荒神谷遺跡」の出土品は古代出雲歴史博物館に常設展示

荒神谷遺跡の出土品は「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されています。この博物館は2007年に出雲大社東隣に開館、古代出雲の歴史を中心にした博物館です。博物館には、ミュージアムショップやカフェもあり、落ち着いた雰囲気で歴史を学ぶ事が出来ます。

島根県立古代出雲歴史博物館は、荒神谷遺跡から車で約25分の場所にあります。荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡と共に見学すると、いっそう出雲の古代歴史を深く詳しく知ることが出来ます。

4種類の常設展示で島根の古代文化を紐解く

島根県立古代出雲歴史博物館では、常設展と企画展があります。常設展は4種類に分かれ、に出雲の歴史がわかりやすく理解できるような展示となっています。期間限定で行われる企画展では、古代文化、東アジアとの交流、信仰、などを掘り下げたテーマで開催されます。

①中央ロビー展示にある「宇豆柱」

島根県立古代出雲歴史博物館の中央ロビーには「宇豆柱(うずばしら)が展示されています。この柱は、2000年に出雲大社の境内発掘で発見されたものです。地下1.3メートルの場所から、直径3メートルの杉の大木が3本で一組となっていて、3か所から発見されました。

出雲大社には、古代に高さ48メートルの巨大神殿があったと言われ、鎌倉時代から室町時代に作られた、出雲大社本殿の設計図「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」に描かれています。この図面は長気に渡って信憑性が疑問視されてきました。

ところが、9か所あった支柱のうちの3か所が見つかり、設計図と酷似していることから、一気に出雲大社の大神殿が現実味を帯びてきました。その後の調査で、この柱は鎌倉時代前半に造営された、出雲大社本殿を支えていた柱である可能性が極めて高いとう事です。

②3つテーマで分かりやすい展示室

島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社、出雲国風土記、青銅器の3つのテーマに分かれた展示室があります。それぞれ、島根の古代文化を分かりやすく勉強できるように工夫されています。

出雲大社と神々の国のまつり

出雲大社と神々の国のまつり」の展示室では、出雲大社にあったとされる巨大神殿を中心に、現代にも息づく島根の歴史と文化を紹介しています。出雲大社に伝わる神話や、巨大神殿の謎、出雲信仰の歴史、神様への捧げものから読む、人々の信仰などが説明されています。

出雲国風土記の世界

出雲国風土記の世界」の展示室では、出雲国風土記をもとに、当時の自然や人々の暮らしを紐解きます。出雲国風土記は733年に編纂され、出雲の神話などが書かれた風土記です。当時開かれていた市の様子、集落などの復元模型、現代に息づく古代文化などを探ります

青銅器と金色の大刀

青銅器と金色の大刀」の展示室では、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から出土した大量の青銅器や、古墳時代の豪族の金銀の大刀から、当時の人々がこれらの品々に何を託したのかを読み解きます

荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡の青銅器からは祀りによってどのようにムラの結束してきたかを解説します。また、首長によってまとまっていた当時の豪族は、首長の持ち物が集団の象徴とされてきました。装飾された大刀から、出雲社会のまとまり方を説明しています。

③神話展示室「出雲神話回廊(神話シアター)」

出雲神話回廊」では、アニメーションやCGを使って、出雲神話をわかりやすく楽しく見ることが出来ます。島根には多くの有名な神話が残ります。「古事記」や「日本書紀」に登場する、スサノヲミコトのヤマタノオロチ退治は誰でも一度は聞いたことがある神話です。

「出雲国風土記」には、国引き神話など、出雲独特の神話も数多く収められています。これらの神話を大迫力の大画面を通して楽しむことが出来る展示室です。上映時間は一つの話が約20分です。

④総合展示室

総合展示室」では、古代から現代までの島根の歴史や文化の歩みを展示しています。旧石器時代から縄文時代、弥生時代、そして出雲と大和朝廷の関係が深くなった時代。平安時代、安土桃山時代と進み江戸時代には島根独自の文化「たたら製鉄」などが興ります。

小泉八雲が見た明治時代の島根の様子など、たくさんの資料から島根の歩みと魅力を紹介しています。「玉の穴開け体験コーナー」「天秤ふいご踏み体験模型」などの、体験コーナーもあります

島根県立古代出雲歴史博物館の基本情報

住所 〒699-0701 島根県出雲市大社町杵築東99番地4
電話番号 (0853)53-8600
開館時間 9時~18時(11月~2月は9時~17時)
※最終入館時刻は閉館時間の30分前
休館日 毎月第3火曜日
(第3火曜日が祝日の場合は、翌日が休館日)
入館料 一般620円、大学生410円、小中高校性200円
アクセス 山陰道出雲ICから車で20分
一畑電車 「出雲大社前駅」降車 徒歩7分
一畑バス「出雲大社・日御碕」行き乗車(約25分)「正門前」降車 徒歩2分
一畑バス 「古代出雲歴史博物館前」降車
駐車場 一般駐車場244台・観光バス15台・身体障害者用6台
いずれも駐車料は無料
URL 島根県立古代出雲歴史博物館

「荒神谷遺跡」のアクセス&駐車場情報

荒神谷遺跡は謎の刻印がある大量の青銅器が発掘され、当時大変な話題となりました。荒神谷遺跡周辺は歴史的環境保全のため、「荒神谷史跡公園」として整備され平成7年にオープンしました。遺跡のそばに「荒神台博物館」も造られ遺跡に関する展示が行ています。

遺跡や博物館のまわりには、約27.5hの自然溢れる公園が広がっています。バーベキュースペースやハイキングコースもあり、家族連れで賑わいます。正面奥の水田には古代ハスが植えられ、6月には一面美しいハスの花で埋め尽くされます

遺跡には出土した当時のレプリカが置かれ、発見当時の様子を見学出来ます。また、古代の人々が暮らした竪穴住居が復元され、公園のシンボルとなっています。古代米の田んぼもあり、秋には稲刈りが行われます。古代文化を満喫できる公園になっています。

アクセス情報

荒神谷遺跡へのアクセス情報をご紹介します。車でのアクセスは、山陰自動車道斐川ICから車で2分です。JR出雲市駅からは約20分です。JR荘原駅からは5分です。

最寄りの駅はJR荘原駅で徒歩でアクセスすると45分かかります。JR荘原駅にはタクシーがいない事があるので、注意しましょう。

駐車場は?

北駐車場、南駐車場のふたつの広々とした無料駐車場があります。北駐車場(博物館側)が乗用車64台、バス5台のスペース、南駐車場(管理棟側)が乗用車126台、バス5台の駐車スペースがあります。

荒神谷遺跡の基本情報

住所 出雲市斐川町神庭873番地8
電話番号 0853-72-9044
開園時間 荒神谷遺跡
3月~10月:午前9時~午後6時まで 
11月~2月:午前9時~午後5時まで

荒神谷博物館
午前9時~午後5時まで
(入館は、4時30分まで)
休園日 年末年始 12月29日~1月3日は休園
荒神谷博物館は毎週火曜日も休館
入園料 荒神谷遺跡
無料

荒神谷博物館
一般205円、高大学生105円、小中学生51円、小学生未満無料
アクセス 車でのアクセス
山陰自動車道斐川ICから2分
JR出雲市駅から約20分
JR荘原駅から車で5分
徒歩でアクセス
JR荘原駅から45分
駐車場 あり 無料
URL 公式サイト

「荒神谷遺跡」で未解明の古代ロマンを探求しよう!

「荒神谷遺跡」は、近くの「加茂岩倉遺跡」とともに、そのほとんどが謎に包まれたままです。だからこそ、現代に生きる私たちに古代史の夢とロマンを与えて続けてくれます。荒神谷遺跡で出雲の神話の世界に思いを馳せてみましょう

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この記事のライター
ORANGE77
旅行大好きです。特に博物館や神社仏閣巡りが好きです。歴女というほどではありませんが、日本史、世界史にとても興味があ...

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