山口の世界遺産「松下村塾」とは?四天王の門下生や吉田松陰の教えも解説!

山口県萩市にある世界遺産「松下村塾」は、吉田松陰が指導し、歴史に名を残す多くの偉人たちが育った私塾です。近代日本に貢献したという理由で世界遺産の構成資産に登録されました。激動の時代に日本の礎を作ったと言われる、吉田松陰と松下村塾の魅力や見所をご紹介します。

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目次

  1. 1山口県「松下村塾」の見所や歴史を解説!
  2. 2世界遺産「松下村塾」の歴史や教えとは?
  3. 3世界遺産「松下村塾」の内部や見所
  4. 4世界遺産「松下村塾」周辺の観光名所
  5. 5「松下村塾」のアクセス&駐車場情報
  6. 6偉人を育てた世界遺産「松下村塾」へ!

山口県「松下村塾」の見所や歴史を解説!

山口県萩市、この地がかつて長州藩と呼ばれていた頃、若者たちが熱心に通う「松下村塾(しょうかそんじゅく)」がありました。松下村塾では、吉田松陰が師としてその教えを説き、塾生たちは日夜勉学に励み多くの歴史に名を残す人物が誕生しました

長州藩藩主毛利家は関ヶ原合戦後に、領地を4分の1に減らされ現在の山口県へ転付されました。財政難を乗り越え人事育成に重点を置く藩でした。藩校明倫館を設立し、卒業生が私塾を開き庶民に教えるというシステムで人を育てました。

松下村塾もその一つで、吉田松陰も松下村塾で学んだ一人です。その後吉田松陰が師となり、高杉晋作や伊藤博文と言った明治維新に大いに活躍する人材が育っていきました。明治維新に大きな影響を与えた、世界遺産松下村塾の見所や歴史をご紹介します

世界遺産登録された吉田松陰の塾

松下村塾は幕末に吉田松陰が教えを説いていた私塾です。2015年に世界遺産の構成遺産として登録されたのは、松下村塾の重要性が理由です。世界遺産松下村塾は、明治維新、日本の近代化に貢献した多くの人材を輩出しました。

世界遺産「松下村塾」の歴史や教えとは?

松下村塾は幕末の長州藩にあり、歴史に名を残す重要人物を数多く輩出した私塾です。そのことが理由となり、世界遺産に登録されてからは、多くの観光客が訪れるようになりました。松下村塾の歴史、師として多くの塾生を導いた吉田松陰の教えを見ていきましょう。

2015年に世界遺産に!

2000年に入ってから、萩市などが九州各地と一緒に、「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録のために活発に活動するようになりました。松下村塾はそのひとつとして、2009年世界遺産暫定リストに追加掲載されました。

その後、2015年に、8つのエリア、全23資産により構成される「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に正式登録されました。松下村塾は、重要性と貢献度ということが理由で、この世界遺産の構成資産として登録されています。

塾の創始者は玉木文之進

松下村塾は幕末、1842年に吉田松陰の叔父である、玉木文之進が創設しました。玉木文之進は教育者であり兵学者です。幼少期に松下村塾の塾生だった吉田松陰を厳しく教育したことで有名です。また、明治の陸軍大将乃木希典は親戚で、玉木の教えを受けていました。

後に昇進し、各地の代官職を歴任し名代官と言われましたが、1859年の安政の大獄で吉田松陰が捉えられると、監督不行き届きで代官職を免職されてしまいました。1876年の萩の乱では、養子の玉木正誼と多くの門弟が参加したため、責任を取って自害しました。

松下村塾で有名な四天王

松下村塾では1857年から吉田松陰が引き継ぎ、教えを説きました。当時塾生は50名ほどいたと言われています。吉田松陰を始め、塾生の多くは大変若くして幕末の動乱に巻き込まれこの世を去っています松下村塾には優秀な塾生が多く集まったことでも有名です。

高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一の4人を合わせて「松下村塾の四天王、松門四天王」と呼ばれます。四天王はそれぞれ幕末に尊王攘夷の志士として活躍しました。高杉晋作は騎兵隊を組織後に結核が理由で29歳で死去しました。

医師であった久坂玄瑞は蛤御門の変で自害、享年25歳。吉田稔麿は騎兵隊へ入隊、池田屋事件で新選組に襲撃されたとされています。享年23歳。入江九一も騎兵隊へ入隊、蛤御門の変で28歳で命を落としています。四天王全員が若くして命を落としました

四天王以外にも有名な塾生が!

世界遺産松下村塾からは、松門四天王の他にも、明治維新に名を残す多くの著名人が塾生として学んでいました。明治政府で活躍した伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎、正木退蔵などが名を連ねます。

個性を尊重した教え

松下村塾は、吉田松陰の叔父玉木文之進が、自宅で開いた私塾でした。その後一時閉塾となっていましたが、久保五郎左衛門が名前を引き継ぎ再開講しました。1855年に自宅で幽閉生活を送っていた吉田松陰は、家族や親戚に自室で教えを説くようになりました

近隣の子供たちが集まるようになり、松下村塾は吉田松陰が主宰する塾となります。吉田松陰は一方的に教師が講義をすることはせず、塾生たちと一緒に活発な意見交換をするなど、それまでとは全く違った個人の個性を生かした教育スタイルで運営しました。

塾生たちは儒学、兵学、史学など、広範囲に及ぶ学問について積極的に学び考えました。松陰は、これからの日本には工業が不可欠で、工業学校の設立が必要だと考えていました。後に彼の教え子たちによって実現されることになります。

入塾に身分は関係なし!

世界遺産に登録された松下村塾からは、多くの偉人たちが生まれた理由のひとつに、身分の分け隔てがなかったことがあげられます。松下村塾は身分の隔てなく、武士や町民などあらゆる身分の塾生を受け入れました

ただ一説では、伊藤博文は農民の出身で、後に父が下級武士となりました。松下村塾へ入塾した頃は身分が低いため、入室を許されず戸外で立ったまま聴講していたという話も伝わっています。

藩校明倫館では士分の塾生しか入学できず、明倫館の卒業性が私塾を作り町民や農民、足軽の身分の者たちへ教えを説いていました。吉田松陰は明倫館の塾頭を務めていました

塾は無料で経営

松下村塾は多い時には塾生が90名を超える塾でしたが、入会金や授業料のようなものは無かったと言われています。吉田松陰は塾生の身分を問わず受け入れていました。授業料が払えないために学問の機会を逃さないようにという理由で、授業料は取らなかったそうです

幽閉中の吉田松陰は農業を営みながら松下村塾を運営していました。塾生の中には、裕福な家の塾生も多くいましたので、寄付も集まっていたと思われます。食事の時間で授業が中断するのを嫌った吉田松陰は、塾生に食事を出しながら授業を進めた事もあるそうです

閉鎖の理由と吉田松陰の最期

安政5年(1858年)大老井伊直弼が始めた安政の大獄で、幕府への反対意見を持つ多くの人たちが投獄死罪となりました。長州藩から危険人物という理由で投獄されていた吉田松陰は、1859年に江戸へ移され、死伝馬町牢屋敷で死刑が執行されました。享年29歳でした。

吉田松陰が投獄、処刑されると塾生たちは勉強会などを開いて活動を続けましたが、多くの塾生たちが江戸や京都へ去り、松下村塾は閉鎖状態となりました。1865年塾生の一人であった馬島甫仙が帰郷し、吉田松陰の教えを子供達に伝えるべく塾を再開します。

馬島は1870年京都へ行き、塾は閉鎖となりました。1872年、松下村塾創設者玉木文之進が戻り、塾を再開させますが、1876年の萩の変で文之進の養子、玉木正誼の他、塾生の一部が参加した事の責任を取って、文之進は自害、松下村塾は50年の歴史に幕を閉じました

世界遺産「松下村塾」の内部や見所

世界遺産「松下村塾」からは、明治維新に関わる歴史に名を残す人物たちが多く輩出されました。実際に使われていた建物が山口県萩市に残されていて、世界遺産松下村塾は重要な観光スポットとなっています。

屋内に入っての見学は不可

世界遺産松下村塾の建物の中に入って見学することはできません。外から建物の内部を見学することになります。大きな建物ではないので、外からでも十分当時の様子を知る事が出来ます。この小さな塾に、多い時には90名を超える塾生がいたと言われます

8畳1間から始まった松下村塾

世界遺産松下村塾は、吉田松陰の叔父玉木文之進が自宅で子供たちを教えたのが始まりです。いったん閉鎖されたのち、幽閉中の吉田松陰が幽閉先杉家の隣にあった小屋を改装し、松下村塾と名付けました。この時の建物は8畳1間しかありませんでした

翌年に塾生が増えたため、10畳半の部屋を増築しました。この増築は、塾生と吉田松陰の共同作業で行われました。塾舎には屋根裏部屋があり、吉田松陰が休息などに使用していたそうです。

吉田松陰の像と掛け軸

松下村塾の建物は外から内部を眺めることが出来ます。講義室には吉田松陰の掛け軸と像が飾られています。吉田松陰が松下村塾で教えを説いていたのは3年に満たない期間でしたが、松門四天王を始め、明治維新、棋院大日本を支える多くの重要人物が育ちました

門下生たちの写真

世界遺産松下村塾にはここから育っていった、松門四天王を始め、著名な塾生たちの写真や肖像画が飾られています。小さな塾舎で、時間を忘れ、熱い意見交換がなされた様子が思い浮かびます

世界遺産「松下村塾」周辺の観光名所

松門四天王を始め、多くの著名人を輩出した世界遺産松下村塾は、山口県萩市にあります。山口県は長州藩、幕末には薩摩藩と共に宇表舞台に立ち、明治維新を牽引した藩です。世界遺産松下村塾の周りには、多くの観光名所も点在します。合わせて観光しましょう。

①吉田松陰歴史館

最初の観光名所は「吉田松陰歴史館」です。明治維新の原動力となり、世界遺産松下村塾から多くの著名人を輩出し、29歳で亡くなった吉田松陰の生涯や投獄の理由などを、70体以上のろう人形を20の部屋を使って解説している松陰神社内にある歴史館です。
 

住所 〒758-0011 山口県萩市椿東1537番地
電話番号 0838-22-4643
営業時間 9:00~17:00
定休日 年中無休
入場料金 大人500円、中・高校生250円、小学生100円
駐車場 あり 60台 無料
URL 萩市観光協会

②松陰神社宝物殿 至誠館

次の観光名所は「松陰神社宝物殿 至誠館」です。吉田松陰に関する資料を展示している資料館です。見所は、松陰が処刑の直前に、塾生たちにあてて書いた「留魂録」です。ミュージアムショップもありオリジナルグッズも販売しています。松陰神社境内にあります。
 

住所 〒758-0011 山口県萩市椿東1537番地
電話番号 0838-24-1027
営業時間 9:00~16:30(閉館17:00)
定休日 年中無休
入場料金 大人500円、中・高校生250円、小学生100円
駐車場 あり 60台 無料
URL 萩市観光協会

③吉田松陰の墓所&誕生地

次の観光名所は「吉田松陰の墓所&誕生地」です。吉田松陰産湯の井戸と、生家の間取りを示す敷石が残ります。隣接して吉田松陰を始め松門四天王高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿などの墓があります。
 

住所 山口県萩市椿東1433-1
電話番号 0838-25-3139
営業時間 通年
アクセス JR山陰本線東萩駅からまぁーるバス東回りで17分
松陰誕生地前下車すぐ
駐車場 あり 40台 無料
URL 萩市公式サイト

④松陰食堂

松陰神社の境内にある「松陰食堂」も観光客に人気のスポットです。夏は冷たいソフトクリームやかき氷、冬は暖かいうどんや甘酒など、ちょっと立ち寄ってみたくなる食堂です。柚子みそがたっぷり乗った松陰だんごが名物です
 

住所 〒758-0011 山口県萩市椿東1537番地
電話番号 0838-22-5851
営業時間 10:00~17:00(LO.16:00)
定休日 年中無休
駐車場 あり 松陰神社駐車場利用
収容人数 60人
URL 萩市観光協会公式サイト

⑤高杉晋作誕生地

次の観光名所は「高杉晋作誕生地」です。高杉晋作は長州藩の中級武士の家に生まれました。藩校明倫館や松下村塾で学び、松下村塾では四天王と呼ばれる秀才でした。尊王攘夷運動に活躍し、騎兵隊を組織しました。

高杉晋作は明治維新に大きく貢献した人物ですが、大政奉還の目前に下関で病死しました。享年29歳(満27歳)でした。高杉晋作誕生の地には、産湯に使った井戸や新作の句碑などがあります。
 

住所 山口県萩市南古萩町23
電話番号 0838-22-3078
営業時間 9:00~17:00(閉館、時期により異なる)
定休日 不定休
見学料 一般100円、中・高校生50円
アクセス JR山陰本線萩駅からまぁーるバス西回りで18分
萩美術館浦上記念館・萩地方合同庁舎前下車、徒歩5分
駐車場 なし
URL 萩市観光協会

⑥伊藤博文旧宅

次の観光名所は「伊藤博文旧宅」です。伊藤博文は農家の出身です。17歳で松下村塾へ入り勉強し、尊王攘夷運動へ参加しますが、イギリスへ密航留学し開国論者となります。明治維新後は政府に出仕し、初代の内閣総理大臣となりました

伊藤博文旧宅は、伊藤が14歳から28歳までを過ごした家で、国の史跡に指定されています。茅葺屋根の小さな家から松下村塾へ通っていました。旧邸脇には等身大の萩焼伊藤博文像が建っています。2021年12月末まで、工事中のため一般公開が中止されています。
 

住所 〒758-0011 山口県萩市椿東1511ー1
電話番号 0838253139
営業時間 現在中止
アクセス 萩循環まぁーるバス(東回り)
「松陰神社前」バス停より徒歩4分
駐車場 伊藤博文別邸駐車場
URL 萩観光協会

⑦伊藤博文別邸

伊藤博文旧宅に隣接する「伊藤博文別邸」も、外せない観光スポットです。明治40年に宮大工の手で素晴らしい意匠が見所の建物です。広大な屋敷から、東京から一部の玄関、大広間、離れ座敷の3棟が移築され公開されています。常駐ガイドさんが案内してくれます。
 

住所 〒758-0011 山口県萩市椿東1511-1
電話番号 0838-25-3139
営業時間 9:00~17:00
定休日 年中無休
入場料金 100円(小学生未満は無料)
アクセス 萩循環まぁーるバス(東回り)
「松陰神社前」バス停より徒歩4分
駐車場 あり 7台
URL 萩観光協会

「松陰神社」は吉田松陰を祀る場所!

次の観光スポットは「松陰神社」です。吉田松陰を祀る神社で、学問の神様として信仰されています。1890年に松陰の実家である杉家の邸内に、松陰の兄が小さな祠を建てたのが始まりです。後に伊藤博文と野村靖が中心になり神社創建を嘆願し、県社格となりました。

世界遺産松下村塾は、松陰神社の境内にあります。御祭神は吉田松陰を始め、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一など、53柱が祀られています。御朱印の初穂料は300円です。
 

住所 〒758-0011 山口県萩市椿東1537番地
電話番号 0838224643
営業時間 8:00~17:00
アクセス 美弥東JTCから車で40分
萩循環まぁーるバス(東回り)
「松陰神社前」バス停下車
駐車場 あり 無料
URL 公式サイト

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「松下村塾」のアクセス&駐車場情報

明治維新を経て、近代化日本の礎となる多くの人材を輩出した松下村塾。松下村塾が世界遺産の構成資産として登録された理由はそこにあります。小さな塾から大きな人物が育って行きました。松下村塾へのアクセスや駐車場情報をご紹介します。

アクセス情報

世界遺産松下村塾へ車でアクセスする場合は、中国自動車道美弥東ジャンクションから約40分です。色々観光するなら、「萩循環バスまぁ~る」が便利です。1階100円で乗車出来、1日券が500円です。松下村塾へは東回りに乗り、松陰神社バス停で下車します。

萩は城下町の風情が色濃く残ります。素敵なカフェなども点在しているので、ぶらぶら街歩きに最適です。JR東萩駅から、松下村塾へは15分ほどで歩くことも出来ます。

駐車場は?

世界遺産松下村塾へ車で行った場合は、松陰神社の駐車場を利用します。境内と神社前の交通公園に無料の駐車場があります。

松下村塾の基本情報

住所 〒758-0011 山口県萩市椿東1537
電話番号 0838224643
営業時間 9:00~17:00
定休日 なし
入場料金 無料
アクセス 美弥東JTCから車で40分
萩循環まぁーるバス(東回り)
「松陰神社前」バス停下車
駐車場 あり 無料
URL 公式サイト

偉人を育てた世界遺産「松下村塾」へ!

小さな松下村塾から、時代を担う大きな偉人たちが育ち、近代日本を支えました。松下村塾が世界遺産の構成資産となった大きな理由です。

諸君、狂いたまえ」の名言通り、短い人生を駆け抜けた吉田松陰。彼の教えを胸に、ひたすらに日本のために戦い、生きた若者たち。彼らが集い熱い議論を戦わせた、現存する松下村塾へ、明治維新という歴史に想いを馳せる、感動の旅に出かけましょう

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ORANGE77
旅行大好きです。特に博物館や神社仏閣巡りが好きです。歴女というほどではありませんが、日本史、世界史にとても興味があ...

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