「萩往還」で歴史と自然を感じるウォーキング!歩く時間や距離も解説!

山口県を縦断するように走っている「萩往還」をご存じですか?毛利家14代当主・輝元が開いた「お成道」です。今ではかつての面影(石畳など)を残しつつ整備され、散策やウォーキングが楽しめる歴史街道として多くの人が訪れます。今回は萩往還の魅力をたっぷりとお伝えします。

「萩往還」で歴史と自然を感じるウォーキング!歩く時間や距離も解説!のイメージ

目次

  1. 1一度は歩いてみたい道「萩往還」
  2. 2「萩往還」とは?
  3. 3「萩往還」のおすすめ観光スポット
  4. 4「萩往還」の歩く時間や距離
  5. 5「萩往還」のアクセスや駐車場情報
  6. 6「萩往還」を歴史に思いを馳せながら歩いてみよう!

一度は歩いてみたい道「萩往還」

山口県萩市から防府市までを結ぶ、距離にして約53kmの萩往還は、歴史上重要な遺跡が点在しており、当時から変わらない石畳などもあります。また、季節の移り変わりも楽しめるので、歴史ファンならずとも一度は歩いてみたい歴史街道です。

観光以外にも、ところどころに道の駅や休憩スポットがあるのでウォーキングにもぴったりですよ。

観光客・ウォーキング愛好家に人気の名所!

萩往還は毛利輝元が参勤交代のために山陰から山陽まで開いた「お成道」ですが、庶民にとっても重要な交通路でした。

現在でも四季折々の柔らかい日差しや、吹き抜ける風、咲き乱れる花々を目や肌で感じながら歩く萩往還は、自然との一体感を得られる古道でもあります。途中には道の駅などがあるので、食事の心配もいりません。

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「萩往還」とは?

改めて萩往還について紐解いてみましょう。

毛利氏参勤交代の古道

萩往還とは、毛利家14代当主・輝元が関ヶ原の戦いに敗れた後、長府に戻り築城した萩城から参勤交代のための「お成道」として開いた街道です。途中、砂の流出を防ぐため敷いた石畳が今もそのまま残っています。
 

全長はおよそ53km

萩往還の距離は約53km。県を縦断するように走っている道ですが、ほぼ直線なので意外と短く感じるかも知れませんね。

幕末には維新の志士たちが往来

当時、山陽と山陰とを結ぶ貴重な連絡道として坂本龍馬や吉田松陰、高杉晋作など幕末の志士たちも萩往還を歩いたと云われています。

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「萩往還」のおすすめ観光スポット

歴史上、重要な遺跡や石畳があちこちに点在している萩往還。観光と散策、ウォーキングまで1度に楽しめます。

萩城跡

萩往還の始まり、萩城は毛利輝元が1604年から4年かけて築城、1608年に完成しました。指月山に建てられたことから別名「指月城」。萩城は平時に築城されましたが、詰の丸(戦時において敵方に囲まれた際の最後の砦となる郭)が指月山にあるなど戦時に備えたような造りになっています。

1873年(明治6年)に明治政府より「廃城令」が発令され、萩城も廃城の対象に。1874年(明治7年)取り壊され、残っているのは石垣やお堀のみです。1951年(昭和26年)国の史跡に指定され、現在も萩市の中心的な観光スポットとなっています。

道の駅「萩往還」

道の駅 萩往還には「松陰記念館」があり、「松下村塾」が再現されています。また、記念館の前には松下村塾で学んでいた伊藤博文や高杉晋作などの銅像があり、見どころのひとつ。入館料は無料なので、ぜひ休憩がてら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

また、道の駅 萩往還にはレストランや売店もあるので、食事やお土産の購入にも最適です。

一升谷の石畳

萩往還の魅力のひとつに当時のまま残っている石畳があります。一升谷の石畳(いっしょうだにのいしだたみ)は「一升のいり豆を食べながら歩くと、食べ尽くしてしまう」との言い伝えからこの名称に。

幅約1m、長さ約38mで400年もの間、風雪に耐えた石畳は両端に大きな石、内側に小さな石を並べ、砂が流出しにくい構造になっています。

四十二の曲がり

「一の坂」は西日本一急な坂という意味でこう呼ばれ、その中の四十二の曲がりは特に九十九折(つづらおり・いくつも続く曲がりくねった坂道)の難所石畳もあるので、ウォーキングには滑りにくいシューズがおすすめです

また、ここに差し掛かると「ここは一の坂、四十二の曲がり、降りて下され旦那様」と駕籠かきが音を上げたという言い伝えも。実際、ここは駕籠に乗っていた人も降りて一緒に歩いたということです。

六軒茶屋跡

萩往還最大の難所・一の坂にあったという六軒茶屋。旅人の休憩所として設けられており、六軒の農家が軒先を茶屋として提供、旅人の疲れを癒していました。佐々並から山口までの間で家があったのは当時ここだけだったので、休憩所として重宝されたそうです。

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「萩往還」の歩く時間や距離

※本文中に記載されている時間はあくまでも目安です。

距離にして約53kmの萩往還を歩くとしたら、一体どれくらいの時間がかかるのでしょう?フルマラソンより長い距離で起伏もあるコースですから、いくつかに区切って楽しみながらウォーキングできたらいいですよね。

「萩往還」は4つの区間が

全長約53kmの距離がある萩往還。全区間を4つに分け、スモールステップでゴールが目指せるようになっています。

萩往還ルートマップパンフレットはこちら

ルート①萩城跡〜唐樋札場跡〜明木市

ルート①は萩城跡からスタート。萩城は先述のように平時に築城したにもかかわらず、戦時に備えたような造りで、指月山に詰の丸があり背後は海となっています。萩城跡から見る景色は美しく、一見の価値あり

また、指月公園は四季折々の植物が楽しめるところもポイント。春は桜や藤、夏は菖蒲や紫陽花、秋はツワブキ、冬は椿や梅、山茶花など。特に春は「ミドリヨシノ」という萩にしかない珍しい桜を見ることができます。白い花に緑の額がとてもきれいで、山口県の天然記念物に指定されています。

萩城城下町は江戸時代の街並みがほとんどそのまま残っていて、町筋は碁盤の目、白壁になまこ壁、黒板塀などまるでタイムスリップしたかのよう。伊藤博文や高杉晋作が幼い頃、遊び学んでいたとされる円政寺や木戸孝允の旧宅などもあり、観光しながら学べます。

唐樋札場跡(からひふだばあと)は、幕府や藩からの「御触」が掲示されたところです。「御触」とは規則や法令など。また、ここが萩往還の起点となります。

萩城跡から唐樋札場跡までの距離は2kmあまり、歩くと時間にして大体30分ほど。ウォーキングにはまだまだ物足りない感じですね。ここから「涙松跡」まで距離で約4km、歩くと50分くらいです。

「涙松」とは、かつて萩の町が見える最後の場所であり、また萩に戻ってきて最初に町並みを見て帰ったことを実感できる場所でした。吉田松陰が安政の大獄で江戸に送られる際には、ここで「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしほ)ぬるる涙松かな」と詠んだと云われています。

涙松跡あたりから起伏がある山道になります。無理のないように歩きましょう。次は距離で約1.5km、20分ほど歩いたら「道の駅 萩往還」です。

「道の駅 萩往還」では休憩・食事・土産物購入などができ、ちょっとしたオアシス。吉田松陰記念館も併設されており、ここでも歴史を感じることができます。松下村塾も再現されていますので、覗いてみては?

道の駅 萩往還の次はいよいよルート①のゴール、「明木市」です。道の駅で休憩したからといって無理はせず、自分のペースで楽しくウォーキングしましょう。距離は約8km、歩いて1時間半ちょっとです。

ルート②明木市〜佐々並市〜防長国境

明木市からは難所と言われる一升谷の石畳を歩きます。佐々並までは距離にして10km弱、時間は徒歩で約2時間。この区間はとても自然が豊かなところ。鳥のさえずりや小川のせせらぎを聞きながら歩くことができます。

非常に起伏の激しい区間なので足元には十分な注意が必要です。また、石畳は滑りやすいのでしっかり見ながら歩きましょう。

佐々並は萩往還の宿場町として栄えたところです。萩城下町と三田尻の中間地点だったことから、参勤交代の際に藩主が休息するお茶屋さんが多く立ち並んでいました。2011年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

佐々並地区には「萩往還おもてなし茶屋」があり、パネルの展示や地場産品の販売が行われています。佐々並地区を後に6kmあまり、時間にして約1時間15分歩くと「吉田松陰先生東送の碑」があります。

「吉田松陰先生東送の碑」には安政の大獄で江戸へ送られた際に休憩したこの地で、松陰が詠んだとされる漢詩が刻まれています

私は幕府の命令で江戸に送られるが、自分の真意は天の神に正したらわかるはずである。自分は公明正大である。ここ夏木原では、五月雨がしとしとと降り、ほととぎすがしきりに鳴いている。ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言うが、その血で、このあたりのさつきつつじも真紅に燃えている。自分の胸中もまた同じ思いがする。

少し前から続いていた長い上り坂もやっと終わりに近づき、長門と周防の国境が見えてきました。そこにあるのは「国境の碑」。現在の萩市と山口市の境にあたります。

ルート②のゴール、防長国境にある国境の碑に到着です。この先は長い下り坂が続きますので、歩く場合は足を痛めないよう準備しておきましょう。滑りやすいシューズは避けて、履きなれたものにしてくださいね。

ルート③防長国境〜山口〜鯖山峠

「国境の碑」を過ぎると間もなく萩往還最高到達地点へ。そこから長い下り坂が続きます。国境の碑を過ぎておよそ2.5km、「六軒茶屋跡」があります。歩くと40分ほどでしょうか。四十二の曲がりの少し手前にあり、この辺りが萩往還最大の難所であることから、ここで長めの休憩をとっていたそうです。

その昔、この辺りには六軒の農家があり、佐々並から山口の間には他に家がなかったことから、その六軒の農家が軒先を茶屋として旅人をもてなしていました。そこから「六軒茶屋」と呼ばれるようになったということです。現代のコンビニや道の駅みたいな役割だったんですね。

六軒茶屋跡を過ぎると萩往還最大の難所「四十二の曲がり」。九十九折(つづらおり)の道がしばらく続きます。六軒茶屋跡から天花坂口(てんげさかぐち)までは石畳の道が続きますので、特に気を付けてください

さて、急こう配の道を何とか歩いていくと、ようやく目の前が開けてきます。もう少し頑張って進むと一の坂ダムがあります。六軒茶屋跡から10kmあまり、歩いて約2時間半。

緑がきれいですね。ダムの緑に癒された後は国宝「瑠璃光寺五重塔(るりこうじごじゅうのとう)」まで足を延ばしてみましょう。

瑠璃光寺五重塔は、25代大内義弘香山公園に香積時を建立したのが始まり。義弘の死後、26代盛見が五重塔を造営、完成は盛見の死後でした。後に、毛利輝元が萩入りすると香積寺を引寺(買取)。仁保から瑠璃光寺を移築し現在の姿になりました

五重塔はその美しさから、法隆寺(奈良県)、醍醐寺(京都府)と並んで「日本三名塔」に選定されています。観光にぴったりですね。そしてこの先は神社・寺院・墓地などが多く並ぶ地域。

龍福寺は、1206年大内満盛が宝珠山瑞雲寺を創建。1336年、大内弘直が再建し弘直の菩提寺に。1454年、大内教弘が瑞雲山龍福寺と改め、大内義隆が重建したものの1551年、兵火により焼失。再興したのは毛利隆元です。義隆の菩提寺として大内館跡に再建されました。

が、明治に入り火災で禅堂と山門を残して再び焼失。そこで、元は大内氏の氏寺だった興隆寺の本堂を移築し現在の姿になりました。1954年(昭和29年)には国の重要文化財に指定されています

神社や寺院、商店街などを抜けてさらに歩くと、ルート③のゴール鯖山峠に到着です。瑠璃光寺から距離は約14km、時間にして約3時間!お疲れさまでした。

ルート④鯖山峠〜宮市〜三田尻

鯖山峠から防府市側は下りです。防府市の市街地まで出ると佐波川が見えてきます。1941年まで舟橋がかけられていたそうです。

鯖山峠から先ほどの佐波川を過ぎると、旧山陽道と重なっている道があります。1kmにも満たない距離の途中にあるのが「宮市本陣兄部家跡(みやいちほんじんこうべけ)」。かつて大名や旗本、幕府役人などが宿泊する宿でした

残念ながら2011年7月の火災で焼失、現在は門だけが残っています。鎌倉時代から続く旧家で、国指定の史跡。上記の写真では在りし日の兄の家がアップされています。立派な建物ですね。観光客も多く訪れたことでしょう。

ここから徒歩5分程度のところに防府天満宮があります。防府天満宮は学問の神様・菅原道真を「最初に」お祀りした神社だということです。そして道真公をお祀りした神社は全国に何と約12,000社あるとのこと!驚きです…

防府天満宮の前で旧山陽道と再び分かれ、萩往還は商店街の方へ。いよいよ萩往還ゴール間近。途中、女流歌人で、高杉晋作ら勤王の士をかくまうなど理解の深かった野村望東尼(のむらもとに)終焉の宅跡があります。

高杉晋作が晩年詠んだ句に、野村望東尼が下の句を付けたとしてとても有名な句があります。「おもしろき 事もなき世に おもしろく」(高杉)「住みなすものは 心なりけり」(野村)。「この世を面白くするのも面白くないようにするのも自分次第」というような意味です。

野村望東尼の終焉の宅跡を出発して500~600mほど歩くとゴールの「三田尻御茶屋(英雲荘)」に到着。英雲荘は萩藩2代目当主毛利綱広が、参勤交代や領内の巡視の際に宿泊するため1654年に建てられました

その後7代目重就(しげたか)が隠居後の住まいとしたことで「英雲荘(重就の法名より)」と呼ばれるように。幕末には七卿や志士が出入りしていました。現在は国の史跡に指定されています

萩市から山口市を通って防府市まで、全長約53kmの散策やウォーキングお疲れさまでした。気持ちよくゴールできたでしょうか。歴史に触れながら、自然を感じながらのウォーキングは格別ですよね。「こういう過去があって今がある」なんて思ったりもしたのでは?

ますます歴史が好きになりそうですね。

萩往還ルートマップパンフレットはこちら

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「萩往還」のアクセスや駐車場情報

では萩往還までのアクセスを確認しておきましょう。

アクセスの詳細

場所 電車
萩市 JR山陰本線 萩駅/玉江駅より
【タクシー】(市外局番:0838)
萩近鉄タクシー:22-0924
萩第一交通:25-5050
日の丸松野タクシー:22-0163
萩観光タクシー:22-7797
【バス】
萩循環まぁーるバス 西周りコース(晋作くん)  
中国自動車道美祢東JCT経由
小郡萩道路(無料)絵堂ICから約20分
 
山口市     JR山口駅より徒歩2分 【東京・大阪・広島方面から】
中国自動車道 山口ICから国道262号へ  
中国自動車道 湯田温泉スマートICから
県道200号へ
山陽自動車道 防府東ICから国道2号へ
防府市 JR防府駅 南口より
【バス】
防長バス中浦行き
三田尻病院前 下車
【タクシー】(市外局番:0835)
防府構内タクシー:0120-77-6333
日の丸タクシー:0120-78-0897
日名内タクシー:22-0471
防府山電タクシー:22-1910
周防タクシー:22-2730
山陽自動車道 防府東ICから15分
山陽自動車道 防府西ICから15分

駐車場情報

萩市 萩城跡付近
山口市 JR山口駅付近
防府市 三田尻御茶屋付近

「萩往還」の基本情報

萩往還 萩城跡~三田尻御茶屋
全長約53km
休憩所:あり
トイレ:あり
道の駅 萩往還 住所:山口県萩市大字鹿背ヶ坂1258
電話:0838-22-9889
営業時間:9:00~18:00
定休日:無給(ダイニングは火曜日)
駐車場:あり
トイレ:あり
URL:公式サイト
萩往還 おもてなし茶屋(旧小林家) 住所:山口県萩市大字佐々並
電話:0838-56-0033
開館時間:9:00~17:00
休業日:水曜日・年末年始
入場料金:無料
駐車場:萩市役所佐々並支所駐車場利用
URL:萩市観光協会公式サイト
瑠璃光寺 五重塔 住所:山口県山口市香山町7-1
電話:083-934-2810
営業時間:24時間
入園料:無料(瑠璃光寺資料館除く)
トイレ:あり(公衆トイレ)
URL:山口県観光観光サイト おいでませ山口へ
防府天満宮 住所:山口県防府市松崎町14-1
電話:0835-23-7700
駐車場:あり
バリアフリートイレ:あり
【歴史観】
開館時間:9:00~16:30
拝観料
  • 大人:500円
  • 高校生以下:無料
  • 団体(20名以上):400円(大人)
【茶室 芳松庵(ほうしょうあん)】
開館時間:9:00~16:00
拝観料:500円(お茶・お菓子付)
休館日:不定休
URL:公式サイト
三田尻御茶屋(英雲荘) 住所:山口県防府市お茶屋10-21
電話:0835-23-7276
営業時間:9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・12/29~1/3
入館料
  • 高校生以上:310円
  • 小中学生:150円
  • 団体(20名以上):高校生以上250円・小中学生:120円
  • 障害者・療育手帳お持ちの方:無料(+介助者1名まで)
駐車場:あり
バリアフリートイレ:あり

「萩往還」を歴史に思いを馳せながら歩いてみよう!

歴史上貴重な遺跡が数多く残される山口県。萩往還も1度は見ておきたい遺跡が点在しています。途中に道の駅などもあるので休憩しながら自分のペースで進んでみましょう。歴史に思いを馳せながら遺跡巡りをすれば、ただウォーキングするだけより、感慨深く濃い時間を過ごせそう。

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