2020年08月05日公開
2020年08月05日更新
「花魁淵」は日本有数の心霊スポット!数々の伝説や歴史の真相とは?
数ある心霊スポットの中でも特に有名な、山梨県にある「花魁淵」。古い歴史を持つ花魁淵は、過去に霊能者が霊視を行うほどの恐ろしい場所です。今回は、花魁淵に伝わる伝説や歴史の真相、そして心霊体験談を詳しい場所を含めながら徹底解説していきます!

目次
伝説の心霊スポット「花魁淵」
みんな大好き花魁淵 pic.twitter.com/0w39LNTJGe
— 壱丸@VFR800F Patigale (@ichimaru_typeR) June 23, 2020
数ある心霊スポットの中でも、トップクラスで有名な「花魁淵」。花魁淵は、悲しい伝説が残っている心霊スポットです。花魁淵では幽霊の目撃情報を始めとして、訪れたことで事故や事件に巻き込まれてしまったなど、様々な恐ろしい体験談があります。また心霊体験談が多いことから、何度も霊能者による霊視がおこなわれてきました。
そこで、今回は花魁淵と呼ばれるようになった伝説や歴史を真相に迫りつつ、米軍の花魁目撃情報といった心霊体験談を解説していきます!
山梨県甲州市塩山にある滝
花魁淵がある場所は、山梨県甲州市塩山です。甲州市塩山の市街地から、奥多摩方面へ向かう山道にあります。「淵」と名前が付く通り、花魁淵は一ノ瀬川と柳沢川が流れる渓谷で、鬱蒼とした薄黒い雰囲気が感じられるスポットです。
五十五人淵とも呼ばれており有名な心霊スポット
花魁淵は、別名「おいらん淵」「オイラン淵」と呼ばれています。また、江戸時代の天保13年に出版された書籍「玉川泝源日記」では、「五十五人淵」と記されていました。このことから、「花魁淵」の正式名称は「五十五人淵」だと言われています。なお、なぜ「五十五人淵」と呼ばれていたのかについては、花魁淵の歴史で詳しく説明していきます。
メディアでは霊能者による霊視も!
恐怖体験が多い心霊スポットということから、花魁淵は多くのテレビや雑誌などで紹介されたスポットです。
メディアの中には、実際に霊能者が花魁淵を訪れ霊視を行ったこともあります。霊能者が訪れ霊視を行うほどの恐怖スポットな花魁淵。霊視によると、「この地には切り殺された複数の幽霊がいる」そうです。花魁淵の霊視は、複数の人によって行われていて、いずれも「この地に幽霊がいる」と鑑定されています。

「花魁淵」の悲しい伝説
@peace77mk おはようございます☆ 山梨は朝からもううだるような暑さです(; ̄O ̄)来人さんも猛暑なのでお体に気をつけて下さいね(^-^)/【心霊スポットおいらん淵】 pic.twitter.com/Qf7SMgAuEg
— MANA (@manacan_24) July 25, 2014
花魁淵には、とても悲しい伝説があります。この伝説がきっかけとなり、心霊スポットとして名が知られるようになりました。花魁淵に語り継がれる伝説とは、どのような内容なのでしょうか?伝説と、歴史の真相についてご紹介していきます。
花魁淵の伝説とは?
おいらん渕も雰囲気あってやばいな…看板だけでやばい pic.twitter.com/HFHPhyFjdp
— かわりょ (@ryodell01) December 2, 2017
花魁淵にある伝説は、遥か昔、戦国時代まで遡ります。戦国時代の山梨県と言えば、武田信玄が有名ですよね。花魁淵の伝説は、今から400年くらい前の武田家が繁栄した時代に生まれました。とても悲しく、そして無念の気持ちが感じられる伝説です。
黒川金山の遊女55人の皆殺し事件
蛇神さまだね。感謝。 #低山トラベル #黒川金山 #磐座 pic.twitter.com/MROhrOPBGt
— Sei Ouchi 大内 征 (@seibouz) April 26, 2018
花魁淵は、黒川金山に従事していた遊郭で働く女性たち、55人を皆殺しにした事件が発生した場所です。伝説によると、遊女たちを巧妙に橋の上へ集め、全員を橋の上から落とし殺害したと言われています。
ただ、遊女55人の皆殺し事件については、他説があります。もう1つの伝説は、遊女と坊主の2種類が出てきます。55人いる遊女は橋の上から落とし、他にも12人いた坊主は今坊主淵という名前の深淵へ落としたと歴史の書物に記されていました。
戦国時代に武田家の隠し金山で起こった
なぜ遊女たちは、殺されなくてはならなかったのでしょうか?それは武田家の隠し金山が、深く結びついています。黒川金山は、武田家の隠し金山の1つです。武田信玄は隠し金山を他にもいくつか保有していましたが、黒川金山が最も大きい金山でした。
規模の大きかった黒川金山は、戦国時代の戦いに必要な軍資金を集めるために、とても重要な金山でした。その金山を「他の人に知られたくない」という思いから、悲劇が起こってしまいます。
事件が起こった背景
圧倒的な武力を誇っていた武田家は、軍資金を多く保有していたことでも有名です。武器や馬など、戦いには多くのお金が必要となります。武田家は、その軍資金を金山を複数持つことで可能としていました。そのため、武田家は「戦国最強」と称されるくらいの強さとなります。
花魁淵は武田家が保有する金山の中のひとつ、黒川金山と密に関係しています。甲州で最大規模だった黒川金山は、多くの労働者が働いていたと言われています。
そして、その労働者を慰める存在として遊郭が作られました。一時は1,000軒以上の人々が住んでいたという黒川金山。残念なことに、武田信玄の息子である武田勝頼の死後、黒川金山は閉じることとなってしまいました。
金山の閉山で外に秘密が漏れる事を恐れた
黒川金山が閉山することになり、悲劇は起こります。当時の金山奉行は、他の人に金山がある場所を知られてしまうのを恐れました。その結果、金山奉行は金山の仕事をしていた配下と、遊郭で働いていた女性たちを殺すことを決意します。
秘密を知る遊女の皆殺し計画が練られた
山梨県甲斐にある伝説の淵、花魁淵。隠し金山のあったここに55人の遊女が働いていた。彼女達の口を封じる為谷の上に舞台を作り舞を舞わせている間に舞台の四方を谷に繋ぐ縄を切り舞台ごと谷に落とし、花魁を殺害したとさせる花魁淵。 pic.twitter.com/IShrEnCPBB
— 突撃人生 (@kennyhorie) March 14, 2019
皆殺し計画は、巧妙に策が練られました。そして、ついに計画が実行されます。ある日、遊女たちを「これまで仕事に従事してきたことを労う」と言葉巧みに集め、酒宴として柳沢川にかかる橋の上で踊らせました。
伝説では、この時橋の上にいた遊女は、全部で55人と言われています。その55人が舞に興じている中、金山奉行は橋に架かる蔓を切りました。遊女たちは橋の上から全員を落とされ、命を落とします。
下流の丹波山村では遊女を供養する祠が作られた
おいらん堂#丹波山 pic.twitter.com/eOcMyZ3k19
— 葉藏 (@aoihana619) October 30, 2019
橋の上から一気に落とされてしまった遊女たちのほとんどが、落ちたことによって亡くなりました。ただ幸運にも一部の遊女は絶命することなく、川へ流されたと言われています。瀕死の状態で流れた遊女は、下流の丹波山村まで流されました。
しかし遊女は、村人たちに助けられることはありませんでした。それは、事前に村人たちへ「遊女が流れてきても助けるな」と、いう内容のお達しがされていたからです。助けを求めても、誰にも助けてもらえなかった遊女の無念の気持ちは、想像に難くありません。
その後、村人たちは丹波山村に流れ着いた遊女の遺体を引き上げ、葬ったと言われています。村人たちは小さい祠を丹波山村へ作り、丁重に供養を行いました。
明治40年に水害で失い、昭和63年に再建
山梨県の丹波山村においらん堂を見に行った。おいらん淵は今バイパスが出来て通行止めの廃道にある。最後の年に通ったのに気がつかなかったんだよな〜。 pic.twitter.com/2yjHQUEQFl
— 1756 (@konnani56) July 13, 2017
小さい祠は、遊郭を切り盛りしていた「やり手婆」を中心として、周りに犠牲となった55人の花魁が木像でありました。長く供養されていましたが、明治40年に起こった山梨県の大水害によって流失してしまいます。その後、昭和63年に再び祠を立て替え、現在も丹波山村で供養されています。
「花魁淵」の本当の場所や歴史の真相とは?
花魁渕ってとこらしい… pic.twitter.com/FlywCy4TlG
— ひげまんじゅう (@natuki_garden) May 28, 2020
悲しい伝説が残る花魁淵は、現在伝えられている場所と異なると言われています。本当の場所は、どこなのでしょうか?ここからは、花魁淵に伝わる歴史の真相について検証していきます。
花魁淵は2つある
おいらん淵は昼間しか行きたくない pic.twitter.com/Vyf9LDtp2u
— わさオレンジコーラ買うコメダキウイかき氷 (@garana_cub) February 27, 2015
花魁淵は現在知られているスポットと、もう1つのスポットの2箇所があります。花魁淵が2箇所となった理由については、後ほど詳しくご説明します。
現在の花魁淵は伝説の場所ではない
現在の花魁淵には、慰霊碑が設置されています。そのため、慰霊碑がある場所が花魁淵だと思われがちですが、実際に起こった場所は別の場所という説が濃厚です。
本当の花魁淵の場所は藤尾橋付近
藤尾橋・・・。
— Mr.ビビルラッシー®⑅◡̈*™ (@messagefromSS) November 15, 2017
通行止めじゃなくても渡れません(´-ι_-`) pic.twitter.com/aaeIyVrYdr
実際の花魁淵は、「藤尾橋」付近です。藤尾橋は、花魁淵よりも上流のカーブにある場所です。約2kmほど離れている藤尾橋の近くには、ゴリョウ滝があります。落差6mあるゴリョウ滝の滝つぼに落とされ、遊女たちは絶命したと言われています。
なお藤尾橋は、現存している橋です。藤尾橋の管轄は東京都水道局で、1968年に竣工されました。徒歩専用の小さい橋ですが、藤尾橋は渡ることが禁止されています。橋の入り口には「通行禁止」と看板があり、立ち入りを禁じています。
また藤尾橋は古くなっていることから、危険性が高く通行禁止となっています。通行禁止の看板を厳守し、藤尾橋は絶対に渡らないようにしてください。
花魁淵は明治時代まで名称や伝承がなかった
今では有名な花魁淵ですが、明治時代まで名称が付いていなく、伝承もありませんでした。明治時代以降に、花魁淵は地元の方を中心として世間一般に知られていくようになります。
明治に入り怪談話が流行!花魁淵も伝承も生まれる
花魁淵が今のように知名度が上がったのは、明治時代の文明開化の影響がありました。当時、西洋から多種多様な情報が日本へ入るようになります。その結果として、怪談話が人々の間で流行り始めました。現在伝わる花魁淵も、その当時に伝承として生まれたと言われています。
現在の場所が花魁淵になるきっかけ
真花魁渕 pic.twitter.com/PFX9pLkLyW
— 勇者そーすい@心霊怪奇ラーメンTV (@shinreikaiki) July 18, 2020
さきほど解説したように、元々の花魁淵は現在の場所ではなく、藤尾橋周辺と言われていました。しかしながら、明治の伝承では藤尾橋から現在の場所へと変わっています。
変更した理由は、立地です。藤尾橋周辺は急なカーブがあり、また渓谷の勾配が厳しくなっています。藤尾橋近辺は、参拝に適した土地ではありませんでした。そのため、車が停められる土地がある現在の場所を、花魁淵にしたと言われています。
遊女55人の皆殺し事件は本当にあったのか?
花魁淵では、本当に遊女55人を皆殺しした事件が起こったのでしょうか?戦国時代に起こったとされているため、事件の真相については不明点や謎が多くあります。また、決定的な資料等も残されていないため、真相については未だ分かっていません。
信憑性には疑問が残る
花魁淵は資料などがないことから、本当に事件が起こったのか信憑性や真相について、疑問が残るといった声もあります。
遊女55人皆殺し事件が起こった当時、黒川金山は衰退の一途を辿っていました。砂金を採りつくしてしまっていたため、黒川金山がある場所を秘密にしておく必要がなかったと言われています。つまり、口封じのために、遊女たちを殺す必要性がなかったということです。
ただし史実がないため、遊女たち殺害の事件がなかったとも言い切れません。実際に事件はあったのか、なかったのか、真相は未だ謎のままです。
「花魁淵」で噂の心霊現象
花魁淵行ってきた pic.twitter.com/mKaS3W1MPs
— 垢移行先固ツイ (@yadoya_ni) May 28, 2020
花魁淵では、興味本位で訪れた人が体験した見も毛もよだつ心霊談多くあります。霊能者が霊視を行うほどの恐怖スポットである花魁淵は、心霊現象が絶えません。
霊能者の霊視によると、花魁淵には無数の幽霊がいるそうです。霊視通り、花魁淵では写真から目撃談、米軍の都市伝説など様々な心霊現象が発生しています。ここからは、花魁淵で起こる心霊現象の噂についてまとめます。
心霊現象①心霊写真が写る
1つめは、心霊写真です。花魁淵を訪れ、写真を撮影すると幽霊が写ると言われています。心霊写真は人のような影から、オーブまで様々です。元々、水辺には幽霊が集まりやすいという言葉があることから、遊女たちを含め様々な幽霊が集まっているのかもしれません。
心霊現象②夜行くと花魁姿の女性に手招きされる
2つめは、花魁の幽霊です。花魁淵による行くと、花魁姿をした女性に手招きされたという体験談がありました。
花魁姿の幽霊は、1人ではなく複数人で現れるそうです。手招きに応じ、ふらりふらりと花魁姿の幽霊へ近づくと、そのまま真っ逆さまに滝つぼへ落ちてしまうと言われています。また中には、花魁姿の幽霊が追いかけてきたといった恐ろしい体験談もあります。
心霊現象③か細い歌声が聞こえる
3つめは、弱弱しい歌声が聞こえてくることについてです。目撃情報によると、夜に花魁淵へ訪れたとき、真っ暗な闇のななかから、歌うか細い歌声が聞こえてきたそうです。
誰が歌っているのか、周りを見渡しても姿かたちを見ることが出来ません。また歌声は、女性や幼い女の子の声だったと言われています。もしかしたら、無念にも殺されてしまった花魁が歌う声なのかもしれません。
心霊現象④米軍が上空を飛行中に花魁と遭遇
4つめは、米軍の花魁目撃談です。第二次世界大戦中に米軍は、広島と長崎に原爆を投下した歴史は誰もが知る出来事です。この原爆投下、実を言うと米軍は山梨県も標的のひとつとして考えていました。
では、なぜ米軍は山梨県に原爆を落とさなかったのでしょうか?それは、米軍に語り継がれる都市伝説が関係しています。原爆を載せた米軍は、山梨県上空を飛行していました。
そして米軍が原爆を投下しようとしたところ、多数の花魁が現れたそうです。まるで「これ以上、傷つけないで」と言うようなもの、悲しそうな花魁たちの悲痛の声に米軍は原爆を落とすことを止めたそうです。目撃談はあくまで噂であり、真相について不明ですが、米軍では都市伝説となっています。
「花魁淵」の現在は?立ち入り禁止?
400年余りの歴史がある花魁淵の現在は、どのような状態なのでしょうか?ここからは、花魁淵の詳しい場所と禁止事項について、ご紹介していきます。
場所は国道411号沿にあった
国道411号の甲州市塩山一ノ瀬
— B4S4_110 (@B4_110) July 20, 2019
木が落ちてきてた… pic.twitter.com/78mcZvxa1J
花魁淵の場所は、国道411号沿いにありました。塩山駅から奥多摩方面へ、車で40分ほど走らせた山深くの場所です。鬱蒼とした山の中にある花魁淵は、訪れるのに時間を要します。また険しい山道が続く道だったこともあり、花魁淵がある一帯は、度々土砂崩れで通行止めとなることがありました。
2011年にバイパス道路に変更
険しい道だったこともあり、花魁淵の近くにバイパス道路が作られることが決定します。2011年11月頃にバイパスが完成し、花魁淵へ続く道路は旧道となりました。
現在は閉鎖され立ち入り禁止!
花魁淵へ続く道路 pic.twitter.com/6RR4PyMr3C
— ヒロC (@hiroc_ggg) April 22, 2019
旧道となったことで、山梨県は道路を閉鎖しています。現在は、花魁淵へ行くための道は通行禁止となっていて、車両はもちろんのこと、徒歩でも行くことが禁止されています。
肝試しで訪れる時には注意
花魁淵へ続く道は、土砂崩れが度々発生している危険なスポットです。立ち入りがないように厳重に通行禁止としています。バリケードで通行禁止されているため、花魁淵の近くですら行くことが出来ません。そのため肝試しで訪れた際は、絶対に中へ立ち入ることがないようにしましょう。
「花魁淵」は悲しい伝説が残る心霊スポット!
何故か国道411号線おいらん淵の辺りは電波きてないのに、更に奥まった甲州市塩山一ノ瀬高橋集落は電波きてる pic.twitter.com/KP2u2sIU3Z
— ぜかま白雪🇯🇵⚓️ 呉江田島ロス (@zekamashirayuki) March 7, 2020
山梨県にある花魁淵について、歴史や真相などを紹介してきました。花魁淵は戦国時代に起こった、悲しい歴史が残る心霊スポットです。何度もメディアに取り上げられ、過去には霊能者による霊視も行った花魁淵。花魁たちの無念の思いが残る花魁淵は、霊視通り、今もなお心霊体験談が尽きません。
また、現在花魁淵に行く道は、通行禁止となっています。花魁淵へは行くことが出来ないので、訪れる際は気を付けてください。
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