「旧生駒トンネル」は怪談の絶えない心霊スポット!過去の事故や体験談とは?

旧生駒トンネルは、大阪の超有名心霊スポットです。非常に凄惨な事故があったという歴史からなのか、かなりリアルな心霊体験報告も寄せられている場所です。ここでは旧生駒トンネルの場所や行き方、当時の事故の内容や最終電車の怖い噂などについてご紹介します。

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目次

  1. 1「旧生駒トンネル」とは
  2. 2「旧生駒トンネル」の歴史と事故について
  3. 3「旧生駒トンネル」で噂の心霊現象
  4. 4「旧生駒トンネル」への行き方は?
  5. 5「旧生駒トンネル」は悲しい歴史を持つ心霊スポット!

「旧生駒トンネル」とは

大阪府東大阪市にある、旧生駒トンネルをご存知でしょうか。今はもう使われていない、封鎖されたトンネルなのですが、こちらが実は大阪の中でも非常に有名な心霊スポットの一つです。心霊スポットの多くは、特になんの根拠もなく心霊スポットと言われている場所も多いのですが、こちらは過去の悲惨な事故に由来した、本当に怖い心霊スポットとなっています。

この記事では、旧生駒トンネルが心霊スポットと呼ばれるようになった原因である数々の事故のこと、そしてこの心霊スポットで数多く報告されている心霊体験談、特に最終電車の恐ろしい噂や、旧生駒トンネルへの行き方などについて、ご紹介します。

大阪と奈良を繫ぐ生駒山を貫くトンネル

旧生駒トンネルは、現在は使われていないトンネルではありますが、かつては大阪と奈良を行き来するために作られた、「生駒山」を貫くトンネルでした。旧生駒トンネルは車のためのトンネルではなく、「大軌」という鉄道会社が使用していた電車のために開通されたトンネルです。

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「旧生駒トンネル」の歴史と事故について

旧生駒トンネルは、1911年着工、1914年に開通し、その後1964年まで使用されていました。着工から使用停止となる約54年の間には、実に様々な出来事がありました。当時の出来事から、近くにあるお寺に慰霊碑が建てられているほどです。

中には、目を覆いたくなるような凄惨な事故もあり、そういったことから旧生駒トンネルは、大阪でも有数の最恐心霊スポットと言われているのです。ここでは、そんな旧生駒トンネルのこれまでの歴史と事故の内容についてご紹介します。

1911年に着工

旧生駒トンネルは、1911年に着工が決まりました。このトンネルは、近鉄の前身組織であった「大軌」という鉄道会社が担当していたのですが、地形が複雑であること、そして湧き水があったことなどが原因で、開通するまでに実に3年の歳月をかけています。

実際に工事を請負ったのは「大林組」なのですが、度重なるアクシデントにより工事費がどんどん膨らみ、大軌および大林組は経営危機に陥ってしまったほどです。

1913年に落盤事故で労働者が生き埋めになる

工事中に、まず最初の事故が発生しました。1913年1月26日、工事中に発生した落盤事故で、なんと152名もの人が生き埋めとなり、うち20名が死亡してしまったのです。生き埋めになってしまった労働者たちの、約15%が亡くなってしまったという計算になります。

先ほどお話しした経営危機と合わせてこのような事故も発生しましたが、それでも最高の資材を使用して作られたトンネルは、検査の際に検査官に驚かれるほど見事な作りだったと言われています。

朝鮮半島からの出稼ぎ労働者も多数

ちなみに、こうした背景が原因なのかどうかは分かりませんが、当時の労働者の中には朝鮮半島からやってきた朝鮮人が非常に多く登用されていたと言われています。この、朝鮮人労働者を多く使っていたというのは大きな問題で、今でも非難の対象となっています。

落盤事故の犠牲者20名のうち1名は朝鮮人で、負傷者の中にも多くの朝鮮人がいました。特に、負傷した朝鮮人の最年少は22歳の男性だった、という話もあり、朝鮮人であるというだけで監視もされていたような過酷な労働環境にそんな若い人がいたということも、忘れてはいけない事実です。

奈良県生駒市の宝徳寺境内には慰霊碑も!

この落盤事故によって亡くなった人たちの魂を弔うために、奈良県生駒市にある宝徳寺には、境内に慰霊碑が建てられています。今でも毎年、慰霊碑の前で追悼式が行われており、現地の人たち、落盤事故の関係者たちの中では、今でもまだ苦い記憶として残っているという現実が浮き彫りとなっています。

ちなみに、この慰霊碑は当時の関係者だけでなく、朝鮮の人たちも多く献花に訪れているといいます。当時の作業員のうち、200人以上が朝鮮人だったということで、工事に関係した人たちやその関係者が、慰霊碑の前に訪れているようです。

1914年に開業

落盤事故の後も工事は進められ、1914年にようやく開通となります。旧生駒トンネルは、当時は奈良県生駒市と大阪府東大阪市を繋ぐ貴重な交通手段として重宝され、多くの人たちを乗せて運行するようになりました。

1946年にトンネル内で車両火災が発生

しかし、今度は1946年4月16日、電車の運行中に不幸な事故が発生しました。なんと、乗客を乗せた列車がトンネル内で車両火災を起こし、75名の負傷者、そして23名の死者を出してしまったのです。旧生駒トンネル内は急勾配となっていて、モーターが負荷に耐えることができず、発火してしまったことが原因だそうです。

1947年に再び火災が発生

さらに、翌年1947年にも同様の火災事故が、同じく旧生駒トンネル内で発生し、ここでは約40名の負傷者を出しています。地形などの関係もあるため、急勾配を改善することができなかったことによる事故ではないか、と言われているそうです。

1948年に列車暴走追突事故が発生

旧生駒トンネル最大の悲劇は、二度の火災事故が発生した直後、1948年3月31日に起こりました。トンネル内を走行していた急行列車が、トンネルの中でブレーキを破損してしまい、そのまま止まることができずに、その先にあった河内花園駅に停車していた普通列車に追突してしまったのです。

この凄惨な事故によって、負傷者はなんと282名、死者は49名にも及び、歴史上でも稀に見る最悪の列車事故の一つとして数えられるようになりました。

1964年に新トンネルが完成し使用されなくなる

旧生駒トンネルは、人を運ぶには非常に便利なトンネルであったものの、トンネル自体はそこまで大きいものではないため、大型車両が通ることができないことから、輸送力をアップさせるために新トンネルの建設が検討されました。

結果、1964年に新しいトンネルが完成し、それによってこの旧生駒トンネルは使用されなくなりました。奈良側の出口は、新トンネルの一部として流用されているためそのままになっていますが、反対側の出口は封鎖され、誰も入れないようになっています。

現在の様子は?

現在では封鎖されてしまっている旧生駒トンネルですが、実は全く使われていない訳ではありません。現在のトンネル内には、高圧電流が通る設備が設置されています。また、新生駒トンネルや、けいはんな線の生駒トンネルとも通じているため、今でも整備などのために許可が出されている人たちは、旧生駒トンネルに入っています。

奈良側は生駒トンネルとして一部を使用

また、先ほどもお話しした通り、奈良側の旧生駒トンネルの出口は、現在の生駒トンネルの一部として使われています。そのため、今でも新生駒トンネルを通る列車に乗車すると、トンネル内で旧生駒トンネルへの入り口を確認することが可能です。

大阪側は入り口はフェンスで閉鎖

対して、東大阪側の出口はフェンスを使用して封鎖されています。以前はトンネル出口のすぐ近くにあるフェンスの辺りまでは近くことができましたが、現在はその先にある廃止駅の辺りまでしか行くことができません。ホームの辺りから、ぽっかりと開いたトンネルの出口を遠目に見ることができます。

「旧生駒トンネル」で噂の心霊現象

では、旧生駒トンネルにまつわる心霊体験談をいくつかご紹介します。旧生駒トンネルで実際に起こった事故そのものが恐ろしいものであるからか、体験談も非常に恐ろしく、かつリアリティのあるものばかりとなっています。

ほとんどの体験談が、当時まだ旧生駒トンネルが使われていた頃の話ではありますが、一部は今でも体験談が報告されているものもあります。これらの体験を自分自身がしてしまわないよう、くれぐれも注意して訪れてください。

心霊現象①最終電車が突然満員列車に!

この体験談は、まだ旧生駒トンネルに実際に列車が通っていた頃の話です。このトンネルを通る路線の最終列車に乗ると、それまではまばらな人影しかいなかったのに、トンネル内を通過するときだけ満員になってしまう、という噂がまことしやかに流れました。実際、最終電車が満員になっているところを目撃した人も多々いるそうです。

心霊現象②電車の窓に無数の人影

また、これもトンネルがまだ使われていた頃の話ですが、旧生駒トンネル内を入っている列車の中で窓の外を見ると、無数の人影が見えた、という体験談もあがっています。旧生駒トンネルは非常に小さなトンネルだったため、当然トンネル内に人がいるはずがありません。これは、数々の事故で亡くなった人たちの霊なのではないかと言われています。

心霊現象③トンネルの入り口に人影

旧生駒トンネルが使われなくなった後も、しばらくは旧生駒トンネルの東大阪側のトンネル入り口付近までは誰でも入れる状態になっていました。その頃から、トンネルの入り口に多くの人影が目撃されています。

もちろん当時から心霊スポットとして非常に有名だったので、怖いもの見たさの人もいたかもしれませんが、今でもその噂は絶えることなく続いていて、今では誰も入り口付近には入れないようになっています。封鎖された当時から、それらの噂のいくつかは霊の姿だったのではないかと言われています。

心霊現象④トンネル内から足音が聞こえる

これも、旧生駒トンネルが封鎖されてすぐの頃からの噂で、誰もいないはずのトンネルの中から足音が聞こえる、というものです。中には高圧電流設備が設置されているため、誰かがいるという可能性もなくはないのですが、誰も入れないはずの場所に、深夜に整備士の方が入るというのは考えにくいため、これも霊の足音では、と言われています。

心霊現象⑤ホームに人が立っている

これは、旧生駒トンネルそのものではなく、その先にある廃止駅となった孔舎衛坂駅での体験談です。使われなくなったはずの駅のホームに、人が佇んでいるという噂が非常に多く流れています。この駅は、旧生駒トンネルの出口からすぐ近くにあり、ホームからトンネルの出口が見えるほどの距離です。

トンネルでの火災事故や衝突事故で亡くなった人の霊が、自分が死んでいることを認識できず、この場所でずっと列車を待ち続けているのでは、という噂が広まっています。

最終電車の後に厄払いで電車を走らせていた?

実は、最初にご紹介した最終電車が満員になる、という噂は、近鉄社内でも広く知れ渡っていたようです。あまりにも多くの体験談が寄せられるようになったことが原因なのか、近鉄では最終電車が走り終わったあと、もう一度回送列車を旧生駒トンネル内で走らせていたのです。

これによって、霊が本当の最終電車に乗り込むのを防ごうとしたのではないか、と言われています。実際にそういった意図があったのかどうか、公式の見解は出ていないのですが、実際にこの噂が流れ始めた後、旧生駒トンネル内を必ず回送列車が通過するようになったといいます。

「旧生駒トンネル」への行き方は?

こうした歴史を持つ旧生駒トンネルですが、このトンネルに行こうと思ったら、どのような行き方になるのでしょうか。ここでは、旧生駒トンネルの場所と詳しい行き方について、ご紹介します。

旧生駒トンネルの場所

旧生駒トンネル自体はもう使われていないのですが、トンネルのすぐ近くの場所には、近鉄奈良線の石切駅が存在しています。トンネルへの行き方としては、石切駅から向かうのが一番近いです。トンネルの行き方は非常に単純明快なので、迷うことなく行けると思います。

まず石切駅の改札を出たら、右手にある山に向かう道を進んでください。しばらく道なりに進んで行くと、変電所が見えますので、その変電所をぐるっと裏側に廻ります。すると、ここから旧生駒トンネルの入り口を見ることができます。

「旧生駒トンネル」の基本情報

名称 旧生駒トンネル
住所 大阪府東大阪市上石切町2丁目1610
アクセス 石切駅より徒歩で約10分

「旧生駒トンネル」は悲しい歴史を持つ心霊スポット!

旧生駒トンネルが、とても悲しい歴史を持った場所であることがお分かりいただけたでしょうか。単純に事故が恐ろしかったというだけでなく、朝鮮人を多く使っていたという事実、慰霊碑が建てられるほど人々の心に残ったということも、歴史から読み解けるはずです。

旧生駒トンネルへの行き方はとても簡単なので、誰でもすぐにこの地を見ることができますが、恐ろしい噂が絶えない場所でもあります。訪れる際には、事前に宝徳寺を訪れ、慰霊碑に手を合わせていくことをおすすめします。

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この記事のライター
ゆきえ
三児の子育てをしながら兼業ライターをやっています♪ 趣味は旅行で、独身時代は海外もちょこちょこ行っていましたが、...

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