多摩テック跡地の現在は?営業当時の様子や明治大学の跡地問題を調査!

東京都日野市にあった多摩テックは、多くの人が訪れた人気の遊園地です。2009年に閉園した多摩テックは、現在、どのような状態となっているのでしょうか?今回は、多摩テックに注目して、営業当時の乗り物を紹介するとともに、跡地問題やタヌキ情報など調査していきます。

多摩テック跡地の現在は?営業当時の様子や明治大学の跡地問題を調査!のイメージ

目次

  1. 1「多摩テック」とは?
  2. 2「多摩テック」の歴史と概要
  3. 3「多摩テック」跡地の活用や現在の様子は?
  4. 4「多摩テック」にあった当時の乗り物
  5. 5廃墟好き必見のおすすめ廃墟3選!
  6. 6「多摩テック」は廃墟マニアにおすすめ!

「多摩テック」とは?

「多摩テック」は、東京都日野市にあった遊園地です。タヌキがいるような自然溢れる広大な敷地にあった多摩テックは、家族連れにとても人気のある遊園地でした。しかしながら、時代の流れとともに多摩テックを訪れる人は減り、廃園となります。

観覧車やゴーカートなど人気の乗り物があった多摩テックの跡地は、現在どのような状態なのでしょうか?今回は、多摩テックの歴史を紹介しつつ、タヌキが生息しているという跡地の現在、そして開園当時人気だった乗り物などについ徹底解説していきます。

モータースポーツがテーマの遊園地の跡地

テーマパークや子供向け遊園地など大型レジャー施設は、昭和30年代40年代に多くオープンします。後楽園ゆうえんちや奈良ドリームランドなど、続々と全国に多種多様な遊園地が開園される中、多摩テックも開園しました。

多摩テックは、モータースポーツがテーマとなっている遊園地で、最盛期には約200万人もの人が訪れています。

鈴鹿サーキットと共に「モートピア」と呼ばる

モータースポーツをテーマとしている多摩テックは、ゴーカートなど自分で運転する乗り物が多いのが特徴です。また多摩テックは、三重県鈴鹿市にある鈴鹿サーキットと経営母体が同じことから「モートピア」と呼ばれ、人々から愛されてきました。「モートピア」とは、理想郷の「ユートピア」と発電機の「モート」を掛け合わせた造語です。

名称 多摩テック
住所 東京都日野市平山1丁目19-12
開園日 1961年10月1日
閉園日 2009年9月30日
URL 公式サイト

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「多摩テック」の歴史と概要

多くの家族連れを楽しませた多摩テックは、どのような遊園地だったのでしょうか?ここからは、多摩テックの歴史や多摩テックの隣に建設された温泉施設などについて紹介していきます。

1961年に東京都日野市にオープン

多摩テックがオープンしたのは、1961年10月の高度経済成長期です。多摩テックは、東京都八王子市との境目近くの東京都日野市にオープンしました。

丘陵に建設された多摩テックは、自然溢れる景色が眺められることができ、敷地面積約12万平方メートルと広大なのが特徴です。そして、多摩テックがオープンした翌年の1962年には、三重県に鈴鹿サーキットが開園しました。

本田技研工業の子会社が運営

多摩テックの運営会社は、多摩テックがオープンした1961年2月に設立された「株式会社モータースポーツランド」です。株式会社モータースポーツランドは、本田技研工業の子会社で、主にモータースポーツ関連施設を運営しています。

株式会社モータースポーツは、設立翌年には会社名を「株式会社テクニカルランド」と変更。現在は、会社名が「株式会社モビリティランド」となり、鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎを営業しています。

当時はバイクのオートゲレンデだった

開園当時の多摩テックは、遊園地ではなくバイクのオートゲレンデでした。園内ではバイクが好きなように、フリーで走ることができました。

そして、開園してしばらくしてから本田技研工業のオリジナルエンジンが搭載したアトラクションを設置。このアトラクションの設置によって、オートゲレンデで遊びつつ、バイク等交通制度が学べ、そして遊園地として遊べる楽しさが味わえることとなります。

1980年代には大規模なアトラクションを新設

開園後の多摩テックは、ゴーカートや飛行機雲、観覧車など、子供が喜ぶアトラクションを新設していきました。アトラクションが充実していった多摩テックは、人気を博すようになります。

そして、1980年代前後には、さらに大規模なアトラクションを新設します。1980年代前後に新設されたアトラクションは、ジェットコースターやくるくる回転するUFO、ハイパーカートなどです。アトラクションがさらに充実したことによって、多摩テックはより人気となりました。

温泉施設の「クア・ガーデン」もオープン

遊園地として設備が充実していく一方で、多摩テックは温泉施設もオープンさせます。多摩テックの温泉施設「クア・ガーデン」は、1997年に完成しました。温泉施設がオープンしたきっかけは、たまたまキャンプ場の掘削工事を行っていたところ、温泉が湧き出たからでした。

「クア・ガーデン」は、大浴場のほかに露天風呂や休憩施設、フィットネススタジオなどが完備されている温泉施設です。また温泉施設の他にもプールがあったので、子供から大人まで楽しめるリゾート施設でした。

2000年代に入り入園者数減少

温泉施設もオープンし、順調に思われていた多摩テックでしたが、2000年代に入ると勢いに陰りが見え始めます。東京ディズニーシーやユニバーサルスタジオジャパンといった大型のテーマパークがオープンしたことにより、次第に入園者数が減少していくようになりました。

多摩テックは、入園者数減少に伴いアトラクションの新設を図ったものの、入園者数の減少は歯止めがかかりません。そして2007年頃に起こった世界金融危機も影響して、温泉施設「クア・ガーデン」を含め多摩テックは閉園することとなります。

2009年9月に閉園

多摩テックが閉園したのは、オープンから48年後の2009年9月です。閉園することが決定したのは、2009年2月のことで、閉園発表後は多摩テックを惜しみ多くの人が訪れます。そして2009年9月30日の22時をもって、多摩テックは閉園しました。

閉園イベントが開催され混雑も!

閉園決定後の多摩テックは、ゴールデンウィークや夏休み、そして閉園する最後の1週間は、大勢の人が来園したことで賑わいを見せます

また閉園イベントも開催され、温泉施設の「クア・ガーデン」では最終営業日の9月30日に、音楽家が集まり昼間から夕方まで連続演奏を続けました。そして温泉施設も9月30日の22時をもって、閉館となります。

「多摩テック」跡地の活用や現在の様子は?

閉園後の多摩テックは、どのような状態となっているのでしょうか?そのまま当時と同じ状態で廃墟化していったのか、跡地が活用されているのか、気になるところですよね。ここからは多摩テックの跡地について、現在の様子を踏まえながら紹介していきます。

明治大学がスポーツ学部の新設を計画

観覧車やスペースショットといったアトラクションは、閉園後すぐに解体されました。多摩テックの観覧車が解体される様子は、遠く豊田駅まで眺めることができたそうです。

そして閉園から9か月経過した2010年10月に、多摩テック跡地の活用が発表されます。跡地活用に名乗りを上げたのは、明治大学です。明治大学はスポーツ学部の新設し、校舎を多摩テックの敷地内に建設する計画を発表しました。

共同事業者の三菱商事が跡地を購入

この学部新設の計画は、明治大学だけではありません。共同事業者として、三菱商事が多摩テックの跡地を購入します。そして「明治大学スポーツパーク」として、大規模な構想が立てられました。この構想には、明治大学と三菱商事の他に、東京都日野市といった自治体も関与し、2014年に完成する目標で動いていました。

明治大学が計画を断念

事業計画が進む中、2014年には完成することは叶いませんでした。いくつかの出来事が重なってしまったことによって、明治大学は2013年10月に構想を断念します。

計画を断念した理由は?

計画を断念した理由は、2つあります。1つ目は、東日本大震災や2020年東京オリンピックなどで、人件費や建築費用が高騰してしまったためです。

そして2つ目は、絶滅危惧種の発見です。自然溢れる多摩テックには、元々タヌキといった野生動物が見られました。跡地開発にあたってタヌキの他に、ランの一種である「キンラン」や「オオタカ」が生息していることが発覚します。そのため、東京都自然保護条例の審査が入ることとなり、当初の予定よりも長期化しました。

裁判にまで発展

計画当時は、地元住民への説明会や協定の締結など、かなり進んでいました。しかしながら明治大学サイドの半ば一方的な断念により、三菱商事や東京都日野市は怒り心頭となります。

計画が断念したことにより多摩テックの跡地を他の施設にしようと思うものの、跡地は市街化調整区域内のため、学校以外の建物は建築できません。納得できないことから、日野市側は明治大学へ抗議の文面を送ります。さらに三菱商事側は、土地の立て替えたこと費用などを含め61億9千万円の訴訟を起こしました。

現在は廃墟と化しタヌキが住み着く

明治大学の計画が頓挫したことにより、多摩テックは廃墟化となってしまいます。遊具や施設などは撤去及び解体されたものの、ゴーカートといった一部のアトラクションは跡が残っている状態です。

かつて多くの人が停めた駐車場も現在は廃墟化し、草木が多い茂っています。また廃墟化した多摩テックは、自然の一部となり、現在はタヌキといった野生動物の棲家となっています。

元々多摩地域では、自然溢れるためタヌキといった野生動物は多く見かけられました。多摩テック閉鎖に伴い、一時期いなくなっていたタヌキがまた戻り、現在はタヌキが住み着いた状態だと言われています。

中へは立ち入り禁止!

廃墟となってしまった多摩テックを一目見たいと思うかもしれません。タヌキが住んでいると言われている多摩テック跡地ですが、中に入ることはできません。多摩テック跡地は、簡単に侵入できないように高いバリケードで周りが囲まれています。

勝手に入ると不法侵入になるので注意

簡単に多摩テックの跡地へは、侵入できません。所有者の許可を取らず勝手に敷地内に入ると、不法侵入となります。バリケードの外からは、廃墟となったアトラクションの一部を見ることが出来るので、決してバリケードの中には入らずに外から眺めるようにしましょう。

心霊スポットなの?噂は?

廃墟化した遊園地は不気味な雰囲気が感じられることから、心霊スポットとして噂されるようになります。多摩テックも例外ではなく、心霊の噂があります。

それは、多摩テックが開園していた当時、ゴーカートの死亡事故や、アトラクションの事故で多数のけが人が出たことにから噂が広まったようです。ただし心霊スポットとして噂がある多摩テックですが、具体的な心霊体験談はありません。

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「多摩テック」にあった当時の乗り物

多くの人を魅了した多摩テックには、ゴーカートなど様々な乗り物が当時ありました。ここからは、多摩テックにあった当時の乗り物について紹介していきます。

乗り物①レーシングゴーカートGX

まず1つ目は、レーシングゴーカートGXです。本田技研工業の子会社が運営しているとあり、多摩テックはゴーカートやバイクといった乗り物が多くありました。

レーシングゴーカートGXは、6台のゴーカートが一斉にスタートをし、互いを競い合うアトラクションです。400mのコースを2周し、ゴール後は順位とタイムが大きく電光掲示板に表示されます。

乗り物②ワイルドリバーアドベンチャー

2つ目は、ワイルドリバーアドベンチャーです。ワイルドリバーアドベンチャーは、水路の上を滑ってい急流アトラクションです。

ワイルドリバーアドベンチャーのコースは全長510mと長く、当時コースの長さは日本最大級でした。ただ単に急流を落ちていくだけではなく、途中に大きな水車があったり、コースが二股に分かりていたりと楽しい演出がたくさんある乗り物でした。

乗り物③ハイパーカート

3つ目は、ハイパーカートです。1985年に完成したハイパーカートは、多摩テック内で一番走行距離が長いゴーカートでした。その総距離は、なんと1,200mです。周回することなく1,200mも走れるゴーカート珍しく、とても人気があった乗り物でした。

乗り物④UFO

4つ目は、UFOです。1980年に完成したUFOは、UFOの形をした円形の乗り物が三連になって回転するスピンアトラクションでした。遠心力がかかるアトラクションとして、人気があった乗り物です。

乗り物⑤マッハセブン

5つ目は、マッハセブンです。建物内にあるアトラクションで、ぐるぐると回転し、まるで宇宙にいるような感覚に陥る乗り物でした。

廃墟好き必見のおすすめ廃墟3選!

多摩テック以外にも、日本全国には多くの廃墟があります。そこで、廃墟好きの方必見のおすすめ廃墟を3つ紹介していきます!

①奥多摩ロープウェイ

奥多摩湖にある奥多摩ロープウェイは、東京にある廃墟の中でも有名な施設です。奥多摩ロープウェイは、1962年に小河内観光開発株式会社が運営を始めたものの、たった4年で営業が停止してしまいました。

奥多摩湖の湖畔を上から眺めることが出来た奥多摩ロープウェイは、一時は人気を博したものの、ロープウェイの距離が短かったことなどが、業績不振となった起因です。

現在も奥多摩ロープウェイの駅やロープウェイは残っています。駅にあるロープウェイは、ノスタルジックな雰囲気が感じられると話題です。多摩テック跡地同様に、奥多摩ロープウェイは自然の中に取り込まれていく状態となっています。

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②ウェスタン村

栃木県日光市にあるウェスタン村は、西部開拓時代のアメリカをテーマとしたテーマパークでした。1973年にオープンし、蒸気機関車やシューティングゲーム、ショーなどが人気でした。しかしながら、2016年に長期休園。休園のため、建物やアトラクションなどはそのまま残っていて、廃墟化が進んでいます。

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③ガリバー王国

山梨県上九一色村にあるガリバー王国は、「ガリバー」をテーマとしたテーマパークでした。1997年に開園するものの、2001年に閉園となりました。

閉園の理由は、交通が不便だったことや、上九一色村にはオウム真理教の施設があったイメージから客足が遠のいたことです。約370,000平米の広大な敷地には、営業当時、ボブスレーや横たわるガリバー人形などがありました。

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「多摩テック」は廃墟マニアにおすすめ!

東京都日野市にあった多摩テックについて紹介してきました。多摩テック閉園後は、跡地として買収されたものの、計画が頓挫。現在は、廃墟となっています。

元々、多摩の自然溢れる丘陵にあった多摩テックは、現在は再び自然へと帰りつつあります。タヌキといった野生動物が住んでいる多摩テック跡地の中には、入らないようにしましょう。

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この記事のライター
まなしま
東京在住。大阪が大好きで月に一度は関西旅行をしています。他にも東北道の駅スタンプラリーや沖縄離島巡りが好き!

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