沖縄で有名な「ガマ」とは?戦争の歴史や心霊情報・見学ポイントを解説!

沖縄の歴史を語る上で欠かせない「ガマ」は、自然にできた洞窟です。沖縄には、平和学習で見学に訪れる学生が多いガマや、戦争で亡くなった方の遺骨や遺品が残るガマなどがあります。沖縄本島や離島にある有名なガマを、詳細情報もあわせてご紹介します。

沖縄で有名な「ガマ」とは?戦争の歴史や心霊情報・見学ポイントを解説!のイメージ

目次

  1. 1沖縄で有名なガマとは?
  2. 2沖縄のガマの種類や戦争の歴史について
  3. 3沖縄戦の歴史について簡単に解説
  4. 4沖縄本島の有名なガマ一覧【13箇所】
  5. 5沖縄離島の有名なガマ一覧【4箇所】
  6. 6沖縄のガマ荒らしの問題について
  7. 7ガマから沖縄戦を学ぼう!

沖縄で有名なガマとは?

沖縄県には「ガマ」と呼ばれる自然壕が、県内各地にあります。戦争の歴史においても欠かせない重要な戦争遺跡で、平和学習の体験に訪れる学生や洞窟内の見学へ訪れる方も多いです。戦争中に多くの方が命を落としたガマには、遺骨や遺品が残る有名な洞窟もあります。

沖縄県のガマにはいくつか種類もあり、それぞれのガマには忘れてはいけない戦争の歴史が残っています。心霊スポットとして話題になるガマも多くありますが、心霊現象の体験へ訪れる前に、ガマの歴史や種類を学ぶことをおすすめします。

沖縄に多数ある自然洞窟

「ガマ」は沖縄の方言で、自然にできた横穴の洞窟を意味しています。沖縄県には雨水の浸食でできたガマが多くあり、ほとんどのガマが石灰岩で形成された鍾乳洞です。鍾乳洞の美しい景観が残ったガマもあり、沖縄の人気観光地として有名なガマもあります。

学生の平和学習にもよく訪れられる場所

ガマは沖縄戦の歴史を学べる大切な戦争遺跡で、県内外の学生たちが平和学習体験へ訪れます。沖縄県には多数のガマが点在していて、現在もまだ遺骨が残っていたり、調査が進んでいないガマもあります。

実際にガマの内部を見学し、雰囲気を体験することは、貴重な平和体験学習です。遺族の方やガマを管理する地元の方々と一緒に、ガマに残された遺骨収集に取り組む学生団体もあります。当時のまま残るガマは、忘れてはいけない歴史を学べる大切な遺跡です。

沖縄のガマの種類や戦争の歴史について

沖縄県にあるガマには、いくつかの種類があります。戦争が起きる前と後でガマの用途は変わり、種類も変化しました。沖縄県は、日本で唯一地上戦が行われた土地でもあり、ガマの種類を知ることは沖縄の歴史を知ることにもつながります。

沖縄のガマには、たくさんの住民を守ったガマもあれば、多くの命が失われたガマもあります。ここでは、ガマの種類や沖縄戦に関して詳しくご紹介していきます。

ガマの種類

ガマは自然の力でできた、歴史の深い洞窟です。沖縄県民の生活の一部であったガマは、戦前は食料倉庫やゴミ捨て場、聖域などの役割を持っていましたが、ガマの種類は沖縄戦によって大きく変化します。沖縄戦によって、ガマは大きく3種類の役割を持つようになりました。ここからは、3種類のガマについて詳しくご紹介していきます。

生活用のガマ

1つ目の種類は、避難してきた住民たちが使用していた生活用のガマです。地上戦が行われた沖縄では、多くの住民たちが避難せざるを得ない状況でした。ガマの中にはたくさんの人が入って生活できる大きなものも多く、避難した住民たちは命を守るために身を寄せ合って生活していました

軍の陣地用のガマ

2つ目の種類は、沖縄戦に備えて使用されていた軍の陣地用のガマです。沖縄戦の攻撃作戦を展開するために、日本軍はガマを陣地として使用していました。アメリカ軍への特攻を待つ隊員や、部隊の幹部らが生活していたガマもあります。

軍の陣地用であったガマにはアメリカ軍からの激しい攻撃を受けたガマもあり、たくさんの遺骨が採集されたガマや今も遺骨の残るガマがあります。

野戦病院用のガマ

3つ目の種類は、激しい戦争で傷病した兵士の治療に使用されていた野戦病院用のガマです。野戦病院にいた看護学生や病院の先生たちは、自分たちも辛い状況にありながら負傷した方の看護をしていました。

野戦病院用のガマには、沖縄県の有名な歴史スポットになっている場所があります。十分な治療を受けらなかった方や学徒隊として集められた女学生の多くが命を落とした場所でもあり、亡くなった方々の遺骨が残るガマもあります。

防空壕とガマの違いは?

大きく3種類の役割を持っていたガマですが、沖縄県以外の方には防空壕の方が馴染みがあるかもしれません。ガマは自然にできた鍾乳洞や洞窟であるのに対し、防空壕はコンクリートなどで補強された部分がある人工的な施設です。

補強されている防空壕は、自然にできたガマよりも攻撃に耐えられる作りであったことから、日本軍の基地など重要な施設に利用されることが多かったです。

沖縄戦の歴史について簡単に解説

沖縄県には、日本人が忘れてはならない深い歴史があります。1941年に始まった太平洋戦争により、沖縄はアメリカ軍の激しい攻撃を受けることになります。1945年にアメリカ軍が沖縄本島へ上陸し、多くの住民たちがガマへ避難しました。多くの尊い命が失われた沖縄戦は、後世にも語り継がなければならない日本の歴史です。

日本で唯一地上戦が行われた

沖縄県は、太平洋戦争時に日本で唯一地上戦が行われた場所です。1944年、沖縄県は那覇を中心とした本島に、アメリカ軍の激しい空襲攻撃を受けていました。翌年、アメリカ軍は日本本土へ攻撃するための拠点にしようと沖縄に攻め入り、日本軍との地上戦を開始しました。

日本軍はアメリカ軍が日本本土へ上陸することを懸念し、持久作戦を実行したため、約3ヶ月間にも渡る激しい空襲や攻撃が沖縄で繰り広げられました。その後、日本本土へアメリカ軍が上陸することはなく、沖縄が唯一の地上戦が行われた場所となりました。

民間人が戦に巻き込まれる

地上戦が行われた沖縄では、多くの民間人が犠牲になりました。日本軍とアメリカ軍の激しい戦いに巻き込まれて命を落とした住民の中には、幼い子どもも多くいました。

巨大な戦力で沖縄に上陸したアメリカ軍に対抗するため、沖縄に住む学生たちが兵に集められたり、野戦病院に学徒隊で送り込まれた女学生もいました。沖縄戦により県民の4人に1人が亡くなったとされていて、たくさんの尊い住民たちの命が犠牲になりました。

避難所としてガマを使用

アメリカ軍の上陸により、住民たちは身を守るためガマに避難して生活していました。ガマは自然にできた洞窟のため入り口が狭いものが多く、アメリカ軍から隠れるための避難壕に最適でした。多くの住民たちの命を救ったガマがある一方で、アメリカ軍の激しい攻撃を受けたり、集団自決に追い込まれて多くの命が失われたガマもありました

沖縄本島の有名なガマ一覧【13箇所】

沖縄本島には、数多くのガマが点在しています。沖縄の歴史を知れる貴重なガマには、洞窟内を見学して平和学習体験のできる有名なガマや、遺骨や遺品が残されたままのガマなどがあります。ここからは、沖縄本島にある14のガマを詳細情報と合わせてご紹介していきます。

本島のガマ①轟の壕

沖縄本島の糸満市にある「轟の壕」は、全長約100メートルある大きなガマです。1945年に当時の沖縄県知事や県庁職員が避難し、沖縄県庁最後の地とも呼ばれる沖縄本島の中でも有名なガマの1つです。轟の壕は、個人での見学や平和学習で訪れることもできます。階段を降りた先にガマの入り口がありますが、壕内は暗いため注意が必要です。

轟の壕の基本情報

住所 沖縄県糸満市伊敷
料金 無料
アクセス 那覇空港より車で約30分
駐車場 なし
URL 公式HP

本島のガマ② ひめゆりの塔

「ひめゆりの塔」は、戦争中に看護要員として陸軍病院へ動員されたひめゆり学徒隊や病院職員が避難したガマの上に建てられた慰霊碑です。アメリカ軍の攻撃を受け、多くの人が命を落とし、戦争の犠牲となった場所です。

ひめゆりの塔には、ひめゆり平和祈念資料館が併設されています。記念館には、沖縄戦の歴史やひめゆり学徒隊の体験を学べる展示やジオラマがあります。沖縄県でも有名な歴史スポットであり、戦争について学べる沖縄県民にとっても大切な場所です。

ひめゆりの塔の基本情報

住所 沖縄県糸満市字字伊原671−1
営業時間 9:00〜17:30
定休日 年中無休
料金 無料
アクセス 那覇空港より車で約40分
駐車場 あり(無料)
URL 公式HP

本島のガマ③アブチラガマ

アブチラガマは、沖縄本島の南部に位置するガマです。沖縄の方言で、「アブ」は深い縦の洞穴、「チラ」は崖のことを意味します。周辺集落の避難用洞窟として利用されていましたが、沖縄戦の南下とともに陸軍病院の分室として使われるようになりました。アブチラガマの見学は可能ですが、事前に予約が必要となりますので注意が必要です。

アブチラガマの基本情報

住所 沖縄県南城市玉城糸数667-1
営業時間 9:00〜17:00
定休日 年末年始
料金 《個人》
大人300円、小人150円、減免対象者50円
《団体(20人以上)》
大人250円、小人150円
アクセス 那覇空港より車で約40分
駐車場 あり
URL 公式HP

本島のガマ④民間防空壕郡

民間防空壕郡は、沖縄県南城市にある沖縄戦最大の住民壕です。約60もの壕が山沿いに連なっていて、その長さは1キロメートルに及びます。戦争中は約600人の住民が生活していましたが、アメリカ軍の激しい攻撃に遭い多くの人が犠牲になりました。命を落とした人の中には、集団自決で亡くなった人がいることもわかっています。

民間防空壕郡は無料で見学することができますが、足元が滑りやすく、夜には真っ暗な場所ですので注意が必要です。

民間防空壕郡の基本情報

住所 沖縄県南城市玉城前川
料金 無料
アクセス 那覇空港より車で約30分
駐車場 あり
URL 公式HP

本島のガマ⑤沖縄陸軍病院南風原壕群20号

沖縄陸軍病院南風原壕郡20号は、野戦病院として使用されていた種類の1つです。戦争中、疾病した兵士たちが次々に運び込まれ、院長や軍医、ひめゆり学徒たちが治療をおこなっていました。現在、壕の中にはその当時の様子を再現した模型や体験者の方々の証言が展示されています。

ガマの周辺には、他にも戦争の歴史を学べる施設があるので、平和学習にもぴったりの場所です。見学の際は、事前予約が必要です。

沖縄陸軍病院南風原壕群20号の基本情報

住所 沖縄県島尻郡南風原町
営業時間 9:00〜17:00
定休日 毎週水曜日、年末年始
料金 《町内見学者》
一般200円、小中高生50円
《町外見学者》
一般300円、高校生200円、小中学生100円
アクセス 那覇空港より車で約25分
駐車場 あり
URL 公式HP

本島のガマ⑥白梅壕

白梅壕は糸満市真栄里にあるガマで、野戦病院の種類に分類されます。上と下にそれぞれ壕があり、上の壕は食糧や弾薬の倉庫として使われ、下の壕では学徒隊が負傷兵の看護をおこなっていました。アメリカ軍の攻撃を受け、16人のうち10人もの学徒たちが犠牲となりました。

亡くなった方々の心霊が弔われているため、夜に女性の声が聞こえたといった心霊現象を体験している人も少なくありません。

白梅壕の基本情報

住所 沖縄県糸満市字真栄里
料金 無料
アクセス 那覇空港より車で約35分
駐車場 あり
URL 公式HP

本島のガマ⑦海軍壕公園

海軍壕公園には、旧海軍の司令部として使われていた旧海軍司令部壕があります。アメリカ軍の激しい攻撃に耐えるために掘られた洞窟は、当時450メートルの長さがあったとされています。

終戦後、遺骨の収集作業がおこなわれ、沖縄戦の歴史を後世へ残すために復元されました。旧海軍司令部として使われていた当時の様子を再現した壕内では、戦争の歴史を深く知り、学ぶことができます。

海軍壕公園の基本情報

住所 沖縄県豊見城市字豊見城236番地
営業時間 《7月〜9月》 8:30〜17:30
《10月〜6月》 8:30〜17:00
定休日 年中無休
料金 《個人》
大人450円、小人230円
《団体(20名以上)》
大人400円、小人200円
アクセス 那覇空港より車で約15分
駐車場 あり
URL 公式HP

本島のガマ⑧第32軍司令部壕

第32軍司令部壕は、沖縄県の有名な観光スポットである首里城公園の地下にあります。沖縄守備軍の戦闘司令所があった場所で、全長は1,000メートルにも及びます。戦争中は、約1,000人が生活をしていたとされていて、洞窟内にはトイレや浴室も完備されていました。

アメリカ軍の攻撃を受けて激しく崩落しているため、現在は入り口のみしか見学できません。第32軍司令部壕では、多くの戦死体や遺骨が収容されていて、沖縄戦の辛い歴史を物語っています。

第32軍司令部の基本情報

住所 沖縄県那覇市首里真和志町1丁目龍潭池
定休日 なし
料金 無料
アクセス モノレール首里駅より徒歩約10分
駐車場 なし
URL 公式HP

本島のガマ⑨幸地の壕

幸地の壕は、アメリカ軍と日本軍が激しく対抗した幸地地区にあります。幸地の壕は激戦地区にあったため、激しい被害を受けました。壕には、戦争の犠牲となった方々の遺骨や遺品が今もまだ埋まっています。現在も崩壊の恐れがあるので、一般の人が近づくのは危険ですので注意が必要です。

心霊現象が起きると噂もあるので、心霊スポットの好きな人のなかには訪れる人もいると思います。ですが、心霊体験を目的に興味本位で行かれるのは危険です。幸地の壕へ不必要に近づくことは控えてください。

幸地の壕の基本情報

住所 沖縄県中頭郡西原町幸池公民館付近
アクセス 那覇空港より車で約40分
駐車場 なし

本島のガマ⑩クマヤーガマ

クマヤーガマは、沖縄県北谷町の砂浜海岸にあるガマです。戦争中、住民たちの避難壕として利用されていて、数百人の人たちが避難していました。クマヤーガマは昔から霊域として有名でした。アメリカ軍が沖縄本土へ上陸した際には、クマヤーガマに避難していた住民たちはガマから出ていたため、全員が無事だったという話は有名です。

クマヤーガマはクマヤー洞穴遺跡とも呼ばれていて、心霊を弔う大切な場所として住民たちが管理しています。内部の見学はできませんが、クマヤーガマの入り口まで行き、洞窟の中を覗くことができます。

クマヤーガマの基本情報

住所 沖縄県中頭郡北谷町字砂辺50
料金 無料
アクセス 那覇空港より車で約1時間
URL 公式HP

本島のガマ⑪シムクガマ

戦争時、アメリカ軍が上陸した場所である読谷村波平区では、住民たちの避難所として2つのガマがありました。その1つがシムクガマです。沖縄の方言で「シム」は下、「ク」は向くを意味していて、谷の下にあるガマだったことからこの名が付けられました。

戦争中、約1,000人もの村の住人たちがシムクガマへ避難していました。アメリカ軍が洞窟内に攻め入ってきた際、ハワイからの帰国者であった2人の男性は避難者たちに投降するよう説得しました。これにより多くの人の命が救われ、2人への感謝の意を込めた記念碑が洞窟内に建てられています。

シムクガマの基本情報

住所 沖縄県中頭郡読谷村字波平438
定休日 なし
料金 無料
アクセス 那覇空港より車で約1時間15分
駐車場 なし
URL 公式HP

本島のガマ⑫チビチリガマ

読谷村波平区にあったもう1つの避難壕がチビチリガマです。沖縄の方言で「チビ」は尻、「チリ」は切るを意味していて、ガマへ流れてくる細い谷川がどこへ流れ着くのか分からないことから名付けられました。チビチリガマは、避難者140人のうち83人の住民が亡くなったとされる集団自決が行われた場所として有名です。

アメリカ軍から逃れるために、肉親相互で殺しあった悲しい歴史があります。入口には「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」が建てられていますが、洞窟内に入ることは遺族会の方々の意思により禁止されています。

チビチリガマの基本情報

住所 沖縄県中頭郡読谷村字波平1153
アクセス 那覇空港より車で約1時間10分
※洞窟内は立ち入り禁止
駐車場 あり
URL 公式HP

本島のガマ⑬万座毛

万座毛は沖縄でも有名な観光スポットとして知られていますが、実は戦争の悲惨な歴史が残るスポットでもあります。万座毛は象の鼻のような形をした岩場が有名ですが、近くに「ウドゥイガマ」と呼ばれる恩納村指定文化財にも指定されているガマがあります。

万座毛の絶壁には、戦争中アメリカ軍からの銃撃や爆撃から逃げてきた多くの住民たちが、自ら飛び降りて命を落とした悲しい歴史があります。心霊スポットとして話題になることも多い場所ですが、心霊体験の前に万座毛の歴史を知ることも大切です

万座毛の基本情報

住所 沖縄県恩納村恩納
料金 無料
アクセス 那覇空港より車で約1時間30分
駐車場 あり
URL 公式HP

沖縄離島の有名なガマ一覧【4箇所】

沖縄県にはたくさんの離島があり、観光地としても人気の島も多くあります。離島の中には、太平洋戦争中に空襲や激しい爆撃を受けた島もありました。離島にも戦争遺跡であるガマが多く残っています

住民の命がたくさん失われ、遺品や遺骨が残されたままのガマもあります。ここでは、離島にある有名なガマを4つご紹介していきます。

離島のガマ①特攻艇秘匿壕郡

特攻艇秘匿壕郡は、沖縄県宮古島市の海岸近くに点在しているいくつかの壕です。全長約300メートルにもなる洞窟で、海軍部隊が特攻艇の格納秘匿壕として使用していました。特攻兵器を隠しておくために作られ、アメリカ軍への特攻を待つ隊員たちも生活していました。

現在は雑草が生い茂っていて洞窟はわかりにくく、洞窟内の見学は許可が必要になりますので注意が必要です。

特攻艇秘匿壕郡の基本情報

住所 沖縄県宮古島市平良狩俣2511
料金 無料
アクセス 宮古空港より車で約25分
URL 公式HP

離島のガマ②白水の戦争遺跡群

白水の戦争遺跡群は、沖縄県の有名な離島の1つ石垣島にある戦争遺跡です。戦争中に、島民たちが空襲から逃れるために避難していた防空壕や、格納庫として使用されていた壕などの跡が残っています。避難していた島民の中でマラリアが流行し、約2,500人もの方がなくなった歴史もあります。現在、見学などで敷地へ立ち入ることは原則禁止されています。

白水の戦争遺跡群の基本情報

住所 沖縄県石垣市字名蔵1355−83
アクセス 新石垣空港より車で約35分
駐車場 なし
URL 公式HP

離島のガマ③アハシャガマ

アハシャガマは、戦争で激戦地となった沖縄県伊江島にあるガマです。激しい爆撃を受け、1,000人以上もの島民が犠牲となりました。避難用ガマとして使われていたアハシャガマでは、防衛隊が持ち込んでいた爆雷で自爆し、約150人もの方が命を落としています

今もなお、洞窟内には島民が使っていた食器や茶碗などの遺品が残されていて、自由に見学もできます。悲惨な歴史を物語り、2度と戦争が起きてはならないことを伝える貴重なガマです。

アハシャガマの基本情報

住所 沖縄県国頭郡伊江島
料金 無料
アクセス 那覇空港よりバスで約2時間
駐車場 なし
URL 参考HP

離島のガマ④ニャティヤ洞

ニャティヤ洞は、伊江島にある観光スポットとしても有名な場所です。戦争中には多くの住民たちが避難し、奥行きのある広い洞窟であることから「千人ガマ」とも呼ばれています。

島民たちにとっては祈りを捧げる神聖な場所であり、子宝に恵まれるといわれるビジル石があることでも有名です。近年、心霊スポットとして訪れる人もいますが、島民にとって大切な聖域でもあるため、心霊体験を目当てに訪れるのは控えてください。

ニャティヤ洞の基本情報

住所 沖縄県国頭郡伊江村川平
料金 無料
アクセス 伊江港より車で約10分
駐車場 あり
URL 公式HP

沖縄のガマ荒らしの問題について

沖縄のガマは、沖縄県民にとってはもちろん、すべての日本人にとって忘れてはならない歴史を物語る場所です。沖縄戦の犠牲となった方々を弔う慰霊碑が建てられているガマや、住民にとって心霊を弔う大切な場となっているガマもあります。

しかし最近、亡くなった方の遺骨が残されていたり、心霊体験ができるといって、興味本位でガマへ訪れる人も少なくありません。中には、ガマの中を荒らす人がいると問題になっています。

2017年にガマ荒らし事件

2017年に起きた「チビチリガマ荒らし事件」は、沖縄県民をはじめ日本中に衝撃を与えました。沖縄県の少年たちが心霊体験を目的にチビチリガマへ訪れ、千羽鶴を引きちぎったり、ガマの中の遺品や遺骨を荒らした事件です。集団自決で尊い命が失われたチビチリガマで起きた悲しい事件に、多くの人が心を痛めました。

ガマ荒らしは頻繁に起こる

戦争を体験した世代が少なくなっている現在、ガマ荒らしは頻繁に起きています。チビチリガマ事件を起こした少年の中には、チビチリガマで起きた歴史を知らなかったと話す少年もいました。ですが、ガマ荒らしは知らなかったでは済まされない犯罪行為です。心霊スポットとして訪れる前に、ガマの歴史を知ることが現代を生きる私たちに必要なことです。

見学はマナーに注意して!

沖縄県のガマはたくさんの方が命を落とした戦争遺跡です。当時のままで残されているガマには、遺骨や遺品が残っている場所もあります。遺族の方々の意思により、立ち入ることが禁止されているガマもありますので注意が必要です。洞窟内の見学やガマの雰囲気を体験する際には、事前に注意事項を確認し、きちんとマナーを守ってください

心霊を弔っている神聖な場所

戦争を体験した方や亡くなった遺族の方にとって、ガマは亡くなった方への冥福を祈る場所でもあります。崩壊の危険があるため遺骨や遺品の収集ができずに残されているガマもあります。ガマは心霊を弔う場所であり、私たちに歴史を伝える大切な戦争遺跡です。

ガマから沖縄戦を学ぼう!

沖縄県には、観光スポットとしても知られるガマが多数点在しいます。沖縄のガマへ訪れることは、戦争の歴史を知ることにもつながります。美しい自然と青い海が魅力的な沖縄県に観光で訪れる人は多いと思います。ぜひ沖縄へ訪れる際には、貴重な戦争遺跡であるガマを訪れて、沖縄の歴史を学んでみてください

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この記事のライター
ちすけ
美味しいお酒と温泉が大好きです!旅行の前は必ずおいしいお酒が飲めるお店を事前にチェックして行きます。

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