長崎の世界遺産「軍艦島」の歴史とは?強制連行や戦争との関係は?

長崎の世界遺産「軍艦島」についてご存知でしょうか。明治維新後、日本の経済を支えてきた軍艦島ですが、韓国側からは強制連行の歴史があったと主張されています。軍艦島はどんな歴史が刻まれた島なのかを解説していきます。その昔遊郭があったとの噂にも迫ります。

長崎の世界遺産「軍艦島」の歴史とは?強制連行や戦争との関係は?のイメージ

目次

  1. 1「軍艦島」の歴史とは
  2. 2「軍艦島」の歴史 【明治~昭和初期】
  3. 3「軍艦島」の歴史 【昭和初期~現在】
  4. 4「軍艦島」と韓国との関係
  5. 5「軍艦島」に思いを馳せよう!

「軍艦島」の歴史とは

軍艦島をご存知でしょうか。名前くらいは聞いたことがあるという方もいらっしゃると思います。軍艦島は長崎県が所有する島で江戸時代後期から日本を代表する炭鉱として栄えました。軍艦島の歴史についてその始まりから明治~昭和初期、昭和初期~現代に分けて解説します。

長崎県長崎市にある人工島

「軍艦島」は長崎県長崎市にある人工島です。今ある島の姿は幾度か埋め立てがなされ、元の島の3倍くらいの大きさになっています。今では幽霊島と化している島ですが、海底炭鉱で栄えていた時期は世界一の人口密度を誇っていたという歴史があり、その記録は今だに破られていません。

正式名称は端島

軍艦島の正式名称は端島(はしま)と言います。軍艦島が栄えていた頃には高層アパートが立ち並び、軍艦「土佐」にその姿が似ていることから「軍艦島」と名付けられました。

軍艦島という名前はあくまで通称ですが、軍艦島としての名前が印象的でイメージにもあっているため、今でも軍艦島の名前で呼ばれることが一般的となっています。

「軍艦島」の基本情報

名称 端島 (はしま、通称・軍艦島)
住所 長崎県長崎市高島町
アクセス ツアー会社により異なる
公式HP http://gunkanjima-nagasaki.jp/
営業時間 ツアー会社により異なる
備考 ツアー会社を使ってのみ上陸可

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「軍艦島」の歴史 【明治~昭和初期】

明治~昭和初期にかけては日本でも有数の大財閥の傘下となり軍艦島は栄華を極めます。炭鉱夫たちも強制労働を強いられる生活から一転日本の生活水準を上回る暮らしぶりへと変わっていきます。その歴史についてご案内します。

1810年に石炭が発見される

軍艦島の歴史は端島で1810年の江戸時代に石炭が発見されたことが軍艦島の歴史の始まりでした。この辺りで漁をする漁師が岩礁に露出した石炭を発見したのです。

近隣の漁師が採掘していた

江戸時代後期までの歴史によると、地元の漁民による小規模な採炭が行われているのみでした。1887年には軍艦島で最初の竪坑である「第一竪坑」が掘られました。第一竪坑はおよそ36mありました。

1890年に所有者が三菱社に譲渡

軍艦島が炭鉱として歴史的な躍進をとげるきっかけとなったのが1890年の三菱社による買収です。その翌年から炭鉱としての掘削が本格化します。1896年にかけて第二竪坑、第三竪坑が掘られ、この辺りで大きな炭鉱であった高島炭鉱を抜く勢いとなりました。

本格的な海底炭鉱として採掘が始まる

軍艦島へ三菱の手が入るのと同時に明治維新からの日本近代化におされて軍艦島では本格的な炭鉱としての採掘が始まった歴史があります。この頃に掘られた竪坑は海面からおよそ1,010mにも及びました。

西洋技術が入ると炭田の開発も進み、炭鉱産業は日本を支える基幹産業となります。軍艦島で採掘される石炭は国内で最も質が良いとされ、歴史上、日本の近代化を支えた八幡製鉄所の原料炭としても使われました。

三菱の傘下に入るまで強制連行された炭鉱労働者は納屋制度という制度の下、狭い部屋に押し込まれて朝から晩まで重労働させられるといった劣悪な環境で働かされていた歴史があります。三菱の傘下に入る1890年代頃にこの状況が問題視され、納屋制度は廃止されました。

大正から昭和にかけて最盛期を迎える

軍艦島は大正から昭和にかけて最盛期を迎えます。納屋制度が廃止され、軍艦島は労働者のための環境が整備されていきます。

炭鉱での仕事が戦後の日本経済を支える要となり、炭鉱労働者の福利厚生が整備されました。噂が人を呼び、国内外から仕事を求めて軍艦島への移民が増えていったのです。大正から昭和にかけての発展の歴史について解説します。

日本初の鉄筋コンクリートの高層集合住宅が建つ

軍艦島は当時では先進的な生活を送ることができました。歴史上日本初の鉄筋コンクリートの高層集合住宅が建てられたのは軍艦島だといわれています。今では廃墟と化した7階建ての住宅30号練には当時の住民が最先端を行く生活をしていた様子が垣間見られます。

戦争後の高度成長期になると当時では高級品であった冷蔵庫、洗濯機、テレビが軍艦島ではいち早く取り入れられました。今でも廃墟となっている住宅の中に当時の家電が残されています。当時の炭鉱夫の給与は陸軍二等兵の19倍もあったと噂されています。

病院、浄化水槽、小学校や保育園も!

1960年頃の軍艦島の人口はおよそ5,000人に及びました。島民には炭鉱夫だけでなく、その家族や子供がいたので、病院、浄化水槽、小学校や保育園などの施設も整えられました。幼稚園は軍艦島で一番大きな建物の屋上にあったそうです。

公共浴場や映画館・遊郭などもあった

軍艦島には公共浴場や映画館もありました。公共浴場は無料で開放され、炭鉱夫は仕事終わりから家に帰る前にそこで汗や汚れを洗い落とすことができました。その他、軍艦島には遊郭などもあったという噂があります。

遊郭といっても吉原のように塀で囲われているようなものではなく、一つの建物に入る単体の店でしたが、軍艦島の島民たちはみな「遊郭」と呼んでいたそうです。軍艦島には7つの遊郭があり、1階は朝鮮人専用であったとの噂です。

1957年には日本に買収防止法が施工され、遊郭は廃止されました。しかし、その後も小料理屋と扮した遊郭は実在し、遊郭目当てに軍艦島へ行ったことがあるという証言もあります。

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「軍艦島」の歴史 【昭和初期~現在】

昭和初期~現在にかけてはエネルギー革命が起こり、軍艦島の炭鉱産業は衰退の一途をたどります。島民は島を去り、軍艦島は廃墟と化します。ところが2000年代に入り、軍艦島は観光産業としての盛り上がりを見せます。その歴史について説明します。

1960年以降はエネルギーが石炭から石油に移行

戦争前から戦争後にかけて日本の復興を支えた石炭産業ですが、1960年代にエネルギー革命が起こり、エネルギーが石炭から石油へと移行するにつれて軍艦島の産業は徐々に衰退し始めます。

さらには衰退を後押しする出来事も続きます。1962年に原油の輸入自由化1964年の火災事故に伴う消火活動により炭鉱の最深部が水没し、炭鉱の規模は徐々に縮小されて行きました。

1974年1月15日に閉山

1965年に新坑が開拓され、一時期は持ち直したものの時代の流れにあらがえず、ついに1974年1月15日に軍艦島は閉山となり、世界一の人口密度で賑わう島として栄えた歴史に幕を閉じます。

4月20日には住民全員が離島し無人島に!

1974年4月20日には島に残っていた約2,000人の島民が一斉退去し、軍艦島は無人島となりました。かつては世界最高の人口密度を誇っていた軍艦島は、人の手が加えられることのない虚無の地となったのです。

2000年になり廃墟ブームで再び注目される

忘れ去られた軍艦島は2000年になると廃墟ブームで再び注目されます。軍艦島の歴史がまた新たな幕を開けました。事の発端は、とある研究者によるSNS拡散という噂もありあます。その後は歴史的にも価値の高い廃墟群が著名なハリウッド映画のセットモデルに採用されるなどしました。

2015年には世界遺産に登録

2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として他県の23施設と共に世界遺産に登録されました。軍艦島は海外からも訪れたい歴史的観光スポットとして再び脚光を浴びはじめたのです。しかし、世界遺産登録までの道のりは決して容易くはありませんでした。

「軍艦島」と韓国との関係

軍艦島が世界遺産に登録されるにあたり、軍艦島の歴史に関して韓国側と対立が起こります。その対立は現在も決着がついていません。この軍艦島にまつわる強制連行の歴史問題は当事者だけでなく、私たち日本人が韓国との歴史を改めて考察すべき問題として考えられます。

韓国は世界遺産登録に反発

軍艦島が世界遺産に登録されるにあたり、韓国からの反発にあう出来事が起こります。軍艦島に残される歴史は韓国にとってネガティブで痛ましい歴史であるという主張がなされます。

戦争中に朝鮮人への強制労働があったと主張

軍艦島が世界遺産に登録される過程で、韓国側から戦争中に連行された「朝鮮人の強制労働の歴史」があったという主張があり、一時期に登録が見送られました。

証言や写真などを公開

韓国側は連行された炭鉱夫は寝る間もなく働かされ、差別的な扱いを受けた歴史があると証言したり、やせ細った炭鉱夫が重たい荷物を無理やり運ばされる写真を公開しました。その写真を見て多くの人が朝鮮人の強制労働は事実であったと感じました。

しかし、証拠として挙げられた写真は軍艦島ではない場所で全く違う時代に撮影されたものということが韓国の公共放送にて報じられ、捏造であったことが公表されました。

2017年には「軍艦島」という映画も公開

2017年に韓国で「軍艦島」という映画が公開されました。これは戦争中に軍艦島に連行された朝鮮人が強制労働を強いられた歴史を描くという、日本に対する痛烈な歴史的批判を題材にした内容でした。

戦争が終結し、日本経営者が強制連行の事実を隠ぺいするために朝鮮人を坑道に閉じ込めて殺害することを画策したと、実際の歴史を歪曲(わいきょく)した内容になっています。

日本も当時の給料明細などの資料を公開し対抗

連行された朝鮮人が不当な強制労働を強いられた歴史があると主張する韓国に対して、日本も当時の給料明細などの資料を公開し対抗しました。そこには日本の軍人よりも高い給料がもらえていたことや三日に一回は休みであったことが事実として記されています。

また、噂によると当時の炭鉱夫は賃金の高い仕事であったため、連行どころか密入国までして仕事に付こうとしていた人もいたという説もあります。

現在も平行線のまま

軍艦島は世界遺産に登録されましたが、反論する韓国側とは現在も平行線を保ったままです。映画軍艦島が公開されてからは戦争中の徴用工問題も含めて韓国での反日感情が広がりつつあります。
 

日本はそれに対し「意思に反して」連れてこられた朝鮮半島出身者の存在は認めていますが、日本人との待遇に差は無かったことを主張しています。2020年3月には「産業遺産情報センター」が東京に設置され、軍艦島では出身国による差別の歴史は無かったという、在日韓国人2世の方の証言などを動画で公開しています。

戦争中の朝鮮人の強制労働の問題については今でも決着がついていません。いずれにせよこの問題は歴史的史実が噂やメディア、政治によって歪められることがあり、情報のあふれる社会で何が真実かを見極める重要性を私たちに教えてくれています。

「軍艦島」に思いを馳せよう!

いかがでしたでしょうか。軍艦島には近代化の日本を支えてきた歴史的背景を知る面白さが秘められています。また、建築物としても魅力のある島です。軍艦島についてまつわる歴史について考察しながら訪れるとまた一味違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。

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