「犬鳴峠」のトンネルは日本最恐?過去の事件や心霊現象・犬鳴村伝説を解説!

福岡県にある「犬鳴峠」は、日本最恐の心霊スポットとして有名です。犬鳴峠では、犬鳴トンネルや犬鳴村など多くの心霊体験談があります。今回は犬鳴峠にまつわる心霊体験談や都市伝説を紹介するとともに、実際に起こった事件や犬鳴峠をモデルとした映画などを解説していきます!

「犬鳴峠」のトンネルは日本最恐?過去の事件や心霊現象・犬鳴村伝説を解説!のイメージ

目次

  1. 1日本最恐心霊スポットと言われる「犬鳴峠」
  2. 2「犬鳴峠」で起こる心霊現象とは?
  3. 3「旧犬鳴トンネル」の現在は?通行止め?
  4. 4「犬鳴峠」の過去に起きた事件の概要
  5. 5「犬鳴村伝説」について
  6. 6「犬鳴峠」はホラー映画のモデルに
  7. 7「犬鳴御別館跡」に関する過去
  8. 8「犬鳴峠」は悲惨の過去がある心霊スポットだった

日本最恐心霊スポットと言われる「犬鳴峠」

病院や廃墟となった施設、お墓など日本には、数多くの心霊スポットがあります。その中でも、最も怖い心霊スポットと言われているのが「犬鳴峠」です。

犬鳴峠には実際に起こった事件など様々な怖い話があり、多くの人からとても恐れられています。最近では、映画化されたことで再び注目を浴びるようになった犬鳴峠。今回は、犬鳴峠に伝わる伝説や実際に起きた事件などを元に、犬成峠に焦点を当てて詳しくご紹介していきます。

場所は福岡の久山町と宮若市の境

犬成峠の伝説や事件など解説する前に、まずは犬成峠について簡単に説明していきます。まずは、犬成峠がある場所についてです。犬成峠は福岡県にあり、宮若市と糟屋郡久山町の境にあります。

犬鳴峠は北九州市方面と福岡市方面を行くために適している道で、1975年に新犬鳴トンネルが開通したことにより、とても便利な道路となりました。しかしながら新犬鳴トンネルが完成する前は、旧犬鳴トンネルを通らないといけないため、急カーブが連続した非常に走り難い道でした。

そして心霊スポットとして有名なのは、新犬鳴トンネルではなく、過去に使用されていた旧犬鳴トンネルです。なお旧犬鳴トンネルの概要については、後ほど詳しくご紹介します。

名称の由来は?

なぜ、犬鳴峠は「犬鳴」と呼ばれるようになったのでしょうか?犬鳴峠のすぐ近くには、「犬鳴山」があります。犬鳴山には古くから伝わる伝説がいくつかあり、その伝説からこの地域は「犬鳴」と呼ばれるようになりました。

大昔、愛犬と一緒にこの地に来た猟師がいたことがきっかけです。狩りをしにやってきた猟師は、愛犬がいつも以上に吠えることに五月蠅く思っていました。

あまりにも吠え続けるので苛立った猟師は、愛犬を銃で殺害。殺してしまった後にふと我に返ると、犬が吠えていた目線の先には大きな蛇がいました。愛犬は主人に対し危険を察知してほしくて泣いていたのです。後悔した猟師は、頭を丸めて出家したという伝説です。

その他にも、犬鳴山はとても深く登れないため犬が悲しくて鳴いていた説など、「犬鳴峠」には様々な由来があります。

犬鳴峠の古称は「久原越え」

今は広く名前が知れ渡っている犬成峠ですが、かつては「久原超え」とも呼ばれていました。江戸時代の初めころには、すでに「久原超え」と呼ばれていて道が開通しています。ただし、久原超えはとても険しい山だったことから、あまり利用する人がいなかったそうです。

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「犬鳴峠」で起こる心霊現象とは?

犬鳴峠では、様々な心霊現象が起こると噂されています。では、具体的にどのような心霊現象があるのでしょうか?噂されている3つの心霊体験を紹介していきます。

心霊現象①車に手形が大量に付着

1つめの心霊現象は、手形です。白い車に乗って、「犬鳴峠にあるトンネルを通行すると、車にびっしりと手形が付く」と噂があります。手形は血だったり、黒っぽかったりと様々ですが、白い車で行くのはおすすめしません。

心霊現象②若い女性の霊

2つ目の心霊現象は、女性の幽霊です。犬鳴峠の近くにある電話ボックスで、「女性の幽霊を見た」と言う噂がとても頻発しています。その他にも、中に入ることが出来ないはずの旧犬鳴トンネル内で、「女性のような声が聞こえる」と言った噂があります。

心霊現象③犬の鳴き声が聞こえる

3つ目の心霊現象は、犬の鳴き声です。犬鳴峠を走行していると、どこともなく犬が鳴く声が聞こえると噂されています。また犬の鳴き声だけではなく、「ハッハッ」と息をする犬の音や、闇の中へスッと消えていく犬の幽霊など様々な目撃談があります。

過去には恐怖の電話ボックスがあった?

犬鳴峠では、電話ボックスにまつわる心霊体験談も多くあります。電話ボックスでは、女性の幽霊が居たり、電話をかけようとすると女性の話し声が聞こえてきたり、男女の幽霊など目撃談が数多くありました。

昔は犬鳴峠に電話ボックスがあったそうですが、幽霊の目撃談や肝試しをする人が多いためか撤去され現在はありません。なお撤去後、犬鳴峠から一番近い電話ボックスは、犬鳴峠を越えて犬鳴ダム付近にあります。

「旧犬鳴トンネル」の現在は?通行止め?

伝説が残る「旧犬鳴トンネル」は、現在行くことは可能なのでしょうか?それとも通行止めなのでしょうか?もし行けるとしたら、興味本位で訪れたくなるかもしれません。ここからは、旧犬鳴トンネルの現在についてご紹介していきます。

正式名称は「犬鳴隧道」

現在は「旧犬鳴トンネル」と呼ばれていますが、「旧犬鳴トンネル」の正式名称は「犬鳴隧道」です。犬鳴隧道は、1984年頃にトンネルを作ることが決定し、それから約40年後の1947年に完成しました。

約40年もの月日が経過してしまった理由は、当時はトンネルを作る技術がまだ未熟だったこと、トンネルを掘るのに膨大なお金が必要だったためでした。トンネルの長さは、約150m。現在では心霊スポットとして怖いイメージがある犬鳴隧道ですが、当時も山深くにあり不気味な雰囲気だったことから車の往来は少なかったと言われています。

1975年に新犬鳴トンネルが完成して廃道に

旧犬鳴トンネルは24年ほど使用されましたが、その後新犬鳴トンネルが完成しています。新犬鳴トンネルは1,385mもあり、峠を越えるのがとても便利になりました。新犬鳴トンネルが完成したことによって、旧犬鳴トンネルは廃止。旧犬鳴トンネルへの道も狭くカーブが多いことから廃道となりました。

現在は通行止めになっている

そのため通行止めとなっており、現在旧犬鳴トンネルへ行くことはできません。旧犬鳴トンネルへのアクセスは、新犬鳴トンネル直前に分岐されている道を通るしか方法はありませんが、フェンスによって封鎖されています。フェンスは鍵がかかっているため、許可がないと開けることは不可能です。

崩落の危険性や治安の悪化が理由に

道路を通行止めとした理由は、危険だからです。旧犬鳴トンネルへ行くためには、廃道をしばらく通行しなければなりません。しかしながら、廃道はとても狭くまたガードレールはあるもののガードレールの先は崖となっています。道路も所々陥没してしまっているため、かなり危険です。

そして通行止めとなっている廃道の先には、旧犬鳴トンネルがあります。旧犬鳴トンネルも道路と同じく、大きなブロックで封鎖。通行止めです。

旧犬鳴トンネルは、素掘りのトンネルということもあり、内部崩落の危険性があります。現在も雨水がシトシトと流れていて、いつ崩落するか分かりません。そのためブロックで封じ通行止めとし、中に入れないようにしています。

また通行止めとしている理由は、他にもあります。旧犬鳴トンネル付近は、暴走族の溜まり場となっていて、辺りは不法投棄によるゴミが散乱しています。実際に事件も起こっているため、不用意に近づかないようにしましょう。

携帯の電波が届かない山奥なので注意

通行止めとなっている旧犬鳴トンネルは、とても山奥にあります。携帯電話の電波が届かない場所なので、何か事件や事故に巻き込まれてしまっても助けを呼ぶことはできません。また周辺にはイノシシなどの野生動物も多く出現します。危険性がとても高いため、訪れることをおすすめしません。

「犬鳴峠」の過去に起きた事件の概要

犬鳴峠では、過去に何度か事件や事故が発生しています。事件や事故が多発していることによって、犬鳴峠が心霊スポットとして有名なのかもしれません。では、実際に犬鳴峠ではどのような事件が起こったのでしょうか?過去に起こった凄惨な事件や犯人の概要をみていきましょう。

「犬鳴トンネル焼殺事件」

事件は、1988年12月に起こりました。たまたま車を運転していたAさんを見つけた犯人グループは、「女を送るために車を貸せ」と要求するところから事件は発生します。突然の要求に、Aさんは拒否。それに腹を立てた犯人グループは、Aさんを拉致監禁しました。

Aさんは一度は逃げ出したものの、再び犯人グループに監禁されます。そして執拗に暴力を受けました。暴力は悪化し、福岡県の苅田港でAさんを突き落とそうとするものの、周囲の目を気にして場所を移動します。そして移動した先が犬鳴峠の旧犬鳴トンネルでした。

犯人グループは、頭からガソリンをかけAさんを拘束した上でライターで火を放ち殺害。翌日Aさんは無残な姿で発見され、犯人グループは逮捕されました。あまりにも身勝手で凄惨な事件は、この犬鳴峠で本当にあったことです。なお主犯である犯人は、その後無期懲役が言い渡されています。

他にも多数の交通事故が発生

犬鳴峠では、他にも交通事故や事件が発生しています。2000年には、犬鳴峠近くにある犬鳴ダムで死体が発見される事件が発生しました。死体遺棄事件は詳細がないため、犯人が捕まったなどの情報が不明です。

その他にも2001年には、犬鳴峠に心霊体験をするために訪れていたグループが事故を起こしています。トラックとの正面衝突による事故で、車に乗っていた5人中4人が死亡しました。

「犬鳴村伝説」について

犬鳴峠には、「犬鳴村伝説」が噂としてあります。犬鳴村伝説とは、ネット上にまことしやかに囁かれている伝説です。嘘か本当か真相については不明ですが、ここからは犬鳴村伝説について紹介していきます。

ネットで噂が拡散した都市伝説

ネット上で噂されている「犬鳴村」とは、日本の地図から消された村のことを指します。地図から消えているため、犬鳴村がどこにあるのかは分かっていません。また犬鳴村は、地図から消されていることもあり治外法権で、「一度訪れたら二度と戻れない」とも言われています。

「犬鳴谷村」は犬鳴ダムの底に

犬鳴峠には実際に「犬鳴村」が実在していました。正式名称は、「犬鳴谷村」です。犬鳴谷村は1989年まで存在していましたが、周囲にある他の村と合併。その後も、100人以上が暮らす集落として存在していました。

しかしながら犬鳴ダムが建設することになり、犬鳴谷村に住んでいた住民は引っ越しを余儀なくされました。そして犬鳴谷村は、ダムの底に沈み現在はありません。

伝説①「この先、日本国憲法つうじません」の看板

ここからはネット上に囁かれる犬鳴村の都市伝説を紹介していきます。まず1つ目は、看板です。犬鳴村へ行く途中の道路には看板があり、「この先、日本国憲法つうじません」と記されています。犬鳴村は、その昔激しい差別があったことから外部との接触を著しく避けていて、そのため侵入者を拒む看板が立てられているそうです。

実際に看板があった?

実際に看板があったかどうかは不明です。ただ、犬鳴村伝説の発端となったのは2ちゃんねるの書き込みからでした。

1999年10月の終わりに「犬鳴峠」と言うスレッドが立てられ、犬鳴峠の先には地図に書かれていない村があったと記されています。そして、村の入り口には「この先、日本国憲法つうじません」と言う看板が立っていたと書き込まれていました。

伝説②「白いセダンは迂回せよ」の看板

都市伝説2つ目も看板についてです。犬鳴村には、その他にも「白いセダンは迂回せよ」と看板が立っていると噂されています。白いセダンに乗って犬鳴村へ行くと住民たちが襲ってくるらしいです。白いセダンの噂は他にもあり、犬鳴村にある広場には住民たちによって襲われてボロボロになった白いセダンが置かれているとも言われています。

伝説③斧をもった男に追いかけられた

都市伝説3つ目は、犬鳴村にいる住民についてです。徹底的に外部との接触を断っている犬鳴村に住む住民は、犬鳴村へ訪れる人がいるようならば襲い掛かると噂されています。斧を持った複数の男たちに追いかけられたという話もあります。

伝説④プレハブ小屋やボロボロの木で戸を打ち付けられた家

都市伝説4つ目は、犬鳴村に存在する家屋についてです。犬鳴村には、プレハブ小屋やボロボロの木で戸を打ち付けられた家が存在するようです。

ただし、これは都市伝説でもなく実際に犬鳴峠近くにはプレハブ小屋があったと言われています。2000年に読売新聞で犬鳴峠に関する特集が組まれたときに、複数のホームレスが住み小屋を作っていたことが判明しています。また漢方薬の材料とするために、業者がテントを張りマムシを採っていました。

これらの滞在者が居た痕跡を目撃したことによって尾ひれがつき、犬鳴村の都市伝説となった可能性が高いでしょう。

伝説⑤若いカップルが惨殺された

都市伝説5つ目は、カップルが惨殺された噂です。白いセダンに乗って犬鳴村を訪れた若いカップルが、村人たちに襲われた、と言う内容です。

伝説⑥多くの骸骨が山積み

都市伝説6つ目は、大量の骸骨が山積みになっている噂です。先ほど紹介した犬鳴村の広場には、白いセダンの他にも小屋があると言われています。その小屋の中には、この地を訪れ村人たちに殺されてしまった人たちの骸骨が山積みなって置かれているそうです。

肝試しをした若者などによって有名に

紹介した都市伝説は、あくまで都市伝説なので真相については不明です。しかしながら、この都市伝説は肝試しをした若者たちによって語り継がれていくうちに有名となりました。

「犬鳴日原鉄山」にまつわる話

犬鳴村で語られている都市伝説では、村人が激しい差別を受けたため外部との接触を断っていると言われています。しかしながら、江戸時代の記録にはそのような記載はありませんでした。

元々、犬鳴峠周辺には江戸時代に藩営用の製鉄所がありました。1854年の江戸時代に開いた犬鳴日原鉄山は、大砲などの武器を製造し、1860年まで続いたとされています。そのため、犬鳴峠付近では多くの人たちが出入りしており、実際に虐待や差別などがあったとは考えられません。

「犬鳴峠」はホラー映画のモデルに

心霊スポットとして有名な犬鳴峠は、ホラー映画のモデルに起用され話題となりました。犬鳴峠のホラー映画は、どのような恐ろしい内容なのでしょうか?

清水崇監督「犬鳴村」が公開

犬鳴峠をモデルとした映画「犬鳴村」は、ジャパニーズホラーの巨匠とも呼ばれる清水崇監督がメガホンをとっています。映画は2020年2月に公開され、公開される前から世界中の映画会社から申し出が殺到しました。

清水崇監督は映画を撮影するうえで、実際に旧犬鳴トンネルを訪れています。そのため、映画はよりリアリティ溢れる映像となっていると話題です。戦慄の恐怖を味わえる映画をぜひ鑑賞してみてください!

ストーリーのあらすじ

映画「犬鳴村」は、幽霊が見える臨床心理士が主人公です。ある日を境に主人公の周りでは、不可解と言わざるを得ないような出来事が起こりはじめます。その出来事は、全て「犬鳴トンネル」が関わっていました。謎を解くために主人公は犬鳴トンネルへ向かう、というストーリーです。

「犬鳴御別館跡」に関する過去

犬鳴峠の近くにある「犬鳴御別館跡」も、犬鳴峠の歴史を知る上で非常に重要なスポットです。犬鳴御別館は、1865年に建設されました。建設したのは、犬鳴日原鉄山も作った福岡藩の加藤司書でした。

犬鳴御別館は、もし有事などが起こった場合に避難する場所として建設されています。明治には新館建設の試みがありましたが、叶わず1884に倒壊。現在は跡地のみ残っています。

「犬鳴峠」は悲惨の過去がある心霊スポットだった

心霊スポットとして有名な犬鳴峠について紹介してきました。犬鳴峠には旧犬鳴トンネルがあり、幽霊の目撃談や体験談が絶えません。また実際に悲惨な事件が起こり、犯人は逮捕されています。

また現在、旧犬鳴トンネルへ続く道は通行止めとなっており許可がないと入ることが出来ません。また旧犬鳴トンネル自体も塞がれていて通行止めです。事件事故などが起こっている場所ですので、決して興味本位で近づかないようにしましょう。

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この記事のライター
まなしま
東京在住。大阪が大好きで月に一度は関西旅行をしています。他にも東北道の駅スタンプラリーや沖縄離島巡りが好き!

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