「会津若松城(鶴ヶ城)」は桜と赤瓦の天守閣の名城!歴史や駐車場は?

大河ドラマ『八重の桜』の舞台ともなった会津若松城。春の桜、秋の紅葉、冬の雪、ライトアップなどによって多彩な魅力を見せる赤瓦の天守閣が有名です。この記事では、そんな会津若松城の魅力ともども、桜の開花状況や歴史、駐車場、アクセスなどについてもご紹介致します。

「会津若松城(鶴ヶ城)」は桜と赤瓦の天守閣の名城!歴史や駐車場は?のイメージ

目次

  1. 1福島県の「会津若松城(鶴ヶ城)」とは
  2. 2「会津若松城(鶴ヶ城)」の魅力とは?
  3. 3「会津若松城(鶴ヶ城)」のイベントは?
  4. 4「会津若松城(鶴ヶ城)」の御城印は?
  5. 5「会津若松城(鶴ヶ城)」詳細情報
  6. 6桜と天守閣の名城を観光に行こう!

福島県の「会津若松城(鶴ヶ城)」とは

赤瓦で有名な会津若松城(鶴ヶ城)は福島県会津地方の中心都市、会津若松市にあるお城です。会津という地名の由来は古く、第10代崇神天皇の時代に遡ります。

『古事記』によると、諸国を平定するために遣わされた四道将軍の内、北陸道平定を担った大彦命(おおひこのみこと)と東海道平定を担った健沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の二人がこの地で合流した事から「相津」と名付けられたのが由来とされています。

『古事記』にある四道将軍の逸話は伝説の域を出ないものと考えられていますが、市内には4世紀後半に築造され、福島県内で第2位、東北地方で第4位という規模を持つ前方後円墳である大塚山古墳があります。

この古墳からは畿内で出土するものと同じ三角縁神獣鏡が出土していることから、この頃には既に会津地方がヤマト王権に服属していたものと考えられます。

古代から東北支配の重要拠点であった会津若松は鎌倉時代の初め、源平合戦において有名な「鵯越の逆落とし」などで活躍した武将・佐原義連の領地となります。義連の孫、光盛の代に姓を蘆名に代え、室町時代には「会津守護」を名乗りました。

会津若松城は、この蘆名氏の7代目当主・蘆名直盛によって築かれたのが最初だと言われています。

お城の歴史を知ろう!

会津若松城の基礎を築いた蘆名氏は1589年に伊達政宗によって滅ぼされてしまいます。しかし、これは豊臣秀吉が発布した私戦を禁止する惣無事令に背く行為であったため、伊達政宗は会津を召し上げられてしまいました。

代わって会津若松城主となったのは、織田信長の娘・冬姫の婿だった蒲生氏郷です。会津若松城を現在のような近世城郭に改造し、城下町を整備したのも蒲生氏郷でした。

1598年、蒲生氏郷の子である蒲生秀行がお家騒動のために下野国宇都宮に遷された後、会津若松城主となったのは上杉謙信の養子で、豊臣政権下において五大老に列せられていた上杉景勝です。

これは、天下を狙う伊達政宗や徳川家康を牽制するための配置だったと言われており、実際に豊臣秀吉亡き後の関ヶ原の戦いで上杉景勝は石田三成の西軍に味方して戦いました。

関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍が勝利した後、上杉景勝は出羽国米沢に遷され、蒲生秀行が戻ってきます。しかし、子の忠郷に子がなかった事から再び遷され、1627年、「賤ヶ岳七本槍」の一人でもある加藤嘉明が入封します。

会津若松城の天守閣は1611年に起こった会津地震によって崩落していましたが、加藤嘉明の子・明成によって現在のような形に建て直されました。

1643年、加藤明成が改易され、3代将軍・徳川家光の異母弟である保科正之が入封します。保科正之は「日本史上屈指の名君」と言われる程の人物で、兄である家光と4代将軍・徳川家綱を補佐しました。

頻繁に城主が入れ替わってきた会津若松城でしたが、保科正之以降は、その子孫である会津松平家が代々会津藩主を務める事になります。

保科正之は1668年、会津藩の憲法とも言われる『会津家訓』を定めます。その第1条には、他藩がどうであれ、会津藩は幕府に忠義を尽くさなければならないと定められていました。

幕末、錦の御旗を掲げる明治新政府に多くの藩が恭順する中で、会津藩は藩主・松平容保を筆頭に、この家訓を守って最後まで戦い抜き、白虎隊を始めとする多くの悲劇を生みながらも、会津の名を全国に轟かせる事となります。

「会津若松城(鶴ヶ城)」の魅力とは?

会津という地名の由来、会津若松城が歩んできた歴史についてご紹介致しました。続いては会津若松城の魅力についてたっぷりとご紹介致します。

呼び名は「会津若松城(鶴ヶ城)」

会津若松城は正確には「若松城」と言います。しかし、呼び名としては「会津若松城」「鶴ヶ城」、或いは「会津城」と呼ばれる事もあります。

若松城という名前の由来は、蒲生氏郷の出身地である近江国にある蒲生氏の氏神・馬見岡綿向神社の参道にあった「若松の社」や、蒲生氏郷が以前領地としていた伊勢国松坂だとされています。

同名の城が他にあるから

単に若松城と呼ばずに「会津若松城」と呼んでいるのは、別に若松城があるからだとされています。その一つが、現在の福岡県にあたる筑前国にあった若松城です。

こちらの若松城は豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛の息子・黒田長政が、本城である福岡城を守るために築いた「筑前六端城」の一つでした。この城は1615年の一国一城令によって廃城とされ、現在は残っていません。

文献では黒川城

会津若松城の元になったのは、1384年に蘆名直盛が建てた「東黒川館」だと言われています。1592年に蒲生氏郷が「若松城」に改名するまで、この城は「黒川城」と呼ばれていたことが文献によって判明しています。

会津若松城の別名である「鶴ヶ城」については蒲生氏郷の幼名である「鶴千代」もしくは蒲生氏の家紋である「向い鶴」に由来するものと考えられています。

歴史は?

1384年に蘆名直盛が東黒川館を建てて以降、黒川城、会津若松城と名を変え、蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、蒲生氏、加藤氏、会津松平氏と城主を変えながら、南北朝、戦国、幕末という激動の歴史を過ごしてきた会津若松城

仰ぎ見る天守閣からは美しさだけでなく、この城が歩んできた歴史の重さをも感じ取る事が出来ます。

日本100名城

会津若松城は財団法人日本城郭協会が設立40周年を記念して2006年に選定した「日本100名城」に選ばれています。

日本100名城は「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」「環境保存状況や城郭発達史からの観点」を基準に、各都道府県から選ばれたものです。

城跡は「鶴ヶ城公園」

現在、会津若松城の城跡は鶴ヶ城公園として整備されています。その広さは約69,000坪。実に東京ドーム6個分という広大さです。

鶴ヶ城公園の中には、「鶴ヶ城天守閣」「茶室麟閣」「茶壷櫓」「月見櫓」などの建物や秋月悌次郎、萱野権兵衛、西郷頼母と言った会津若松城にゆかりある人々を顕彰する石碑などがあり、市民にとって憩いの場であるとともに郷土の歴史を学べる場ともなっています。

ほとんどが国の史跡に指定!

鶴ヶ城公園の整備は1917年、「公園の父」として有名な本多静六によって示された「若松公園設計方針」で始まりました。若松市に本多静六を紹介したのは、旧白虎隊士で東京帝国大学総長だった山川健次郎です。

1930年には旧史蹟名勝天然記念物保存法によって国の史跡に指定されました。1993年には外堀跡などの外郭遺構が追加指定され、現在では公園の大部分が国の史跡に指定されるに至っています。

「会津若松城(鶴ヶ城)」は難攻不落の名城!

1868年6月10日から11月6日まで薩摩や長州を中心とする新政府軍約7万5千と会津藩を中心とする奥羽越列藩同盟軍約1万が戦いました。戊辰戦争の中で起こった多くの戦いの中でも最大規模のもので、別名を「会津戦争」とも言います。

この戦争で会津若松城は約1か月に亘って新政府軍の砲撃に曝されました。しかし、奥羽越列藩同盟諸藩の降伏によって孤立し、降伏を余儀なくされるまで陥落することなく持ち堪えたことから「難攻不落の名城」と称えられることになります。

会津地方には会津戦争の遺恨が今でも残っているとされ、未だに「薩摩や長州の人間との結婚は許されない」という風潮が残っていると言われています。

また、1986年萩市が会津若松市に対し、「会津戦争から120年経過したのだから」と和解と友好都市締結を申し入れた際には、「会津戦争からまだ120年しか経過していない」との理由で拒絶したというエピソードもあります。

残して取り壊されたのは?

会津戦争によって会津若松城の天守閣を含む多くの建造物は損傷しました。戦争終結後、会津若松城は兵部省の所管とされ、仙台鎮台の管理下に置かれたものの建造物は修復されることもなく放置されます。

修復するにせよ取り壊すにせよ多額の資金が必要だったという点もありますが、会津の人々に「敗北」を噛み締めさせ、新政府に対する反抗心を折るためだったとも言われています。

1874年、会津若松城の取り壊しが決定され、同年12月までに天守閣をはじめ、ほぼすべての建造物が解体されました。

ただ、本丸にあった「御三階櫓」だけは1870年に阿弥陀寺に移築され、残存しました。この阿弥陀寺には戊辰戦争で戦死した約1300名の遺骸が埋葬され、会津藩と共に戦った新選組三番隊組長・斎藤一の墓もあります。

寄付によりよみがえる名城

第二次世界大戦後、一時期本丸内には競輪場が設置されていましたが、1957年に城外に移転。その後の復興事業により、本丸は1960年に、天守閣は1965年に復元されました。この復興事業は多くの人々による寄付で賄われたものです。

天守閣は鉄筋コンクリート造で、内部は若松城天守閣郷土博物館として公開されています。1990年には別の場所に移築されていた「茶室麟閣」が元の場所に移築復元されました。

日本で唯一赤瓦の天守閣?

1965年の復元時には天守閣の屋根瓦は黒瓦でしたが、1648年頃、保科正之によって葺き替えられた際に赤瓦を用いた事が記録に残っていました。釉薬を施して焼く事で黒瓦に比べて強度に優れ、会津の冬の厳しい寒さや凍結にも耐えられるようにとの工夫です。

2010年、黒瓦を赤瓦に葺き替える工事が行われ、会津若松城は約140年振りに本来の姿を取り戻す事ができました。国内で赤瓦を用いている城は会津若松城だけです。

天守閣再建50周年記念

2015年には鶴ヶ城天守閣再建50周年を迎え、記念切手や記念映像が製作されるなど、会津若松市一丸となって大いに盛り上がりました。

この時、天守閣のライトアップもLED照明に変更されました。ライトアップのコンセプトは「会津うつし鏡」。季節や行事に合わせ、様々な色彩や「桜」「葉影」「水」「星」「紅葉」「雪」の6種類の透かし模様をライトアップし、目を楽しませてくれます。

展示室が全面リニューアル

天守閣の内部にある郷土博物館も50周年に合わせ、会津若松城が「サムライシティ会津」の象徴であることを国内外に広く発信する拠点として展示室を全面リニューアルしました。

地下から5階までストーリー形式で展示が為され、各層を巡る事で「会津武士道」のルーツを辿る事ができるように工夫が施されています。

体験型のお城ミュージアム?

会津若松城は体現型のお城ミュージアムとなっていて、天守閣の地下では江戸時代に塩の貯蔵庫として用いられていた塩蔵や石垣の様子が再現されています。

白虎隊士も机を並べた藩校「日新館」、再現映像を交えた「会津戦争シアター」など展示内容にも様々な工夫が施されており、江戸や幕末の時代に会津の人々がどのような暮らしをしていたのかを学ぶ事ができます。

南走長屋と干飯櫓とは?

2001年には「南走長屋」「干飯櫓」が木造で復元されました。南走長屋は本丸への敵の侵入を防ぐ重要拠点、干飯櫓は会津若松城内にあった十一の櫓の中で一番大きな櫓で、食料の貯蔵庫として用いられていました。

現在では大河ドラマ「八重の桜」で使用されていた衣装の展示や会津の郷土料理や伝統工芸品などのお土産を購入する事ができるお土産ショップとして用いられています。

「会津若松城(鶴ヶ城)」のイベントは?

激動の歴史を経て復元され、白虎隊や新選組の隊士たちも仰ぎ見たであろう赤瓦を戴く当時の姿を取り戻した会津若松城。その歩んできた歴史を体験する事ができるなど、多くの魅力に満ちています。

しかし、会津若松城の魅力はこれだけではありません。桜や紅葉のライトアップなど四季折々に開催されるイベントも大きな魅力です。そこで、会津若松城で行われるイベントについてご紹介致します。

イベント①鶴ヶ城桜ライトアップ

日本人にとって、春と言えばやはり。毎年、開花前線の南下を心待ちにし、桜が開花したと聞くと自然と気持ちが綻んでしまうという方も多いのではないでしょうか。特に、美しい天守閣と開花した桜のコントラストはまた格別なものがあります。

会津若松城において、天守閣と桜の美しさを存分に楽しめるのがライトアップされた夜桜です。日本で唯一の赤瓦を戴く会津若松城の天守閣と桜の競演は妖しささえ漂い、思わず嘆息してしまうような美しさを誇ります。

開催時期は?

会津若松城では桜の開花状況に合わせ、例年4月上旬から5月上旬の期間に「鶴ヶ城さくらまつり」を開催し、「会津十楽」「大茶会」と言った会津独自の文化を体験できるイベントが行われます。

桜が開花している期間中、夜になると夜桜がライトアップされます。闇に浮かび上がる天守閣、輝く桜、煌めく堀の水面の美しさは圧巻です。

日本の桜100選に選ばれた桜

会津若松城には、ソメイヨシノなど約1000本の桜があり、「桜の名所100選」にも選ばれています。これらの桜は1908年、歩兵第65連隊が会津若松市に設置された事を記念して、元会津藩士・遠藤十次郎らによって植樹されたものです。

開花情報を調べていこう!

会津若松城の桜は例年、4月上旬頃に開花します。しかし、その年によって多少は開花時期にばらつきが出ます。また、会津若松城にはソメイヨシノだけでなく、エドヒガン、タカトウコヒガン、シダレザクラなどもあり、それぞれ開花時期が異なります。

その為、桜をより楽しむために、お出かけに際しては事前に開花状況を調べていく事をお勧めします。2019年の場合、開花は4月14日、満開は4月18日でした。

イベント②会津まつり 会津藩公行列

会津若松の町が1年で最も華やぐと言われるのが、毎年9月下旬に3日間に亘って行われる「会津まつり」です。会津まつりは1928年、秩父宮雍仁親王(昭和天皇の弟)と松平容保の孫娘である松平勢津子の成婚を祝って行われた提灯行列がルーツと言われています。

開催期間中には提灯行列、会津磐梯山踊り、日新館童子行列、鼓笛隊パレードなどが行われ、町は煌びやかな雰囲気に包まれます。

総勢約500人!

様々なイベントが行われる中で、特に花形とされるのが「会津藩公行列」です。会津藩の藩主、藩士らを中心に新選組、白虎隊、娘子隊など様々な姿に扮した行列が会津若松市内を練り歩きます。

参加者は総勢500人に及び、2014年からは大河ドラマ『八重の桜』で主演を務めた綾瀬はるかさんが毎年参加しています。

イベント⓷鶴ヶ城紅葉ライトアップ

桜もさることながら、会津若松城には茶室麟閣、鉄門、月見櫓、荒城の月碑など紅葉の見所スポットが点在し、紅葉が美しい事でも有名です。その為、紅葉の季節には多くの観光客で賑わいます。

紅葉の時期にはライトアップも行われ、人気です。ライトアップによって陰影や趣深い光のグラデーションが表現され、赤瓦と相俟って幻想的な美しさを醸し出します。

開催期間は?

会津若松城にある紅葉の種類は桜、モミジ、イチョウで、赤や黄などの鮮やかな色で訪れる人を魅了します。

紅葉のライトアップは紅葉の時期に合わせ、例年10月下旬から11月中旬にかけ、日没から21時頃まで行われます。気候条件等によって紅葉の時期は多少前後する可能性がありますので、お出かけの際はあらかじめ紅葉の状況を確認しておくことをお勧めいたします。

イベント④鶴ヶ城元旦登閣

海外で過ごすなど、元旦の迎え方も多様化している現代ですが、会津若松城は元旦から開館しており、赤瓦の天守閣から会津若松の町を見下ろす、さながら殿様になったかのような気分を味わう事が出来ます。

このイベントは会津若松城が再建された時から続いており、現在ではすっかり会津若松における冬の風物詩となっています。

新春の運試し!

元旦に会津若松城を訪れるならば、是非挑戦してみていただきたいのが「元旦登閣記念抽選会」です。会津の物産品など様々な景品が用意されていますので、新春の運試しとしておすすめです。

福をめしとる「縁起めしべら」とは?

会津若松城に元旦に登閣された先着5000名の方には「縁起めしべら」が贈呈されます。これは蚕養國神社でお祓いを受けた縁起物で、「福をめしとる」「食事に不自由しない」と言った意味が込められたものです。

開催期間は?

会津若松城の元旦登閣は大晦日の23時30分から翌2時30分、元日の朝は8時30分から17時まで。入場〆切はそれぞれ30分前です。縁起めしべらの贈呈は先着5000名のみですので、早めに出かけられる事をおすすめ致します。

冬のお城を見に行こう!

桜や紅葉の美しさも魅力的ですが、冬の会津若松城も魅力的です。特に雪が降った後は純白の世界に赤瓦がよく映えて、冬にしか見られない美しさを見せてくれます。

桜や紅葉の季節に比べると冬は観光客の数も少なく、落ち着いた雰囲気の中で静かな時間を過ごす事が可能なのも魅力の一つと言えます。

そのほかにもイベントが盛りだくさん!

桜や紅葉のライトアップ、会津まつりや元旦登閣についてご紹介致しましたが、会津若松城ではこの他にも様々なイベントが行われます。

冬真っ盛りの2月上旬に行われる「会津絵ろうそくまつり~ゆきほたる~」も人気のイベントです。会津の伝統工芸品である会津絵ろうそくが会津若松城など市内各所に設置され、朧げな光が雪景色を仄かに照らし出します。

1本1本、職人の手作りで製作されるろうそくの数は実に1万本に及び、その幻想的な様は得も言われぬほどの美しさです。

2月中旬から3月初頭にかけて冬のイルミネーションイベントとして行われるのが「アイヅテラス」です。

2020年のテーマは「冬の色彩 花で彩る会津の雪景色」で、写真家が撮影した冬の会津の自然風景などが会津若松城本丸を覆う雪面に投影され、幻想的な光景を体験する事が出来ます。

「会津若松城(鶴ヶ城)」の御城印は?

近年、若い女性を中心に神社や寺院の御朱印を集めるのがブームになっています。参拝の記念として頂く御朱印同様、お城への登城を記念するものとして「御城印」なるものがあり、これを集める事が新たなブームとなりつつあります。

御城印は半紙に城名や城主の家紋、花押などを押したもので、1990年頃に松本城が頒布したのが端緒と言われています。現在では全国200か所以上のお城で頂くことが可能です。

歴代城主の家紋

会津若松城の御城印には、歴代城主である蘆名氏の「丸に三引両」、伊達氏の「仙台笹」、蒲生氏の「三頭の左巴」、上杉氏の「上杉笹」、加藤氏の「下り藤」、保科正之の「並び九曜」、会津松平氏の「会津三葵」など歴代城主の家紋が朱印で押されています。

日付入り

御城印の左側には日付が書かれていますので会津若松城に登城したという記念になります。御城印のデザインなどは各お城で工夫がされ、それぞれに趣があります。一種のスタンプラリーのような感覚で集めると旅の思い出にもなるという点が人気の理由です。

鶴ヶ城観光案内所で購入できる

会津若松城の御城印は北出丸に通じる椿坂と西出丸に通じる梅坂の間、本丸の北西部にある観光案内所で購入する事が可能です。

金額は?

会津若松城の御城印の金額は300円です。神社や寺院の御朱印の場合、その場で書いてくれる場所も多くありますが、会津若松城の御城印は書置きのものを購入する形式です。

御城印帳は通販できる?

会津若松城ではオリジナルの御城印帳も販売しています。種類は赤、青、薄青の3種類。いずれも通販やネットでは購入する事ができないとあって人気で、すぐに品切れになってしまうそうです。

登城記念をもらおう!

御城印を頒布するお城は年々増加しています。御城印帳を旅の相棒に全国のお城を巡って登城記念を集めるというのも、なかなか趣深い趣味と言えそうです。

「会津若松城(鶴ヶ城)」詳細情報

歴史やイベント、御城印など様々な魅力を持つ会津若松城。続いては、そんな会津若松城を訪れる際に気になるアクセス方法、駐車場、開城時間などの詳細情報についてご紹介致します。

アクセス詳細は?

会津若松城へのアクセス方法として、電車でのアクセス方法と車でのアクセス方法をご紹介致します。東京から電車でアクセスする場合、東北新幹線を利用して郡山へ向かいます。郡山で、磐越西線に乗り換え、会津若松駅下車です。所要時間は約3時間程です。

会津若松駅から会津若松城までのアクセス方法としてはバスが便利です。駅前から出ているまちなか周遊バス「ハイカラさん」は30分間隔で発着していますので、会津若松城へのアクセスだけでなく、市内各地の観光スポットへのアクセスにも最適です。

車でアクセスする場合、東北自動車道郡山JCTで磐越自動車道に入り、会津若松ICで降ります。所要時間は約3時間30分程掛かります。また、電車や車に加え、東京、仙台、新潟からアクセスする場合は高速バスの利用も便利です。

駐車場は?

会津若松城には、「西出丸駐車場」(200台)、「東口駐車場」(129台)、「南口駐車場」(35台)の3か所の駐車場があります。

お城の駐車場以外にも会津若松城から徒歩20分程の場所には「中町駐車場」(15台)があります。また、お城に隣接する「鶴ヶ崎会館駐車場」(200台)も利用できます。

料金は?

駐車場料金ですが、「西出丸駐車場」「東口駐車場」「南口駐車場」はいずれも有料駐車場で、料金はいずれの駐車場も1時間200円(以降1時間毎100円)です。

「中町駐車場」の駐車場料金は無料です。「鶴ヶ崎会館駐車場」は通常有料ですが、食事利用やお土産購入によって無料になるサービスがあります。サービス内容は2000円以上利用で駐車場料金1時間無料、3000円以上利用で駐車場料金2時間無料です。

お城に入れる時間は?

会津若松城の開城時間は元旦登閣時等を除いて通常、8時30分から17時まで。入城受付は16時30分となっています。原則として休館日はありません。

「会津若松城(鶴ヶ城)」基本情報

【名称】 会津若松城
【住所】 福島県会津若松市追手町1-1
【開城時間】 8時30分~17時(入城受付:16時30分迄)
【休館日】 無し
【料金】 【個人】
茶室麟閣共通券520円 大人410円 小人150円
【団体(30~99名)】
茶室麟閣共通券460円 大人360円 小人135円
【団体(100名以上)】
茶室麟閣共通券410円 大人320円 小人120円
【アクセス】 【電車】
磐越西線会津若松駅下車
周遊バス「ハイカラさん」を利用して「鶴ヶ城入口」下車徒歩5分
【車】
磐越自動車道会津若松ICより車で約20分
【公式HP】 http://www.tsurugajo.com/index.html

桜と天守閣の名城を観光に行こう!

以上、春の桜、秋の紅葉、冬の雪、ライトアップなどによって多彩な魅力を見せる会津若松城についてご紹介致しました。

古代から東北の要地として栄え、戊辰戦争の激戦地ともなり、今なお「会津武士道」の精神が息づく会津若松城。この記事が、そんな会津若松城へと足を運ぶきっかけになりましたら幸いです。

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この記事のライター
majisaru
はじめまして、旅行大好き、温泉ソムリエのmajisaruです。 温泉や観光地などのスポットについてご紹介させてい...

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