平和への祈りを胸に刻む!長崎「平和公園」の祈念像や折鶴の塔へ!

「平和公園」は長崎県長崎市にある公園で、1945年8月9日に投下された原子爆弾の歴史を語る場所です。「爆心地」「平和祈念像」「折鶴の塔」など、平和を願い亡くなられた方へ祈りを捧げる場所として、全国・海外からの観光客が多く訪れる「平和公園」をご紹介します。

平和への祈りを胸に刻む!長崎「平和公園」の祈念像や折鶴の塔へ!のイメージ

目次

  1. 1「平和公園」とは
  2. 2「平和公園」の折鶴の塔
  3. 3「平和公園」の祈念像
  4. 4「平和公園」の爆心地
  5. 5「平和公園」の浦上天主堂
  6. 6「平和公園」の詳細情報
  7. 7「平和公園」で平和への祈りを捧げよう!

「平和公園」とは

長崎県長崎市にある「平和公園」は、1945年8月9日に長崎に投下された原爆の歴史を語る公園です。悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓い、世界平和への願いを込めて、昭和26年に作られました。長崎の平和の象徴である「平和祈念像」の下では、毎年8月9日に「平和祈念式典」が行われます。

平和公園は2つのゾーンに分けられています。平和祈念像・平和の泉などの「願いのゾーン」、原子爆弾落下中心碑・浦上天主堂遺壁などの「祈りのゾーン」があります。平和を願い被爆により亡くなられた方々へのご冥福を祈り、平和の尊さを発信する平和公園にどのような意味があるのかご紹介していきます。

長崎市にある平和を願って作られた公園

1945年(昭和20年)8月9日、長崎市に原子爆弾が投下されました。人類史上2番目となる原爆が爆発し、74,000人が亡くなりました。このような悲しい出来事が二度と起こらないようにと、原爆から6年後の昭和26年に平和を願って作られた公園です。

「原爆の悲惨さを忘れない」「平和を願う心を育てる」「平和の大切さを実感する」「平和の尊さを発信する」このような想いが込められています。

「平和公園」の折鶴の塔

「平和祈念像」の両側にある「折鶴の塔」をご紹介します。原爆犠牲者の霊を慰め、「二度とこの地球上に原爆の惨禍を招くことがないように」と世界恒久平和を祈って寄せられた折鶴をこの折鶴の塔に掲げ、その意を伝えるために建立されました。

昭和57年に建設

「折鶴の塔」は、昭和57年(1982年)10月6日に、「長崎北クラブ15周年記念事業」としてライオンズクラブ国際協会・長崎北クラブ・京都北クラブによって建設されました。折鶴の塔は「願いのゾーン」として「平和祈念像」の横にあり、平和への願いを込めて手を合わせる方が多くいらっしゃいます。

先端には黄金の鶴

「折鶴の塔」は、平和祈念像の横にある三角の建物です。その三角の先端部分には金色の鶴のモニュメントがあります。世界平和の象徴を意味する鶴が、青空の下で金色に輝いています。

世界恒久平和を祈った折鶴が飾られている

折鶴は平和の象徴と言われており、「折鶴の塔」には色とりどりの折鶴がたくさん飾られています。原爆で命を失った多くの犠牲者の霊を慰め世界恒久平和を折った折鶴には一人一人の願いが込められており、全国からだけでなく海外の方も訪れる祈りの場所となっています。

「平和公園」の祈念像

平和公園の中に「平和祈念像」と言われる大きな像があります。高さ9.7メートル・重さ30トン、青銅製の像は、「長崎市民の平和への願い」「神の愛と仏の慈悲を象徴」として作られました。広い平和公園の奥の方まで進むと平和祈念像が見えてきます。

毎年8月9日原爆の日は「長崎平和の日」と定められ、この平和祈念像の前で「平和祈念式典」が行われます。平和祈念式典では全世界に向けた平和宣言がなされます。平和祈念像の姿にはそれぞれ意味があると言われていますので、見ていきましょう。

製作は長崎県出身の彫刻家北村西望氏

「平和祈念像」は、昭和30年(1955年)に、彫刻家「北村西望(きたむらせいぼう)」により制作されました。北村西望氏は長崎出身で男性裸像にすぐれ、文展・帝展で活躍、文化勲章を受章されています。

平和記念像が完成した1955年は被爆10周年にあたり、原爆をより強烈で強く象徴するために巨大な男性の裸体像になったと言います。

像の左右の手の意味

「平和祈念像」の手を見てみると、右手は空を指し、左手は水平に伸ばされています。この手にはそれぞれ意味があり、空を指した右手は「原爆の脅威」、水平に伸ばした左手は「平和」を表していると言われています。平和記念像の高さは9.7メートルにもなり、その高さから避雷針が設置されています。

像の軽く瞼が閉じられた意味

平和祈念像の目を見てみると、瞼が軽く閉じられています。これは「原爆犠牲者の冥福を祈る」という思いが込められている意味があると言われています。原爆に対する怒りを表すような表情ではなく、実に穏やかな顔をされています。

また、あぐらをかいたように横にした足は「原爆投下直後の長崎市の静けさ」「瞑想する静けさ」、立てた足は「すぐに救済へと動く姿勢」「救った命」を意味しています。

「平和公園」の爆心地

1945年長崎市に原子爆弾が投下され多くの命が失われました。11時2分に原子爆弾が炸裂した場所は、現在平和公園の「爆心地」として残されています。

原爆が投下されたその場所は「原爆落下中心地」と呼ばれ、平和への祈りを捧げる石碑が建てられており、被爆当時の恐ろしさをそのものをこの目で見ることができる地層が残されている場所もあります。

歩いて1分の爆心地公園

平和公園のすぐ隣には、「爆心地公園」があります。原爆が投下されたその地点を公園として残しています。1945年8月9日この場所に原子爆弾が投下され、爆心地周辺はほとんどの樹木や長崎の街が焼き尽くされました。しかし、その1か月後には約30種類の植物が芽吹いたと言われています。

今では爆心地公園は緑に囲まれて長崎市民の憩いの空間として親しまれており、春には桜の花見をする姿も見られ、逞しい復興の力を感じることができます。

原子爆弾落下中心地碑

爆心地公園の中に、「原子爆弾落下中心地碑」という石碑が立っています。この石碑の上空500メートルから原子爆弾が投下されました。中心碑のふもとには、原爆で亡くなった方の名前を納めた「原爆殉難者名奉安」があります。

亡くなられた方の冥福を祈り、原爆の恐ろしさを忘れないために「原爆落下中心地碑」が建てられました。

被爆当時の地層

爆心地公園の中では、被爆当時の地層が見学できます。原爆で破壊された家・瓦・レンガなど被爆当時のまま残されています。ガラスや食器などは原子爆弾の熱で溶けており、当時の熱線のすごさを物語っています。

上空約500メートルで原子爆弾が爆発し、爆発直後の爆心地の地表の温度は約3000~4000度に達したと言われています。この被爆当時の地層を見ると8月9日長崎の街を一瞬にしてこのような状態にしてしまった原子爆弾の恐ろしさが実感できます。

「平和公園」の浦上天主堂

「浦上天主堂」は、1895年(明治28年)から建築に着手され、東洋一の壮大さを誇る教会でした。1945年8月9日に原子爆弾が投下されて破壊し、わずかにまわりの壁の一部が残りました。

爆心地に近いこの地ではカトリック信徒の多いところであり、12,000名の信徒のうち約8,500名が原爆の犠牲となりました。亡くなった方のご冥福をお祈りし、このような惨禍が二度と繰り返されない事を願って、この銘板が設置されています。

浦上天主堂遺壁

1925年(大正14年)に完成した浦上天主堂は、1945年、原爆の炸裂でほとんどの壁が破壊されました。しかし一部の堂壁が残り、現在平和公園に「浦上天主堂遺壁」として残されています。この遺壁は聖堂の南側の一部で、1958年(昭和33年)に新しい天主堂を建設する際に移築されました。原爆により石柱にずれがあるのがわかります。

500mほど離れた場所にあった

「浦上天主堂」は、爆心地から北東へ500メートルの小高い丘にありました。浦上天主堂を原爆が襲った1945年8月9日は、8月15日の聖母被昇天の祝日をまじかに控えて多数の信徒が集まっていたようです。その場にいた約8,500名全員の命が原爆によって落されました。

「平和公園」の詳細情報

平和公園へのアクセス・駐車場などの詳細情報をお伝えします。平和公園へのアクセスは路面電車が便利です。また、平和公園と一緒に訪れたい観光スポットもご紹介します。

一緒に訪れたい観光スポット

平和公園を訪れた際に一緒に観光したいスポットをご紹介します。平和公園と合わせて原爆や平和について学ぶことができる観光スポットです。施設の駐車場や利用時間・料金などの詳細もまとめています。

長崎原爆資料館

長崎原爆資料館では、原爆前の長崎の街や風景、原爆投下直後の惨状、原爆が投下された経過などが展示されています。地下2階の展示室は音声ガイドの貸し出しがあり(1台157円)ガイドを聞きながら展示を観覧することができます。

展示室の他に、ビデオルーム・図書室などで原爆や平和について学ぶことができます。平和公園から徒歩で8分、路面電車でのアクセスも便利です。

住所 長崎県長崎市平和町7-8
アクセス 〇JR長崎駅から路面電車
「赤迫行」で「原爆資料館」電停下車、徒歩5分
〇平和公園より徒歩8分
〇長崎駅より車で6分
開館時間 〇4月、9~翌3月:8:30~17:30(入館17:00まで)
〇5~8月:8:30~18:30(入館18:00まで)
〇8月7~9日:8:30~20:00(入館19:30まで)
観覧料 〇一般:200円(15人以上団体160円)
〇小中学生・高校生:100円(15人以上団体80円)
休館日 12/29~12/31
駐車場 最初の1時間100円、その後30分ごと100円
公式HP https://nabmuseum.jp/genbaku/

日本二十六聖人記念館

6人の外国人宣教師と20人の日本人信徒の二十六聖人が殉教した西坂の地にある資料館です。フランシスコ・ザビエルに始まるキリシタン文化とキリスト教の歴史が紹介されています。

この西坂の地ではキリスト信徒である理由から多くの人々が処刑され殉教しました。信仰の自由を奪った時代があった歴史を通して、平和を願う場所です。

住所 長崎市西坂町7-8
アクセス JR長崎駅より徒歩5分
営業時間 9:00~17:00
料金 ・一般:500円(400円)
・高校生・中学生:300円(200円)
・小学生:150円(100円)
(  )は20名以上の団体割引
定休日 12/31・1/1・1/2
駐車場 あり・40分無料
公式HP http://www.26martyrs.com/

駐車場の詳細

平和公園を訪れる際のアクセス・駐車場についてご紹介します。平和公園には専用の駐車場がありません。しかし、周辺には有料駐車場があります。

平和公園周辺の駐車場料金は「30~40分100円」が多いです。平和公園に近い駐車場や最大料金が安い駐車場などをご紹介します。

専用駐車場はない

平和公園には専用駐車場がありません。平和公園は交通量の多い国道206号線に面しており、エスカレーターを使って敷地奥の公園まで進みます。

しかし、路面電車でのアクセスが便利です。路面電車の場合は「赤迫行」に乗車し「平和公園」電停で下車、公園入口まで徒歩3分となっています。車でお越しの際は周辺にコインパーキング多数がありますので、そちらをご利用ください。

周辺に有料駐車場あり

平和公園には専用の駐車場はありませんが、周辺に24時間有料駐車場が多数あります。お車でお越しの方は参考にしてください。平和公園に近く、料金が安い駐車場をいくつかご紹介します。

平和公園に近いおすすめの駐車場は「三井のリパーク 長崎平和公園前駐車場」最大料金「500円」、「Top24パーキング 平和公園入口」最大料金「600円」です。「パークイン平和公園」は平和公園のエスカレーター下にあり「30分100円」となっています。

「平和公園」の基本情報

住所 長崎県長崎市松山町9
アクセス JR長崎駅から路面電車「赤迫行」で「平和公園」下車
営業時間 24時間
定休日 なし
料金 無料
駐車場 専用駐車場なし
公式HP https://www.city.nagasaki.lg.jp/sumai/
630000/632000/p005153.html

「平和公園」で平和への祈りを捧げよう!

長崎県長崎市では1945年8月9日原子爆弾が投下され、多くの方が亡くなりました。悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓い、世界平和への願いを込めて昭和26年に平和公園ができました。平和公園があるこの場所は、原子爆弾が投下された「原爆落下中心地」として残されています。

毎年8月9日に平和祈念式典が行われるこの平和公園で、願いのゾーンにある「平和祈念像」「折鶴の塔」、祈りのゾーンにある「原子爆弾落下中心碑」「浦上天主堂遺壁」を通じて、被爆により亡くなられた方々へのご冥福を祈り、平和への祈りを捧げてみて下さい。

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