いざ邪馬台国へ!佐賀「吉野ヶ里遺跡」の観光の見所や貴重な出土品は?
近年土器や人骨など出土品が多く発見され観光名所となった吉野ヶ里遺跡。悠久の時間の流れの中、その時代はかつて幻の都邪馬台国があった場所とされています。今回はその吉野ヶ里遺跡についての観光、イルミネーションなどのイベント体験、アクセス情報などをお伝えしていきます。
目次
「吉野ヶ里遺跡」とは
「吉野ヶ里遺跡」は佐賀県でもっとも有名な観光スポット。魏志倭人伝という古書によると、弥生時代の人々が暮らしていたと思われる場所が、この吉野ヶ里遺跡の場所ではないかといった記述が見受けられます。昭和の始め、この場所から数々の人骨や土器などの出土品が発掘されて全国的に有名になった吉野ヶ里遺跡。
さっそく、その吉野ヶ里遺跡に関して、イルミネーションでふんだんに演出した展望イベント体験や、弥生時代の人々の暮らしぶりなどを体験できる体験プログラムなど、またその詳細やアクセスなどについての観光情報を余すところなくお伝えしていきます。
吉野ヶ里丘陵にある弥生時代の集落の遺跡
この場所、吉野ヶ里遺跡の丘陵には当時の弥生時代の集落の遺跡が見受けられ、この場所から人骨や土器などの出土品が数多く発掘されていることからも、その生活様式を見て取ることができます。
遠く悠久の時間の流れの中で見えてくる弥生時代のその生活様式に身を馳せ、当時の人々の暮らしを体験してみるのも味がありますね。
邪馬台国があった場所とも!
弥生時代に卑弥呼という女性が統治していた幻の都と言われている邪馬台国。この吉野ヶ里遺跡があった場所が、その邪馬台国ではないかとされています。
昭和9年にこの佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」の発掘作業が始まり、次々とその場所から弥生時代の生活様式を思わせる土器、弥生人と思わせる人骨など多くの出土品が出たことにより、この場所が邪馬台国であったとされる説が有力になっています。
「吉野ヶ里遺跡」の概要
弥生時代に存在していたという邪馬台国。吉野ヶ里遺跡から多く発掘された人骨や土器などの出土品から、今ではこの吉野ヶ里遺跡がその邪馬台国であったという仮説が有力な定説になり、その発掘された人骨や土器などの出土品や遺跡跡から、当時の人々の暮らしぶりが分かってきました。
ここからはその吉野ヶ里遺跡の概要についてお伝えしてきます。弥生時代のその場所にタイムスリップして、悠久の歴史ロマンの時間を体験しに行ってみましょう。
概要①国内最大級の環濠集落跡
そんなこんなで吉野ヶ里遺跡にいる pic.twitter.com/RjKB9vRLBQ
— モブ整備兵 (@mobuseibihei) March 24, 2020
魏志倭人伝という古書から稲作農業、水稲農業という生活様式が取り入れられたのが弥生時代に入ってからとされています。それまで日本は狩りや山菜取りの生活様式でしたが、弥生時代に入り、稲作農業、水稲農業の生活様式に変わり、現代にいたり続いています。
この吉野ヶ里遺跡が発掘されたことにより、稲作農業、水稲農業という生活様式が取り入れられたこと、この場所がその稲作農業、水稲農業を指し示す国内最大級の環濠集落跡として見つかったことにより、そのことが確定的になりました。
概要②国の特別史跡に指定
登呂遺跡、吉野ヶ里遺跡に並ぶ国指定特別史跡、原の辻遺跡で原の辻遺跡を感じてきた。 pic.twitter.com/RQxjugHZGZ
— Kazuki 宮 (@KAZUKIbyM) December 21, 2017
次々と発掘された人骨や土器、その集落の跡などにより国内最大級の遺跡発掘場所として知れ渡った吉野ヶ里遺跡。また、吉野ヶ里遺跡の発見により、女王卑弥呼が統治していたであろう幻の都邪馬台国という国が存在していたということが、ほぼ確定的になりました。
昭和に入り発掘場所をこの吉野ヶ里遺跡に変更してから次々にその邪馬台国であったであろう遺跡の数々が発掘され、弥生時代の人々の生活様式を思わせる集落跡や文化の遺跡跡が発掘されて弥生時代の生活様式が分かり、この場所が邪馬台国であろうとした説の定説により、この吉野ヶ里遺跡が国の特別史跡に指定され、全国的に有名になりました。
概要③当時の建物の復元や出土品を展示
縄文土器~弥生土器~どっちが好き~/// (@ 吉野ヶ里遺跡 in Yoshinogari Chō, Saga) https://t.co/hFyr3U5Qpb pic.twitter.com/t05qEHflZ2
— のりさん🌾🎌 (@nori_tama01) October 7, 2017
吉野ヶ里遺跡の場所からは、数多くの土器や人骨、当時の建物の痕跡が発掘されました。その数は国内最大級と言っても良いでしょう。
その建物の痕跡から当時の建物を復元したり、出土品を展示したりして、この吉野ヶ里遺跡が単なる遺跡跡から吉野ヶ里遺跡公園として、多くの観光客を呼ぶ佐賀県の一番有名な観光スポットとして定番となっていきました。
出土品は土器や装飾品・人骨なども
【画像】吉野ヶ里遺跡から人骨が大量に発見されるwwwwwww https://t.co/2UAgqx50VI pic.twitter.com/xcZxzbypAd
— ぷぷぷアンテナ(*´艸`*) (@ymzk777) April 30, 2016
吉野ヶ里遺跡の出土品の中から当時の人々の人骨や生活に使われていた土器、当時の人々がファッションなどで使っていた洋服や装飾品などの出土品が数多く発掘され、当時の人々の暮らしが再現されることとなりました。
それらの出土品から当時の人々の暮らし、そしてファッションや装飾品、弥生時代の人々はどんなことを考え、どんなことを楽しみにしていたのでしょうか。こういった展示物を眺めながら想像してみるのも楽しいですね。
概要④公園として整備され人気の観光地に!
吉野ヶ里遺跡! pic.twitter.com/RzRfOL2Sba
— たちまち(かじー) (@shelby75239565) March 24, 2020
昭和の初めにこの場所で発掘された吉野ヶ里遺跡、かつてこの場所に存在していたであろう邪馬台国、この吉野ヶ里遺跡から発掘された人骨や土器などの出土品、集落跡などにより、魏志倭人伝に書かれていた邪馬台国であること、さらに弥生時代の日本人の生活様式が、この吉野ヶ里遺跡が発掘されたことにより確定的になりました。
また、この吉野ヶ里遺跡が現れてからは、雄大な歴史ロマンを感じてみたいと次々と多くの人々が観光に訪れるようになり、そのような背景からこの遺跡を公園として整備し、新たに吉野ヶ里遺跡公園として知れ渡るようになりました。
「吉野ヶ里遺跡」の見所
かつてこの吉野ヶ里遺跡に邪馬台国があったとした定説が広がって久しいですが、弥生時代、女王卑弥呼が統治していた邪馬台国に暮らしていた人々の生活はどのような生活で、どのような文化だったのでしょうか。吉野ヶ里遺跡から発掘された出土品からある程度は読み取れることができます。
さて、ここまで吉野ヶ里遺跡の魅力や概要をお伝えしてきました。ここからはもう少し深入りして、吉野ヶ里遺跡の内部に迫って、その見所を紹介していきます。弥生時代の邪馬台国に暮らしていた彼らはどんな時間をどのように過ごしてきたのか、さっそくはるか遠い古の時間にタイムスリップして、彼らの時代を体験してみましょう。
見所①南内郭 ・北内郭
#お城総選挙
— とおる (@negigobohooo11) March 11, 2019
今こそ吉野ヶ里遺跡を推す時がきたーッ(ˊᗜˋ)و
吉野ヶ里は住居だけじゃない!見てッ!この長い環濠!総延長2.5kmもあるんだよ♡
環濠の中にも入れるんだ!この狭さ…挟まれたい♡
③南内郭は環濠が3つ並んでるの見れるし④北内郭は横矢や枡形虎口もあるんだよー‹\(´ω` )/› pic.twitter.com/8u9yvaa87V
吉野ヶ里遺跡には南内郭と北内郭という居住形態が見受けられます。こちらが最初の吉野ヶ里遺跡の見所になっています。南内郭では、その周辺の人骨や土器などの出土品、建物跡、また周囲を環壕と城柵で囲っており、権威を示すシンボルとしての役割のあった物見櫓が見つかっています。
そのような様子と竪穴住居が各1棟1家族の形態であったことから、ここには当時の集落の有力者である支配層、権力層が居住していたとされています。一方で北内郭は政や行事などを取り決める場所としての役割を果たしていたことが、発掘された出土品や建物の復元から判明しています。
見所②南のムラ・中のムラ
灼熱の中、吉野ヶ里遺跡を見学してきました。
— めちゃシロスキー (@highhillhide) August 4, 2018
弥生時代の環濠集落で、王をピラミッドとした大きなムラを形成し、北は政務するエリア、南に王とその家族エリア、周辺は民、市場、蔵のエリアで、いずれも復元されています。古代城のはしりで、100名城の88番目。 pic.twitter.com/pj5dXEJQv1
続いての見所は南のムラと中のムラです。南のムラは一般の人々が居住していたとされています。南内郭や北内郭と違い周囲を囲む環壕と城柵がなく、竪穴住居も3から4棟に対して共同の高床倉庫が1棟という、日本の他の弥生時代において使われていた居住形態にもよく見られていることからそう判断されました。
中のムラに関しては、北内郭での政や行事などにおいて使われるものを、当時の司祭者たちが作っていた場所とされています。同時にこの中のムラにはその司祭者たちが住んでいたとも言われています。
見所③倉と市
〔吉野ヶ里遺跡/倉と市〕
— 手荒いうがい (@YorozuKanbayasi) April 29, 2019
高床式の建物が密集する地帯。
その中心部に市楼と呼ばれる櫓にある太鼓、備え付けのバチは1個。
ふつうコースまでしか出来んな pic.twitter.com/nd8tmDHZbm
続いての吉野ヶ里遺跡の見所は「倉と市」と呼ばれている当時の倉庫群です。高床式倉庫が密集した集落になっていて、中には4メートル×7メートルという巨大な高床式倉庫もあり、この吉野ヶ里遺跡に存在していたであろう邪馬台国の規模の大きさに驚きを禁じえません。
また、建物は規則性に並んでおり、中央にはその倉庫群を見渡せる「市楼」と呼ばれている見張り台の建物があったり、レンガに似た壁の仕切りがあったりして、ここが市として設備されていたのではないかといったことが見受けられます。
見所④北墳丘墓・甕棺墓列
おはようございます。今朝の1枚目は吉野ヶ里の歴代の王が埋葬されていた北墳丘墓と祖先の霊の宿る柱です。2枚目は北墳丘墓と祀堂。北墳丘墓の中は発掘当時の展示が充実していて思ったより面白かった印象。3枚目は一般の人々の墓である甕棺墓列。私が入るのはこっちね。(2011/3/18) pic.twitter.com/OZNpVUanGJ
— さ子(城好き) (@midonn3) March 6, 2017
吉野ヶ里遺跡には、歴代の王の墓として考えられている北墳丘墓があります。とても丈夫な造りになっていて、発掘した人骨や土器、装飾品などの出土品のその豪勢さから歴代の王やそれに近しい位の人々の墓であることが判明しました。
また、甕棺墓列の遺跡が所かしこに見つかっており、こちらは弥生時代の庶民の墓として弥生時代の中頃までの200年間主に使われていたようです。
見所⑤甕棺墓列
甕棺墓列(かめかんぼれつ)。いわゆるお墓ですね。
— 放浪Yumi (@mag_kaibigan) June 4, 2017
当時は甕を棺とし土へ埋めていた。 pic.twitter.com/E39QY6QSyi
最後の吉野ヶ里遺跡の見所は甕棺墓列になります。弥生時代の一般の人たちの墓で、甕棺壷に遺体を入れて土中深くに埋める方式のようで、この吉野ヶ里遺跡全体に広がって発掘されています。
はるか遠く悠久の時間の流れの中で現代に至るまで土中に眠っていたこれらの墓が、当時この場所でつつましやかな人生を送っていたことが想像できて、その悠久の時間の深さに感銘を受けます。
「吉野ヶ里遺跡」の体験プログラム
さて、ここからは吉野ヶ里遺跡公園で行われている当時の弥生時代の人々の暮らしなどを体験できるプログラムについて、お伝えしていきます。弥生時代の人々になったつもりで体験できるなんて、とても貴重で楽しい体験になることでしょう。
大人はもちろん、子供たちにとっては歴史の勉強を直に学べるというメリットがあって、この体験はたいへん有益なプログラムになっています。では、さっそく、その体験プログラムの内容や開催時間などの詳細をお伝えしていきます。
開催場所は弥生くらし館と古代植物館
弥生くらし館やらに入る。魏志倭人伝とかあったねそういえば。 pic.twitter.com/FM0MQR4fYf
— キトール山崎 (@kitoruyamak) March 23, 2013
この体験プログラムですが、開催されている場所が弥生くらし館と古代植物館の二か所で行われています。どのような体験をしたいかを決めて、どちらの場所かを調べると良いでしょう。
弥生くらし館のほうでは、当時の弥生時代の人々がどのように生活していたかの生活様式が体験でき、古代植物館のほうでは、当時の人々の古代植物とのかかわりなどの展示物を見ることができたり、古代植物を使った体験プログラム、鏡製作・有柄銅剣製作・巴形製作などの体験ができます。
毎日開催されているプログラム
公園情報誌「ひみか通信」60号が発行になりました!
— 吉野ヶ里歴史公園 (@yoshinogari_hp) December 2, 2016
12月開催の「吉野ヶ里 光の響」にはじまり、3月の「熱気球から遺跡展望」までイベント満載です。
期間限定体験プログラムもたくさん開催しますよ。#吉野ヶ里公園 pic.twitter.com/t1TKzCP8EG
吉野ヶ里遺跡公園では、これらの体験プログラムに関して毎日何らかの体験プログラムが開催されています。その日の天気などの状況によっては開催されていない体験プログラムもありますので、自分が体験したいと思えるプログラムがいつ開催されているか、開催時間などは事前に確認しておいたほうが良いでしょう。
勾玉づくり・土笛づくり・火おこし
吉野ヶ里遺跡で勾玉づくりを体験しました。 pic.twitter.com/tuPaFnYHo1
— 京都市立芸術大学ビジュアルデザイン専攻 (@kcuavd) September 7, 2017
最初にご紹介する吉野ヶ里遺跡公園の体験プログラムは、弥生時代の人々の装飾品として特徴的な勾玉づくりの体験です。所要時間は40分~2時間程度で当時の弥生時代の人々の装飾品が出来上がります。身につけて当時の人々のファッションを想像してみるのはきっと楽しい体験になるでしょう。
続いては、土笛づくり、所要時間は45分程度、弥生時代の人々が祭りなどで使っていた太古の楽器を作ってみるのも趣がありますね。続いての体験は火おこし、弥生時代の人々はこうやって火を起こしていたのだという体験ができて、現代の便利な世の中に感謝できる貴重な体験になりますね。所要時間は30分程度でできます。
組ひも・布つくり・楽器製作と演奏・舞いの稽古
ここからは吉野ヶ里遺跡公園の古代植物館でのものづくり体験プログラムになります。色とりどりの鮮やかな麻の紐の中から2色から4色の色を選んで紡いでいくものづくり体験。ストラップなどに最適です。所要時間は40分程度。
布つくりは、当時弥生時代の人々が洋服などをつくることに使っていた古代の機織り機を使って作ります。続いては弥生時代の人々のお祭りには欠かせなかった楽器の制作とその楽器での演奏体験。古の音楽体験ができて貴重ですね。
こちらの体験もまた当時の人々の祭りや行事に行われていた舞いの稽古も体験できます。古の時代に思いを馳せて体験してみることができるなんて、とても贅沢な時間になることは間違いないでしょう。
土日祝日限定プログラム
今年の『青銅の鋳込み体験』が始まりました
— 吉野ヶ里歴史公園 (@yoshinogari_hp) January 19, 2019
炉で溶かした青銅を鋳型に流し込み、吉野ヶ里遺跡の出土品「把頭飾付細形有柄銅剣」の2/3サイズと「前漢鏡」のレプリカを製作する冬の恒例イベントです
高温で液状になった青銅に皆さん興味津々!出来た青銅器は磨かれ白銅色に輝いていました#吉野ヶ里公園 pic.twitter.com/bge5Tzq1ys
続いては、土日限定でできる体験プログラムをご紹介します。吉野ヶ里遺跡公園では、毎日実地できる体験プログラムと土日限定になっている体験プログラムがありますので、注意が必要です。
鏡や有柄銅剣などの鋳込み体験に関しては土日限定になっており、勾玉づくり・土笛づくり・火おこしなどは毎日開催されている体験プログラムになっています。さっそくその土日限定の鋳込み体験プログラムについてお伝えしていきます。
鏡製作・有柄銅剣製作・巴形製作など
吉野ヶ里遺跡公園の土日限定で行われている鋳込み体験。大人気の体験プログラムになっています。弥生時代の人々が使っていた鏡・銅鐸、有柄銅剣や巴形などの武器の鋳込み体験ができます。当時弥生時代の人々がどんな考えでこれらの銅製品を作っていたのか、大変興味深いですね。
「吉野ヶ里遺跡」のイベント情報
吉野ヶ里遺跡公園の体験プログラム、とても楽しそうですね。吉野ヶ里遺跡公園ではそんな体験プログラムだけではなく、イベントも盛りだくさんに開催しています。
弥生時代の人々の暮らしぶりなどが体験できるだけではなくイベントも楽しめる、とても贅沢な時間を過ごせることは間違いないでしょう。特に夜間のイルミネーションイベントはおすすめです。さっそく、どんなイベントがあるのか見てみましょう。
春の開催される「熱気球から遺跡展望」
吉野ヶ里遺跡公園最初にご紹介するイベントは、春の季節に開催される熱気球から遺跡を眺める展望イベントです。
昼間の熱気球から遺跡を眺めるイベントも人気ですが、夜にライトアップされたイルミネーションの中で、熱気球から遺跡を眺める展望イベントも大人気です。ぜひ、このイベントに参加して、イルミネーションが織りなす古の幻想的な体験をしてみてください。
先着500名が無料搭乗できる大人気イベント
この熱気球で遺跡を展望できる吉野ヶ里遺跡公園の熱気球イベントは大人気で、先着で500名までが熱気球に無料で搭乗できるようになっています。熱気球に乗る体験はそう滅多に出来ることでもないため、参加して広大な空から眺める弥生時代の人々の古の暮らしを感じ、広大な古のロマンを体験してみましょう。
イルミネーションイベント「吉野ヶ里 光の響」
「吉野ヶ里 光の響」
— M.H.O (@astromori) December 23, 2017
遺跡と熱気球ナイトグローや花火が素敵でした。 pic.twitter.com/5P2igwNvCI
続いて、吉野ヶ里遺跡公園のイベント体験で人気が高いのは、このイルミネーションイベント「吉野ヶ里 光の響」。幻想的な古の夜の吉野ヶ里遺跡、その吉野ヶ里遺跡がライトアップされたイルミネーションは一見の価値ありです。
ライトアップされた遺跡のイルミネーションと熱気球におけるイルミネーションに花火、その幻想的で迫力満点なイルミネーションイベントは、見る者を圧巻する景観です。
夜が最も長くな冬至の頃に開催
吉野ヶ里遺跡公園のイルミネーションイベント「吉野ヶ里 光の響」は、夜が最も長くなる冬至の頃に開催されます。吉野ヶ里遺跡の壮大なイルミネーションイベントを観光してみたい場合は、その時期を狙っていくと良いでしょう。
ただ、この時期はイルミネーションイベント「吉野ヶ里 光の響」目当てに観光に訪れる人々で込み合いますので、事前に混雑状況を確認しておくことをおすすめします。
季節ごとの農作物の収穫体験イベントも!
今日は鳥栖から近い吉野ヶ里遺跡を散策しました。のどかでいいところ。鏡作りの体験と枝豆収穫体験もしました。 pic.twitter.com/siz9UEP6Gh
— リリア (@seira0506) October 18, 2015
最後にご紹介するイベントは、弥生時代の人々の暮らしの要であった農作物の収穫体験イベント。当時の人々の暮らしぶりがよく分かるイベントになっています。1年中その季節に関係なく食べられる野菜や穀物が収穫される現代と違って、弥生時代では季節によって味わう、収穫できる農作物が違ってきます。
ただ、本来の人間の生活により近しい生活であるので、このイベントを体験することはとても趣深く、貴重な体験になることと思います。当時の人々の食生活に思いを馳せて、このイベントを体験してみてください。
「吉野ヶ里遺跡」の詳細情報
昭和の始めにこの場所から弥生時代の生活様式が分かる人骨や土器などの出土品、集落跡の遺跡などが多く発掘されて全国的に知れ渡った吉野ヶ里遺跡公園。大変貴重な観光地として有名になりました。
ここまではイルミネーションなどのイベント体験や弥生時代の人々の暮らしぶりが体験できる体験プログラムなどを紹介してきましたが、ここからは吉野ヶ里遺跡公園に関する詳細情報やアクセスなどの情報をお伝えしていきます。吉野ヶ里遺跡に観光する際の参考にしてください。
公園内には売店やレストランも!
公園内のレストランなのに普通に美味しいと評判の、吉野ヶ里遺跡公園入り口のレストラン。佐賀牛ハンバーグいただきました pic.twitter.com/PQ9ibjXgBu
— かあふ (@calf_168) May 3, 2016
この吉野ヶ里遺跡公園には、観光客のお腹を満たしてくれる、当時の弥生時代の人々が使っていた古代米などの材料を使った料理を出すレストランや当時の人々の暮らしぶりや装飾品などのお土産が売っている売店などがあります。吉野ヶ里遺跡公園に観光へ訪れた際のお土産にぜひ買って帰りましょう。
売店ではオリジナルグッズも販売
売店では、この吉野ヶ里遺跡公園ならではの佐賀県の特産品や、オリジナルキャラクターの「ひみか」や「やよい」ちゃんのオリジナルグッズや人骨や土器などの出土品を形どったストラップなどの変わり種のお土産も売っていますので、ぜひ、手に取ってみてください。
営業時間と料金
吉野ヶ里遺跡公園のレストラン、売店の営業時間は、9:00 ~ 17:00(6 ~ 8月/18:00)になっています。料金に関しては、1,000円から3,000円の平均予算で、弥生時代の食材などを使ったこの吉野ヶ里遺跡公園ならではのメニュ-がそろっています。
アクセス情報
続いては、吉野ヶ里遺跡公園までのアクセスをお伝えしていきます。吉野ヶ里遺跡公園までは車でのアクセスも電車でのアクセスも両方とも行きやすい形になっています。
車でのアクセスの場合は、長崎自動車道と国道34号線、県道30号線のアクセスを利用すると比較的便利で、電車の場合のアクセスは、吉野ヶ里遺跡公園まで徒歩15分圏内に最寄り駅もありますので、どちらのアクセスを利用しても大丈夫です。
JR吉野ヶ里公園駅から徒歩約15分
YC1系
— ゆふ鉄 (@Yufu_tetsu185) June 3, 2018
吉野ヶ里公園駅に停車中です pic.twitter.com/7j9I76BjYR
吉野ヶ里遺跡公園への電車でのアクセスは、吉野ヶ里遺跡公園すぐのところにJR吉野ヶ里公園駅がありますので、その駅を利用するのが一番の早道になります。
車は佐賀空港から県道30号と国道34号で約40分
車でのアクセスの最短アクセス方法は佐賀空港から県道30号と国道34号を利用するとおよそ40分で到着します。ぜひ、このアクセス方法を参考に色々と工夫してみてください。
「吉野ヶ里遺跡」の基本情報
【住所】 | 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843 |
【問い合わせ番号】 | 0952-55-9333 |
【営業時間】 | 4月1日~5月31日 9:00~17:00 6月1日~8月31日 9:00~18:00 9月1日~3月31日 9:00~17:00 |
【休園日】 | 12月31日、1月の第3月曜日とその翌日 |
【利用料金】 | 大人(15歳以上): 一般460円、団体280円、年間パスポート4,600円 大人2日間通し券: 一般500円、団体340円 シルバー(65歳以上): 一般200円、団体200円、年間パスポート2,000円 シルバー2日間通し券: 一般240円、団体240円 |
【アクセス】 | JR吉野ヶ里公園駅から徒歩約14分 JR神埼駅から徒歩約17分 |
【駐車場】 | 大型車:1,050円、東口80台、西口20台、北口11台 普通車:310円、東口540台、西口310台、北口230台 二輪車:100円、東口30台、西口10台、北口10台 自転車無料 |
【公式サイト】 | http://www.yoshinogari.jp/ |
「吉野ヶ里遺跡」で弥生時代にタイムスリップ!
吉野ヶ里遺跡より#今日の一枚 #写真 #キリトリセカイ #東京カメラ部 #写真好きな人と繋がりたい #吉野ヶ里遺跡 #佐賀県 pic.twitter.com/DzkITvDLzA
— MOON@写真 (@MOONshumiaka) March 29, 2020
日本人のその暮らしぶり、様子が書かれた魏志倭人伝。それによると、その時代は弥生時代。その弥生時代に存在していたという卑弥呼という女性が統治していた幻の都邪馬台国、昭和の時代に入るまでその邪馬台国がどこに存在していたのかあやふやでした。
昭和に入って次々とその魏志倭人伝に記されていた邪馬台国を思わせる人骨や土器などの出土品や建物跡がこの吉野ケ里遺跡のある場所で次々と発掘され、当時大きな話題となりました。
その後、この吉野ヶ里遺跡は公園として整備され、弥生時代の人々の暮らしぶりを体験できる体験プログラムやイルミネーションなどで彩られた熱気球での展望イベントなどが開催され、多くの観光客が後を絶たないほど佐賀県一の人気の観光スポットとしての地位を不動にしました。
そんな魅力が盛りだくさんな吉野ヶ里遺跡公園。さあ、今年はそんな吉野ヶ里遺跡公園を訪れてみてはいかがでしょうか。