「鹿児島城(鶴丸城)」は薩摩藩の拠点だった名城!御楼門が復元?

鶴丸城の名で愛される鹿児島城は、薩摩藩の拠点でした。現在は鶴丸城址に資料館黎明館が建っています。鹿児島城は天守閣がありませんでしたが、日本最大級の大手門、御楼門がありました。焼失した御楼門が、ついに復元され甦りました。薩摩藩鹿児島城の魅力をご紹介します。

「鹿児島城(鶴丸城)」は薩摩藩の拠点だった名城!御楼門が復元?のイメージ

目次

  1. 1「鹿児島城(鶴丸城)」とは
  2. 2「鹿児島城(鶴丸城)」の魅力とは?
  3. 3「鹿児島城(鶴丸城)」の御楼門を復元!
  4. 4「鹿児島城(鶴丸城)」の詳細情報
  5. 5薩摩藩の名城に御楼門を見に行こう!

「鹿児島城(鶴丸城)」とは

鹿児島城は、別名を鶴丸城と呼ばれる、日本百名城にも選出されている名城です。昭和28年に県の史跡に指定されました。元々天守閣は無く、後ろの城山と、麓にある館のみの城でした。館の形が鶴が羽を広げたようだったため、鶴丸城と呼ばれるようになりました。

鶴丸城は1601年、関ヶ原の戦い後に薩摩藩初代藩主島津忠恒により築城されました。正面には日本最大級とされる御楼門が堂々と建っていましたが、火災で焼失してしまいました。2020年4月に鶴丸城御楼門が復元され甦りました。

薩摩藩の拠点だった名城!

鹿児島城は地元のから鶴丸城と呼ばれ親しまれています。鹿児島城(鶴丸城)は薩摩藩の本拠地で、関ヶ原の戦い後1601年に築城されました。薩摩藩は鹿児島藩が正式名称の77万石の大名です。外様大名ですが、琉球の石高を加えると90万石の大藩とも言われます。

薩摩藩からは幕末から明治にかけて、西郷隆盛や大久保利通などの有名な政治家が生まれました。薩摩藩の藩主は島津家ですが、古くからの支配体制であった外城制を継承しました。これは武士領内に分散して住まわせ、城の外側から鹿児島城を守るという体制です。

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「鹿児島城(鶴丸城)」の魅力とは?

鶴丸城に天守閣はありませんでした。幕府に恭順を示したと言われていますが、「人をもって城をなす」といった、薩摩藩島津家ならではの攻めの姿勢の表れとも言われています。この精神は外城という制度を生み出し、まさしく人で城を守る体制が整っていきました。

鶴丸城の魅力は、薩摩藩の魅力です。武士を城下へ住まわせるのではなく、分散することで軍事拠点を複数作り、領民を効率良く支配しました。これは外城(とじょう)と呼ばれる薩摩独特の制度で、有事の際は領民も外城の守りのために戦う事となっていました。

それぞれが外城を守り、結果的に鶴丸城を守るという役割となり、最盛期には92過疎の外城が造られ、鶴丸城はそれらを束ねる政治的中心となっていました。鹿児島藩は77万石、加賀百万石に次ぐ大藩です。

「鹿児島城(鶴丸城)」の歴史

鹿児島城(鶴丸城)は1601年(慶長6年)に、初代薩摩藩主島津忠恒(家久)によってり築城されました。薩摩藩は関ヶ原の戦いで西軍として戦い、外様大名となっていたため、忠恒の父義弘は防御に問題のあるこの土地への築城に最後まで反対したと言われます。

反対を押し切り、背後の山を城山とし、前面に鶴丸城を建築、1604年に完成しました。結局徳川家康の薩摩攻めは行われず、薩摩藩は外様大名として存続を許されます。ところが幕末の薩英戦争で、イギリス軍艦から砲弾を何発か打ち込まる事態となりました。

しかし、天守閣を持たず簡素な造りだった鶴丸城だったため、イギリス軍艦は寺を天守と間違えて攻撃しました。その後多くの災害、シロアリ被害、焼失、倒壊などの度、建て替えが行われましたが、1874年(明治7年)に焼失後、再建されずにいました。

城址は第七高等学校造士館の校地に

鶴丸城址は、1901年以降、第七高等学校造士館の校地として使用されていました。略称は「七高」(しちこう)と言いました。明治の廃藩置県により藩校「造士館」が廃止され「鹿児島県立中学造士館」が設置され、後に七高となります。

七高は、1945年の鹿児島大空襲で校舎が全焼、長崎原爆投下で三菱兵器工場に動員されていた、多くの七高生が被爆し14名が死亡しました。1950年廃校となりました。

現在は博物館や資料館に

鶴丸城址は、現在博物館や資料館が建っています。本丸跡に鹿児島県歴史資料センター黎明館、二の丸跡に鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館があります。鶴丸城は2006年(平成18年)日本百名城に選定されました。

施設①鹿児島県歴史資料センター黎明館

鶴丸城の本丸跡には「鹿児島県歴史資料センター黎明館」があります。昭和58(1983)年開館の総合博物館です。黎明館では鹿児島の歴史や美術、工芸などを紹介しています。黎明館周辺には、鶴丸城の壕や石垣、石橋など県指定史跡の貴重な遺構が残っています。

住所 〒892-0853 鹿児島市城山町7番2号
電話番号 099-222-5100
開館時間 9:00~18:00(入館は17:30まで)
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
毎月25日(土・日曜日の時は開館)
12月29日~1月2日
料金 一般400円 高校大学生250円 小中学生150円
駐車場 あり
参考サイト http://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/index.html

施設②鹿児島県立図書館

鹿児島県立図書館は、鶴丸城の二の丸跡にあります。黎明館の隣にあり、静かな環境で利用出来ます。石垣や鯉が泳ぐお濠など、城跡らしさが残ります。桜の古木が多数あり、桜の名所としても有名です午後9時まで開いていて、仕事帰りでも利用出来ます。

住所 〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7−1
電話番号 099-224-9511
開館時間 火曜日~土曜日9:00~21:00 児童文化室は19:00まで
日曜日・祝日9:00~17:00
休館日 月曜日(定例休館日)
整理研修日 毎月25日(土・日曜日,祝日の場合は開館)
年末年始 12月29日~1月3日
駐車場 あり
公式サイト http://www.library.pref.kagoshima.jp/honkan/

施設③鹿児島市立美術館

鹿児島市立美術館は、鶴丸城の二の丸跡にあります。昭和60年新しく開館しました。地元にゆかりのある作家を中心に、19世紀末以降の西洋美術の作品を保存、展示している美術館です。素敵なカフェも併設してあり、ドリンクやスイーツが楽しめます。

住所 〒892-0853 鹿児島市城山町4-36
電話番号 099-224-3400
開館時間 9:30~18:00(入館は17:30まで)
休館日 月曜日
(祝日の場合はその翌平日)
12月29日~1月1日
入館料 一般 300円
(年間パスポート600円)
高大生 200円
(年間パスポート400円)
小中生 150円
(年間パスポート300円)
駐車場 あり
公式サイト https://www.city.kagoshima.lg.jp/artmuseum/index.html

施設④鹿児島県立博物館

鹿児島県立博物館は、本館、別館、旧考古学館があります。本館1階は企画展示室、2階は自然総合展示室、3階は自然史応用展示室があります。別館の鹿児島県文化センター4階にはプラネタリウムがあります。化石展示室には、恐竜の完全骨格が展示されています。

住所 〒892-0853鹿児島市城山町1番1号
電話番号 099-223-6050
開館時間 9:00~17:00
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)
整理点検日毎月25日頃
年末年始12月29日~1月1日(4日間)
料金 プラネタリウム以外無料
<プラネタリウム>
未就学児無料
小学生~中学生120円
高校生以上210円
駐車場 なし
参考サイト http://www.pref.kagoshima.jp/hakubutsukan/

城下町は?

鹿児島城(鶴丸城)の城下町は、鶴丸城の北側に広がる上町、南側の下町、そのほかの町の47町がありました。城下町とその周辺には。鹿児島藩庁の直轄地として支配され、鹿児島藩が採用していた外城制は適用されませんでした。

現在は?

鹿児島は幾度かの戦火に見舞われた町です。そのため、残念ながら古い町並みは残っていません。文久3年(1863)の薩英戦争で市街地の一割が焼失しました。続く明治10年(1877年)西南の役では、攻め込んだ政府軍との戦火が城内に及び、二の丸が焼失しました

そして昭和20年(1945年)の太平洋戦争、春から夏にかけて8回に及ぶ空襲を受けた鹿児島は、死者約3300人、家屋被害約20,000戸、 市街地の約90%が焼け野原となりました。

歴史遺構として現存しているのは、鶴丸城の石垣と堀、西郷隆盛の私学校跡地の出丸跡、大手門との間に架かる石橋があります。私学校の石垣には西南戦争の時の、銃弾跡が数多く残り、戦火の激しさを今に伝えています。

日本百名城にも選ばれた

薩摩には「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」という言葉があります。立派な城造るよりも、優秀な武士達を配置し、城に匹敵する防御を固める事こそが兵法の基本とされてきました。天守閣はありませんが、鹿児島(鶴丸城)は日本百名城に選ばれています

「鹿児島城(鶴丸城)」の御楼門を復元!

鹿児島城(鶴丸城)は、島津氏の居城です。現在の黎明館がある場所に本丸があり、正面中央に、日本最大級と言われる御楼門(大手門)がありました。鹿児島城には天守閣がなかったため、堂々とした御楼門が鹿児島のシンボルとなっていました。

火災で館と共に焼失してしまった御楼門を、鹿児島県と民間が一体となって、再建へ取り組み、平成20年4月に復元工工事が完成し、御楼門が完成しました。

御楼門の復元には、岐阜県のヒノキが使用されました。江戸時代にたびたび大きな氾濫を起こしていた木曽川を、幕命で薩摩藩が治水工事を行いました。財政難だった薩摩藩は借金をしながら1000人近い人出を出し、工事にあたりました。

粗末な食事と過酷な労働で、多くの犠牲者が出たうえ、幕府からの嫌がらせなどもあり、幕府への抗議で51名が自害するという事件に発展しましたが、御家断絶を恐れ幕府には報告されませんでした。総奉行平田靱負は全ての責任を負い、工事完成後に自害しています。

これ以来鹿児島と岐阜県は友好関係にあり、木曽川の治水工事のお礼として、今回の鶴丸城御楼門復元に向けて、岐阜県から大ヒノキが贈られました。ヒノキは、御楼門の扉に使用されました。

御楼門はどのくらいの大きさ?

鹿児島城の御楼門は、二層二重の武家門で、高さ20メートル、幅20メートル、奥行き7メートル日本最大級の楼門です。焼失前の明治時代に撮影された写真や、現存する礎石からその大きさが計算され、復元に利用されました。

焼失したのはいつ?

鶴丸城の御楼門は、堂々とした風格で鹿児島のシンボルとして建っていましたが、明治6年(1873年)の火災で、現在の黎明館がある場所にあった館と共に焼失してしまいました。官民一体となった復元プロジェクトにより、2020年4月に復元されました。

鶴丸城御楼門建設協議会が復元

鹿児島城御楼門は、火災で焼失してしまっていましたが、「鶴丸城御楼門復元委員会」が平成27年(2015年)に設立され、民間主導で、官民の連携による楼門復元プロジェクトが進められ、平成29年(2017年)9月着工し、2020年4月に復元完成となりました。

瓦記名会とは?

鹿児島城御楼門復元にあたって、鹿児島県民が御楼門に愛着を持ってもらおうと、瓦の記名会が開かれました。御楼門に使われる瓦に名前やメッセージを書き、未来へ残すというイベントです。瓦記名会は6回開催され、300枚の瓦に思い思いの文字が書かれました。

使用された瓦はなまこ瓦で、御楼門の外壁に使用されました。後日、記入した瓦の使用箇所が示された「使用証書」が送付されました。

御角櫓も復元

鹿児島城御楼門復元計画では、御角櫓(おすみやぐら)と、御楼門と御角櫓を繋ぐ城壁も復元する計画が進められています。2020年4月には御楼門のみが復元完成となりました。

御角櫓とは何?

御角櫓とは、城郭の角に設けた櫓のことを指して言います。鹿児島城の場合は、御楼門に向かって左手に配置され、見張り台や武器の倉庫などに使われ、城郭には重要な建物です。

「鹿児島城(鶴丸城)」の詳細情報

薩摩藩の拠点として使用された鹿児島城。天守閣はありませんでしたが、日本最大級の御楼門がそびえたっていました。焼失してしまった御楼門が復元され、堂々とした姿でよみがえりました。鹿児島城へのアクセスや駐車場などの詳細情報をご紹介します。

アクセス詳細は?

鹿児島城(鶴丸城)へのアクセスは鉄道を利用する場合は、JR日豊本線「鹿児島」駅から徒歩約15分、JR九州新幹線「鹿児島中央」駅から車で10分です。市電を利用する場合は「市役所前」下車、徒歩約5分です。

バスを利用する場合は「市役所前」下車、徒歩約5分です。観光周遊バスカゴシマシティビューでは「薩摩義士碑前」下車すぐです。

駐車場はある?

鹿児島城(鶴丸城)の専用駐車場は、黎明館駐車場となります。この駐車場は、普通車が125台も収容できる大型駐車場で、駐車料金も無料となっています。

入城時間は?

鹿児島城跡はいつでも見学することができます。城址には現在資料館の黎明館が建っています。黎明館の入館時間は午前9時から午後6時までとなっています。定休日は月曜日、毎月25日、12月31日~1月2日までです。

入城料金は必要?

鹿児島城址のみ見学する場合は、無料となっています。城址にある資料館黎明館の料金は、一般400円 高校大学生250円 小中学生150円です。

「鹿児島城(鶴丸城)」の基本情報

住所 鹿児島県鹿児島市城山町7鹿児島県鹿児島市城山町
電話番号 099-298-5111 (観光交流センター)
黎明館営業時間 9:00~18:00(入館は17:30まで)
黎明館料金 一般400円 高校大学生250円 小中学生150円
アクセス 市電「市役所前」・バス「市役所前」下車、徒歩5分
カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車すぐ
駐車場 あり
参考サイト https://www.kagoshima-kankou.com/guide/12332/

薩摩藩の名城に御楼門を見に行こう!

薩摩藩の拠点だった鶴丸城のシンボルとして建っていた御楼門がついに復元され完成しました。堂々としたその姿は薩摩藩士そのもののように威厳があります。西郷隆盛や大久保利通も通っていた、鹿児島城御楼門の甦った姿を見に行きましょう。

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この記事のライター
ORANGE77
旅行大好きです。特に博物館や神社仏閣巡りが好きです。歴女というほどではありませんが、日本史、世界史にとても興味があ...

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