「乙女の像」がなぜ十和田湖に?その由来や製作者の高村光太郎とは?
この記事はなぜ十和田湖に「乙女の像」を高村光太郎が作ったのかなどをご紹介します。「乙女の像」は歴史ある像、また、高村光太郎の最後の作品としても知られています。十和田湖にいく機会があれば「乙女の像」も見てみてはいかがですか?

十和田湖にある「乙女の像」とは
十和田湖にある乙女像とは、詩人にして彫刻家の高村光太郎の傑作の作品となっています。この「乙女の像」は、十和田湖の文字通りのシンボルともなっています。そこでここでは十和田湖にある高村光太郎の作品「乙女の像」の紹介をします。
彫刻家であり詩人の高村光太郎の作品
【高村光太郎記念館講座🍁「詩と林檎のかおりを求めて-小山先生と訪ねる碑めぐり-」を10月7日に開催します✨】
— 花巻市 (@city_hanamaki) September 3, 2019
花巻市および北上市にある高村光太郎が揮毫した石碑や詩碑などを、高村光太郎連翹忌運営委員会代表の小山弘明氏による解説とともにめぐります
詳しくはこちらからhttps://t.co/S1lbubJzpG pic.twitter.com/OGKbqWHA8E
まず、この十和田湖にある「乙女の像」を作ったのは、詩人であり、彫刻家の高村光太郎です。高村光太郎は、彫刻家として名をあげていた人物であり、歴史ある画家や詩人としてよく知られている人物でもあります。また、教科書などでみなさんが見てきた『道程』などもこの高村光太郎の作品です。
乙女の像の基本情報
名称 | 乙女の像 |
所在地 | 〒034-0301 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486 |
TEL | 0176-75-1531 |
ホームページ | http://towadako.or.jp/rekishi-densetsu/otomenozou/ |

乙女の像の特徴
で、その十和田湖の乙女の像、先日ラッキーなことに寄れて。結構鳩胸だなぁと思って、お顔はやっぱり智恵子さんに似てる。これを作るためにあの山荘を出たんだね、そして数年後亡くなった。 #十和田 #花巻 pic.twitter.com/6sjBFkv4Lw
— Loopmark🌙sachiko (@LoopmarkSachiko) November 22, 2019
ここでは、十和田湖にある高村光太郎が作った「乙女の像」の特徴をご紹介していこうと思います。まず、高村光太郎の作品「乙女の像」は、二人の裸形の女性が向き合っているところが特徴です。この像は高村光太郎の妻がモデルとされています。詳しくは後ほどご紹介いたします。
特徴①高村光太郎の最後の作品
十和田湖畔の乙女の像。
— 咲良 (@sakuranotabi) November 10, 2018
高村光太郎の最後の作品。
顔は智恵子さんがモデルだとか。目線が一方向に向かないように眼球は入っていない。 pic.twitter.com/6gswmHjkv9
ここでご紹介する作品の特徴は、高村光太郎の最後の作品だということです。この作品の完成は、昭和28年の晩春です。また、高村光太郎は、納期にこだわらない性格でしたが、この乙女の像はめずらしく順調な出来上がりだったそうです。
また、高村光太郎はこのあとに倉田雲乎像の制作にとりかかっていたが、病で倒れ、この像は完成せず、「乙女の像」が高村光太郎の歴史ある最後の作品となりました。
特徴②完成まで1年余りかかる
智恵子抄を読むとぎゅっとなるので、行くか迷ってた高村山荘&高村光太郎記念館。結果、行ってとても良かった。彫刻をせずにここで8年暮らしたそう。十和田湖の乙女の像制作のためにここから出た、とか。当時は厳しい環境だったはず、いまは整備されて甘酒のお茶屋さんが迎えてくれました。#花巻 pic.twitter.com/fj2J7ayxKw
— Loopmark🌙sachiko (@LoopmarkSachiko) November 22, 2019
次にご紹介する特徴としては、十和田湖にある高村光太郎が作った「乙女の像」は、完成まで1年余りかかったそうです。納期にこだわらない高村光太郎しては、この乙女の像という作品は珍しく早いほうだったとのことです。

特徴③像のモデルは最愛の妻
昭和を振り返る画像。
— 昭和ガイド (@showa_g) January 19, 2019
『高村智恵子(筑摩書房版『高村光太郎全集』より、大正五年)』
プロフィールは→https://t.co/auaTvkepMd#昭和#歴史#芸術文化 pic.twitter.com/GTDQSl1XLc
この「乙女の像」のモデルは、「智恵子抄」で知られる智恵子夫人(高村光太郎の妻)とのことです。制作中は、像の顔は白い布で覆われていたため、完成するまではこの乙女の像は誰がモデルなのかはわからなかったそうです。
しかし、完成してみてみると、この十和田湖畔にある歴史ある「乙女の像」のモデルが高村光太郎の妻、智恵子だとわかったそうです。
特徴④福島産の黒御影石使用
次の特徴としては、この乙女の像の台座には黒御影石を使用しています。この黒御影石とは、御影石の中で有色鉱物を含んだ黒い石です。この黒御影石は、加工に手がかかるが、磨くほどに美しい艶が石にでてくる石です。日本では、お墓などに使われています。

乙女の像が十和田湖にできた由来
ここで、ご紹介するのは高村光太郎が作った「乙女の像」が十和田湖にできた由来です。まず、十和田湖とは青森県十和田市と、秋田県鹿角郡小坂町にまたがる湖で、日本で3番目の湖とも言われています。また、十和田湖の雪景色が綺麗で、冬になると十和田湖の雪景色を見る方も多いようです。
由来①高村光太郎が作品を作るよう依頼される
ふたりして、何を語らうのか。。
— いなか道 ☆さらに深まりゆく秋・11月…霜月 ✨ (@Ad101Inakamichi) October 15, 2017
※「乙女の像」(作・高村光太郎) pic.twitter.com/ZQaTFhzx0k
この十和田湖にある「乙女の像」の由来は、国立公園指定15周年記念事業として、十和田湖開発の功労をたたえるために佐藤春夫に意見を求めたら、「高村光太郎に依頼する」とのことで高村光太郎が作品を作るように依頼されました。そこでできたのが乙女の像です。
由来②湖面に自身の姿が映る十和田湖に感動
#bura_bi_now 19/07
— Kanpanerura(💛=^ω^=) (@Siamese___Cat) July 22, 2019
乙女の像(十和田開発の功労者のための顕彰碑)@青森県十和田湖畔
1953年完成
制作:高村光太郎
鋳造:伊藤忠雄
ブロンズ
国立公園指定15周年記念でもある
高村光太郎 生涯最後の大作
時の知事は津島文治(太宰治の兄)
高村光太郎を推薦し説得した面々が凄い pic.twitter.com/Rt0i746K3O
また、「乙女の像」の特徴は、二人の裸形の女性が向き合っていることで知られていますが、このように制作した由来をここでは紹介します。高村光太郎は、湖に映った自分の像を見ていくうちに、同じものが向かい合って、その隙間が魅力的だと語ったそうです。
由来③人間に型どった像を作ることを決める
青森県十和田市十和田湖畔の撮影。高村光太郎作「乙女の像」がたたずむ十和田湖畔。人の少ない湖畔を楽しめるのも冬ならである。 pic.twitter.com/PaBuF58QC0
— 雅【みやび】 (@bpZOUosCMiyWnCG) January 23, 2019
2体の人間の背を伸ばした三角形が、”無限”を表すそうで、また、2体の間にできる線が魅力的だというところから、人間に型どった像を作ることを決めたそうです。この「乙女の像」は歴史ある像なので、十和田湖にいく機会があったら、見に行ってみてはどうですか?

歴史を感じる「乙女の像」を十和田湖で眺めよう!
高村光太郎(Takamura Kotaro) 「乙女の像」1953年 青森県十和田湖畔 #高村光太郎 #TakamuraKotaro pic.twitter.com/ljLXYGGg8W
— 美術すき! (@fsc1234567) November 20, 2018
ご紹介したように十和田湖にある「乙女の像」は歴史ある像となっています。もし、十和田湖などにいく機会がありました、乙女の像を見に行ってみてはいかがでしょうか??
おすすめの関連記事


