福島県の5つの名城を紹介!有名な観光スポットで城巡りファン必見!

福島には名城と言われる城がたくさんあります。鶴ヶ城、二本松城には戊辰戦争との関りも深く、悲しい少年兵の物語もあります。桜の名所として有名なお城もあり、お城巡りファンには見逃せない観光地です。福島で歴史ある有名なお城を巡る旅に出かけましょう。

福島県の5つの名城を紹介!有名な観光スポットで城巡りファン必見!のイメージ

目次

  1. 1城巡りなら福島がおすすめ!
  2. 2福島の名城①鶴ヶ城(会津若松城)
  3. 3福島の名城②二本松城
  4. 4福島の名城③白河小峰城
  5. 5福島の名城④向羽黒山城
  6. 6福島の名城⑤猪苗代城
  7. 7城好きなら訪れるべき福島の名城!

城巡りなら福島がおすすめ!

お城巡りなら福島がおすすめです。福島には名城として有名なお城が点在し、歴史にふれるのに最適な観光地です。鶴ヶ城、二本松城には戊辰戦争の際、健気に戦った少年兵の悲しい物語も残っています。福島はお城巡りファンには必見の場所です。

有名な城の観光スポットがいくつも!

福島にはお城巡りファン必見の観光スポットが点在しています。有名な鶴ヶ城、二本松城の他にも、東北随一の規模を誇る山城、珍しい積み方の石垣がある城跡、野口英世のゆかりの城跡など、福島には興味深い場所がたくさんあります

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福島の名城①鶴ヶ城(会津若松城)

福島おすすめお城巡り観光、名城で有名で最初に名前が上がるのはやはり「鶴ヶ城」ではないでしょうか?幕末の戊辰戦争の際、戦闘後の疲労困憊の状態で、鶴ヶ城が火に包まれていると見間違い、自害して果てた少年達「白虎隊」はあまりにも有名です。

福島のお城巡りとして外せないおすすめの観光名所です。鶴ヶ城は福島県会津若松市にあり、若松城の通称です。明治7年に廃城となり取り壊されましたが、昭和40年に再建され蘇りました。平成23年には赤瓦も化粧直しされ、現在の美しい姿となりました。

鶴ヶ城建立の背景・歴史

福島県の名城「鶴ヶ城」の歴史は、1384年、蘆名直盛が黒川館という館を造ったのが始まりだと言われています。以後、伊達政宗、蒲生、上杉景勝、加藤、保科、松平と数多くの大名たちが統治した歴史があります。

鶴ヶ城は幕末の戊辰戦争の際の会津戦争で、激戦地となったことで有名です。会津は保科正之が三代将軍家光に実弟として認められ、保科正之の子、正容が正式に徳川親藩となります。幕府と懇親だった会津藩は、最後まで幕府軍として戦いました。

赤瓦の天守は国内で鶴ヶ城のみ

福島の名城鶴ヶ城の瓦は、日本で唯一の赤い瓦です。今から400年前、蒲生氏郷が城の改修の際に製造させた瓦は黒い瓦でした。黒い瓦は冬の寒さで割れてしまうので、瓦に釉薬をかけて焼き、お濠の中に寒中30日浸してみたところ、大変丈夫になり割れなくなりました。

この後、赤瓦として城の屋根に使われる事となり、順番に吹き替えられて行きました。江戸時代の城下絵図などには、お城の屋根が赤い色で描かれています。東日本大震災後の屋根瓦修復工事では、鶴ヶ城には赤い瓦が採用され、現在の美しい姿となりました

天守閣には博物館が!

福島の名城鶴ヶ城の城跡は「鶴ヶ城公園」となっていて、国の史跡に指定されています。鶴ヶ城天守閣は鉄筋コンクリート製で、外観が復元され、天守閣の内部は若松城天守閣郷土博物館になっていて、鶴ヶ城の歴史資料などを展示していておすすめです。

見学やお抹茶を楽しめるお茶室も!

鶴ヶ城公園内に、千利休の子少庵が建てたと言われている、福島県重要文化財指定茶室「麟閣」があります。戊辰戦争の後、別の場所に移築され保存されていましたが、平成2年に鶴ヶ城内の元の場所へ移築復元されました。お抹茶を頂けたり、茶会などが開かれています。

夜間のライトアップは必見!

福島県の名城鶴ヶ城では、桜や紅葉の時期に合わせてお城のライトアップを行っています。美しい鶴ヶ城や石垣がライトアップされ、桜や紅葉とのコントラストが、幻想的でロマンチックでおすすめの観光スポットです。

桜の名スポットでも知られる

鶴ヶ城がある鶴ヶ城公園は、日本桜の名所百選に選ばれる桜の名所で有名です。見頃には1000本の桜が咲き揃い、お城とのコントラストが見事です。ライトアップも行われ、多くのお花見客で賑わいます。優雅なお茶かも開かれおすすめです。

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鶴ヶ城の詳細情報

住所 〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1 
電話番号 0242-27-4005
開城時間 8:30~17:00(入場16:30まで)
定休日 年中無休
料金 茶室麟閣共通券 大人520円
大人410円、小人150円
アクセス 福島会津若松ICから車で17分
市内周遊バス「ハイカラさん」利用で「鶴ヶ城入り口」徒歩5分
駐車場 有り 有料
西出丸駐車場:普200台収容可
東口駐車場:普129台収容可
南口駐車場:普35台収納能
公式サイト http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html

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福島の名城②二本松城

福島おすすめお城巡り観光、次にご紹介する福島の名城は「二本松城」です。二本松城は福島県二本松市にあります。現在天守閣などの建物はありませんが、堅固な城と称された石垣が復元され残っています

二本松城も戊辰戦争の際、激戦地となり、二本松の戦いの際に建物のほとんどが焼失しました。二本松城址は霞が城公園となり、春の桜と秋の菊人形まつりが有名です。桜は日本さくら名所100選に選ばれています。

二本松城建立の背景・歴史

二本松城の歴史の始まりは、室町時代です。幕府から畠山高国が奥州探題に任ぜられ、地名を二本松と改め居を構え、畠山氏7代目が二本松城を築きました。戦国時代には伊達政宗から何度も攻められ、持ちこたえますが遂に二本松城は開城し、伊達政宗の手に落ちます

しかし、豊臣秀吉の奥州仕置きにより、岩出山城に移動させらます。この後、蒲生氏、上杉景勝と城主を替え、江戸時代には本山氏、加藤氏、そして明治維新まで丹羽氏が城主となります。丹羽光重は白の大改修を行い、本丸の石垣、三重の天守が築かれました。

別名霞ヶ城・白旗城とも呼ばれる

福島の名城二本松城は、白旗城の別名でも呼ばれます。二本松市街の北側にある、標高334.2mの「白旗が峰」に築かれたお城だからです。また、1643年に、丹羽光重が初代藩主となった頃から、霞ヶ城とも呼ばれるようになりました。

美しい高石垣に注目!

二本松城本丸石垣は、崩壊寸前の状態だったそうですが、平成2年からの発掘調査で全貌が判明し、迫力ある高石垣として復元されました。日の本一の石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」による石積みだそうです。穴太衆は安土桃山時代に活躍した石工集団です。

石垣の内部には別蒲生氏時代の慶長初期に築かれた古い石垣遺構が埋まっていて、埋め戻して保存してあります。石垣の上は天守台になっていて、晴れた日には安達太良連峰の眺望が大変美しい、おすすめの観光スポットです

日本三大井戸の一つ「日影の井戸」も!

二本松城には、戦国畠山氏時代からあるとされる「日陰の井戸」があります。千葉県印西市の「月影の井」、神奈川県鎌倉市の「星の井」と並び、日本三大井戸の一つです。昔地元では「底なし井戸」と呼ばれていました。

日影の井戸の水量は豊富で、かつて内部は霧が降るような湧水量だったそうです。日陰の井戸は、城の暮らしを支えつ城の歴史をずっと見守って来ました。

入口に二本松少年隊の碑が

二本松城の入り口に二本松少年隊の碑があります。戊辰戦争の際の少年部隊は、会津若松の白虎隊が有名ですが、二本松にはもっと幼い12歳からの子供もいた少年隊がありました。戊辰戦争の際、二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦いました。

藩の兵士の大半が白河口に出向いてしまい、手薄になっている隙をつき、新政府軍が二本松城下に殺到します。二本松城は僅か1日の戦闘において落城してしまいますが、この戦いの際に少年隊も参加し、けなげに戦いますが、幼い命は鉄砲の露と消えていきました

二本松城の詳細情報

住所 〒964-0904 福島県二本松市郭内3丁目、4丁目
電話番号 0243-23-1111
開城時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
定休日 毎週月曜日、年末年始
料金 大人100円 高校生50円 小中学生30円
アクセス JR東北本線 二本松駅から徒歩20分。
駐車場 有り 無料
公式サイト http://www.nihonmatsu-ed.jp/nihonmatsujyou/index.html

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福島の名城③白河小峰城

次にご紹介する福島の名城は「白河小峰城」です。福島県白河市の、阿武隈川と谷津田川の間にある、小峰ヶ岡という丘陵に位置します。珍しい総石垣造りのお城で「東北の石垣造り三名城」のひとつに数えられています。盛岡城、会津若松城が他のふたつです。

白河小峰城建立の背景・歴史

白河小峰城の歴史は、南北朝時代に結城親朝が小峰ヶ岡に築城したのが始まりです。豊臣秀吉の奥州仕置により会津領となり、蒲生氏、上杉氏、などが支配しましたが、丹羽長重が移封し、幕命で城郭の大改築に着手しました。

その後数々の城主の交代を経て、白河藩は幕領となり二本松藩丹羽氏が預かります。戊辰戦争で、白河小峰城は奥羽越列藩同盟軍と新政府軍とが激戦を繰り広げ、白河口の戦いで城郭のほとんどを焼失し落城しました。

焼失後平成3年に復元

福島県白川小峰城の天守閣は、一国一城令のため建てられず、天守閣の代用として御三階櫓が建てられました。天守閣は幕末の戊辰戦争、白河口の戦いで焼失してしまいます。現在の三重櫓は平成3年(1991年)に復元されました

復元された三重櫓に入場可能!

白河小峰城の御三階櫓へは、入場が可能となっています。この三重櫓は、数少ない木造復元天守の1つです。木材は、戊辰戦争の激戦地となった場所、松並稲荷山の杉を使って復元をしたため、中の柱には、当時の銃弾による傷を確認することが出来ます。

一部円形に積まれた石垣

白河小峰城のみどころのひとつに石垣があります。この石垣は一部に「同心半円型落とし積みの石垣」という積み方で丸く石が積まれている部分があります。石垣の崩壊を防ぐための積み方だそうで、全国でも大変珍しいものです

この堅固な石垣も、東日本大震災の激しい揺れには勝てなかったようで、震災直後に崩壊してしまいました。しかし、2018年に修復工事が完了し、元の美しい姿に戻りました。

「おとめ桜」の伝説

小峰城大改修の際、本丸の石垣が何度となく崩れ落ちてしまいます。話し合いの結果、人柱を立てることになり、翌朝、最初に登城した者を人柱に選ぶと決まりました。そうとは知らず、父を尋ねて「おとめ」という娘がやってきました。

父の和知平左衛門は来るなと必死で手を振りますが、おとめは早く来いと合図されていると勘違いをし、捕らえられてしまい、人柱になってしまったといいます。後におとめを不憫に思い、石垣のそばに桜を植え、おとめの霊をなぐさめたという伝説です。

白河小峰城の詳細情報

住所 〒961-0074  福島県白河市郭内
開城時間 小峰城三重櫓 
4月~10月 9:30~17:00
11月~3月 9:30~16:009時30分から16時 
定休日 12月29日~1月3日
アクセス 東北本線 白河駅から徒歩で5分
東北自動車道 白河ICから車で20分
駐車場 有り 無料 110台
参考サイト https://www.jalan.net/kankou/spt_07205af2122023790/

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福島の名城④向羽黒山城

福島の名城巡り、おすすめの城、次は「向羽黒山城」です。向羽黒山城は福島県大沼郡会津美里町にあった山城です。東の阿賀川や崖など、自然の地形を利用している他、土塁や堀など、人工の防御施設がいたるところに造られています

向羽黒山城建立の背景・歴史

向羽黒山城は、蘆名盛氏によって1561年に築城が開始され、1568年に完成しました。蘆名氏は、1589年に伊達政宗に敗れ滅亡します。政宗が豊臣秀吉の奥州仕置きで立ち退かされた後、蒲生氏郷が入城、上杉景勝が最後の砦としました。

上杉氏は籠城戦用に向羽黒山城を大幅に改修しましたが、上杉氏は1600年の関ヶ原の戦いで敗戦し、翌年それに伴い、向羽黒山城は廃城となりました。

東北最大規模の山城

向羽黒山城の大きさは東北随一を誇ります。平成13年、国の史跡指定となりました。上杉景勝・兼続は、向羽黒山城を徳川家康と戦うための、最後の砦として考えていたという説もあります。もし会津で東北の関ヶ原が行われていれば、最も重要な砦になったと言われます

空堀や石塁が今も残る

向羽黒山城跡には、現在でも複雑で巧妙に作られた堀や土塁が残されています。本丸・二の丸・三の丸跡のほか、御茶屋場跡等などもあり、大規模な山城であったことが分かります

向羽黒山城跡の詳細情報

住所 〒969-6133 福島県大沼郡会津美里町白鳳山公園
料金 無料
アクセス JR只見線 会津本郷駅から徒歩で20分
会津鉄道 南若松駅から車で15分
磐越道 会津若松ICから車で20分
JR会津若松駅からバスで35分
  有り 11台
参考サイト https://www.jalan.net/kankou/spt_07442af2170155242/

福島の名城⑤猪苗代城

福島の名城、おすすめのお城巡り、最後にご紹介するのは「猪苗代城」です。猪苗代城は別名亀ヶ城とも呼ばれ、会津若松鶴ヶ城の支城です。福島県耶麻郡猪苗代町にあります。現在は桜の名所として有名で、お城山公園と呼ばれ、地元の人々に愛されています。

猪苗代城建立の背景・歴史

猪苗代城の築城の歴史は定かではなく、奥州合戦によって会津を与えられた佐原氏の子孫が、猪苗代氏を名乗ってこの土地を治めていたので、その過程で築城されたといわれます。豊臣秀吉の奥州仕置で伊達氏と共に盛国も猪苗代を離れ、猪苗代氏の支配が終わりました。

戊辰戦争の際、薩長軍が会津領へ侵入すると、当時の城代であった高橋権大夫は猪苗代城を焼き払って会津若松へ逃げます。この際に岩出山城の建物は全て失われてしまいました

別名を「亀ヶ城」とも

猪苗代城は別名を「亀ヶ城」と言います。この名前の由来は諸説あるようです。お城の本丸を囲んでいる濠に亀が棲んでいて、浮かび上がって姿を見せるとお殿様が転封になってしまうという伝説から、亀ケ城と言われるようになったと言われる説があります。

他にも、お城の形が亀の形に似ているとか、お城が建っている地形が亀の形と似ているからなど、色々の説があるようです。亀ヶ城は会津若松の鶴ヶ城の支城です。鶴と亀で縁起が良いですね

所々に石垣が残る貴重な城跡

猪苗代城跡には、本丸、二の郭、帯郭、石垣、土塁、空堀などがが残っていて、保存状態が良い貴重な遺構です。大手口の石垣は、蒲生氏が得意とする穴太積(あのうづみ)という技法が用いられているので、蒲生氏が建築したと思われています。

野口英世が幼少期に遊んでいた

福島県猪苗代は野口英世の生誕地で有名です。野口英世が小さいころ、猪苗代城跡で友人たちと遊んでいたそうで、城跡にアメリカから寄贈された野口英世の像が建っています

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桜の時期がおすすめ!

戊辰戦争後、猪苗代城跡放置され、荒れた状態でしたが、明治38年に日露戦争の戦勝記念として桜を植えました。現在は桜の名所として有名になり、満開の頃には桜まつりも開かれ、ライトアップなども行われ賑わいます。

猪苗代城跡の詳細情報

住所 〒969-3123 福島県耶麻郡猪苗代町古城町
アクセス JR猪苗代駅から車で5分
駐車場 有り
参考サイト https://www.jalan.net/kankou/spt_07408af2170019565/

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城好きなら訪れるべき福島の名城!

福島には名城とうたわれる美しいお城が点在し、お城巡りには最適な場所です。お城にはそれぞれに歴史があり、人々の残した物語があります。石垣の前に立ち、空を見上げ、昔と変わらない風を感じる福島の旅にでかけてみましょう。

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この記事のライター
ORANGE77
旅行大好きです。特に博物館や神社仏閣巡りが好きです。歴女というほどではありませんが、日本史、世界史にとても興味があ...

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