千秋公園内にある「久保田城」は日本100名城!石垣や天守閣がない?

築城当時から石垣や天守閣がない久保田城。日本100名城に選ばれているのに石垣も天守閣もないのはどうして?と思われるかもしれませんが、それには理由がありました!県内にある城の中から最初に久保田城が選ばれた理由や見所をご紹介します!

千秋公園内にある「久保田城」は日本100名城!石垣や天守閣がない?のイメージ

目次

  1. 1千秋公園内にある久保田城とは
  2. 2久保田城の歴史
  3. 3久保田城の見所
  4. 4久保田城+千秋公園内のおすすめスポット
  5. 5久保田城の関連情報
  6. 6久保田城の歴史と千秋公園の自然を楽しもう

千秋公園内にある久保田城とは

日本全国にある城・城跡の中でも、日本100名城に選ばれた久保田城が秋田県の千秋公園内にあります。日本100名城と聞くと広く敷かれた石垣の上にどっしりと天守閣を構える姫路城や、星の様な形が印象的な五稜郭を思い浮かべるかもしれません。

秋田県内でもなぜ石垣も天守閣もない久保田城日本100名城に選ばれたのでしょうか?その理由と、この土地に久保田城を築いた藩主について迫ります!

久保田藩主佐竹氏の居城

久保田城は秋田県の日本海側、南北では秋田県の中心あたりの平野に位置しています。千秋公園(神明山)には久保田城の築城以前から城があったとされているので、土地を治める藩主が拠点とするために都合がよかったと考えられます。

関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利し、江戸幕府の開幕に伴い久保田藩(秋田藩)の藩主として減封・国替えの命を受けた水戸藩主・佐竹義宣が秋田の地へ入ります。佐竹義宣は豊臣秀吉の政権下では第8位の大名で、徳川・上杉・毛利・前田・島津と並び豊臣六大将と呼ばれていました。

しかし関ヶ原の戦いの際、豊臣と徳川のどちらにつくかで家中の意見がまとめられず、中立の立場をとったため徳川家康の政権下では減封となりました。20万石へ減封されたとはいえ、元々佐竹家は家禄54万石であったため家臣や家族も多く、赴任した出羽・湊城では増築も難しかったため新しく城を築く必要がありました。

そこで築城に専従する奉行として家臣から梶原政景と渋江政光を立て、現在の千秋公園となる場所(神明山)に築城を始めました。同時に城下町と羽州街道も敷いたようです。1603年5月から開始し、翌年8月頃に第一期築城として完成すると本拠を移しました。

日本100名城に選ばれる

日本100名城日本城郭協会が財団法人となって40周年の記念事業として文科省・文化庁の後援を得て企画され、城郭愛好家や専門家の選定を受け2006年2月に発表されました。日本城郭協会の掲げる目的は、日本の文化遺産の代表として地域の歴史的シンボルでもある城や城跡を多くの人に知ってもらい、地域文化の振興につなげることとしています。

さらに深く掘り下げると、青少年教育や生涯学習こどもたちの総合的な学習の場としても活用されることを念頭に置かれています。確かに観光として城や城跡を訪ねてみると、地元のボランティアガイドや小学生が観光客を対象として城に関してクイズや説明している様子を見ることがあります。

さらに日本100名城の選定とともにスタンプを集めるスタンプラリーが設定されたことは、多くの人が日本全国の城・城跡へ足を運ぶきっかけともなりました。もちろんスタンプの有無に関わらず、直接足を運んだことでわかるその地域の城・城跡の良さが体感できます。

久保田城スタンプ設置場所御隅櫓佐竹史料館になります。各城一種類のスタンプになりますが、47都道府県の各県、多ければ一県5種類のスタンプを集める事になります。スタンプ帳がスタンプで満たされてくるとかなりの達成感になりますね。

そして日本100名城の選定にあたり定められている規定は次の3点です。①優れた文化財・史跡であること。②著名な歴史の舞台であること。③時代・地域の代表であること。また各都道府県から1城以上、5城以内とされています。

さらに2017年、日本城郭協会の50周年記念事業として「続日本100名城」が新しく選定されたため、秋田県内に日本100名城としてさらに2城が追加されました。秋田県内で押せるスタンプも増えたということです。ぜひスタンプを集めるスタンプラリーに参加したくなりますね。

いずれにしても秋田県内で最初に日本100名城に選ばれた久保田城は、優れた文化財・史跡であり、著名な歴史の舞台となり、時代・地域の代表であるという基準のもと選ばれたということになります。では日本100名城に選ばれた久保田城を舞台として、江戸時代から明治時代、現代に至る歴史に迫ってみましょう!

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久保田城の歴史

ここまでで久保田城の藩主が佐竹氏であること、現代の日本100名城に数えられるおおまかな理由がわかりました。ここからは歴史の移り変わりと合わせて、久保田城の移り変わりに迫っていきます!

江戸時代

江戸時代に入り久保田藩(秋田藩)主・佐竹義宣により久保田城築城と城下町が整備されました。同時に徳川家康が推進していた主要道の整備も行っています。現在千秋公園がある神明山に築城が開始され、約1年後に藩主の生活空間として本丸が完成しています。

すでにこの当時から幕府への配慮のため久保田城には防御要塞のような石垣や天守閣は築かれませんでした。(その理由については後ほど)そして久保田城が藩主の住まいとされた1604年から1630年頃の期間中、継続てきに城下町と城下の主要道の整備が進められました。

しかし2代藩主・佐竹義隆の時代に本丸を焼失してしまいます。数年の後に修復されますが、その後も城内の門や御殿、書院などが延焼に見舞われる事となり、8代藩主・佐竹義敦の時代にも本丸が全焼する火事に見舞われています。

江戸時代の久保田城では火事による焼失と修復を繰り返していました。ただ江戸時代末期頃には城下町は十分に整備され、久保田藩(秋田藩)の拠点として盤石なものとなっていました。

明治時代

時代が江戸から明治へと変わる頃に戊辰戦争が勃発しました。この時、久保田藩(秋田藩)は新政府軍を支持したため、同盟関係にあった庄内藩・盛岡藩と敵対することになります。

後に秋田戦争と呼ばれるように、領内の大半が戦場となり城下12kmのところまで迫られるというひっ迫した状況に陥りますが、米沢藩の降伏により庄内藩が撤退したことで、久保田城は戦禍を免れることとなりました。

その後、版籍奉還に伴い久保田藩庁の敷地となっている久保田城は後の陸軍省の管轄とされ、藩庁は家臣の邸宅地へ移されることとなります。この頃には最後の久保田藩主・佐竹義堯(さたけよしたか)が藩知事として責務を果たしていました。

そして廃藩置県により久保田藩(秋田藩)が秋田県となり、本丸に開庁された秋田県庁は旧明徳館へ移転となりました。江戸時代から明治時代へと移り変わり、久保田藩(秋田藩)から秋田県へと地政体系も大きく変わりました。

明治時代の終わり頃には久保田城跡地は陸軍省から佐竹氏へ払い下げられましたが、残念ながらこの時には明治の大火で城内の建物はほぼ焼失し、御物頭御番所(おものがしらおばんしょ)しか残っていませんでした。

現代

明治時代の終わり頃に陸軍省から佐竹氏へ城跡が払い下げられた後、秋田市が本丸と二の丸を借り受けて公園としました。さらに旧藩士によって桜の苗木が1170株が寄付され、桜の名所としても知られる現在の千秋公園の基礎となります。

その後も大正、昭和時代にかけて城下町にある神社が公園内に移転していきます。そして平成の時代になり、千秋公園として整備された久保田城跡地に現在の御隅櫓、本丸表門が復元されました。

久保田城は江戸時代の築城から、激動する歴史の移り変わりを経て、焼失と修復を繰り返しながら明治時代に至るまで藩政・市政の第一線の舞台となりました。

久保田城の見所

ここまでは久保田城築城から焼失、復元に至る歴史の流れに迫りました。ここからはJR秋田駅からアクセスの良い、歴史を感じる散策コースとして久保田城の名残りを見所としてご紹介いたします!

見所①御物頭御番所

この御物頭御番所(おものがしらおばんしょ)久保田城内のニノ門の開閉と城下の警備、火災の消火を担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所です。この御物頭御番所唯一、久保田城内に残っている藩政時代からの建物です。

昭和末期に保存修理が行われ、久保田城の玄関口で保守にあたる警備員たちが待機していた当時の様子を知る貴重な建造物です。

見所②久保田城表門

現存する久保田城表門は文献資料や発掘調査の結果をもとに復元されたものです。本丸へ至る玄関口として重要な地点となるため、門の警備と管理をする「御番頭局(おばんがしらべや)」や侵入者の警戒にあたる「御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)」が置かれています。

この久保田城表門の構造は、木造2階建てで瓦葺きの櫓門として久保田城の正門に相応しい壮大な造りで、本丸へ向かう当時の人々の様子を垣間見る事ができます。

見所③御隅櫓

久保田城内には8つの御隅櫓ありましたが、現存しているものは市政100周年の記念事業として復元された御隅櫓となります。大きく櫓は2種類あり、城の囲いに沿って長屋となる多聞櫓と城の囲いのコーナー部分に建てられる御隅櫓とに分別されます。

櫓は全体として見張り場や武器庫としての役割を持っていました。復元されている久保田城にある御隅櫓は展望室や資料展示スペースとして利用されています。町並みは違いますが、この御隅櫓からは城主も眺めたであろう景色を見ることができます。

見所④佐竹義堯銅像

佐竹義堯(さたけよしたか)久保田藩最後の藩主として明治維新の激動期で活躍した人物です。その佐竹義堯の功績をしのび本丸跡に建立されたものです。表門をくぐり、御隅櫓へ向かう道順にあります。

銅像は太平洋戦争時に一時撤去されてしまいますが、佐竹家から寄贈され、市民の声により戦前のものと同じサイズで復元された経緯があります。こうした経緯から近代秋田に大きく貢献した人物であることが伺えます。

石垣や天守閣がない理由

久保田城の築城にあたり、石垣と天守閣を造らなかった事にはいくつかの理由が提示されています。ひとつには佐竹氏の以前の領地では石垣を用いない築城方式が一般だった事があります。

そのため家臣団に石垣づくりに精通した者がいなかったという説です。また他の理由として、減封されての築城のため財政難だったという点です。

さらに天守閣の主な用途は籠城用の設備であることです。徳川の時代に天守閣のある城を新しく建築することは、謀反の可能性を疑われてしまう理由がありました。

佐竹氏は関ヶ原の戦いの後、徳川家康へ謁見し参戦しなかった事を謝罪しています。そのため減封処分で済み外様大名として領地を持つ事も許されています。そうした背景もあり幕府への配慮が大きく働いたようです。

久保田城+千秋公園内のおすすめスポット

ここからは秋田駅周辺からアクセスしやすい千秋公園内のおすすめスポットとして、御朱印巡りやカフェ巡り好きにはたまらない場所をご紹介します!

おすすめ①八幡秋田神社

久保田城表門から近い八幡秋田神社は佐竹氏の氏神である八幡神社と佐竹義宣公をはじめ、佐竹義堯公ら代々の藩主を祀る秋田神社が合祀した神社です。八幡神社ならではの鳩形のおみくじや御朱印をいただくこともできます。

八幡秋田神社の詳細

所在地 秋田市千秋公園1−8
参拝時間 特記なし
御朱印 あり
HP http://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/tatsujin_etc/
kennsaku/akita/092_hachiman_akita.html
                                     

おすすめ②茶室宣庵

茶室宣庵は秋田市建都350周年記念事業として県内茶人有識者の厚意により建設された茶室です。茶室に設置された船形の手水鉢は、加藤清正が朝鮮から持ち帰り、大阪城内にあったものを石田三成により佐竹家へ贈られたものと伝えられています。

現在でも茶室としての利用が可能で、事前の申し込みが必要です。(申込みは秋田市公式サイトからできます)

茶室宣庵の詳細

所在地 秋田市千秋公園1
利用時間 午前9時から午後4時
(利用にあたり次前申込みが必要)
アクセス      JR秋田駅より徒歩約15分     
HP https://www.city.akita.lg.jp/kurashi/doro-koen/
1003685/1007159/1007283.html

おすすめ③松下茶寮

千秋公園内にあり、テイクアウト可能なカフェやバーが併設された複合施設。元は料亭だったところをリノベーションした建物で、木々に囲まれた開放的な空間が特別なくつろいだ時間を演出します。千秋公園内では比較的、駅や周辺駐車場からもアクセスの良い場所にあります。

週末は開店時間も1時間早いので、モーニングに訪れる人も多いようです。また施設内での喫茶はもちろん、テイクアウトコーヒーだけでもお値打ちありです。

松下茶寮の詳細

所在地 秋田市千秋公園公園1−3
営業時間 平日午前9時から午後3時 /土日 午前9時から午後3 
定休日 月曜日(12月から3月は冬季休業)
HP www.matsushita-akita.jp/                                         

久保田城の関連情報

ここまでで久保田城の見所をご紹介しました。実際に行きたくなってきませんか?ここからは魅力が詰まった千秋公園と久保田城へのアクセスや駐車場、その他情報についてのまとめとなります。

日本100名城スタンプ設置場所

 

久保田城御隅櫓 秋田県秋田市千秋公園1-39(千秋公園内)
時間 午前9時から午後4時半
(市立小中学校の夏季休業期間は午後7時まで)
休館 12月1日から3月31日(冬季)
市立佐竹史料館 秋田県秋田市千秋公園1-4(千秋公園内)
時間 午前9時から午後4時半まで
休館 12月29日から1月3日(その他休館あり)
HP www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1002685/index.html

久保田城へのアクセス

千秋公園内にある久保田城は最寄の駅から徒歩でも来れるアクセスの良さが自慢です。また公園周辺には駐車場も多いため、車でのアクセスも便利です。電車や車でのアクセス、近隣の駐車場情報をまとめています。

電車で行く

電車での久保田城へのアクセスはJR奥羽本線・秋田新幹線、各秋田駅を下車し西口より徒歩約15分ほどで辿り着きます。東京から秋田までは新幹線利用で約4時間ほどで到着できます。JR東日本HPhttps://www.jreast.co.jp/train/shinkan/akita.html

車で行く

久保田城への車でのアクセスは、秋田自動車道秋田中央ICより約20分。秋田中央道路(62号線)を西向きへ道なりに一本道で辿り着けます。また秋田空港からは秋田空港IC・秋田中央ICを経由し、約40分ほどでアクセスも良く久保田城へ辿り着けます。

JR秋田駅周辺や千秋公園周辺には駐車場も多いので、レンタカー等でのアクセスも便利です。また、秋田空港からはJR秋田駅を経由することになりますが、リムジンバスを利用して久保田城へアクセスできます。秋田交通HPhttps://www.akita-chuoukotsu.co.jp/index.html

駐車場情報

駐車場は千秋公園内の駐車場として有料ですが14台ほど駐車できます。その他、JR秋田駅から広小路(26号線)を久保田城へ向かい、千秋公園入口交差点付近久保田町交差点付近にも都度利用の駐車場としてコインパーキングが多くあります。下記リンク、JR秋田駅周辺の駐車場情報もお役立てください。

久保田城の基本情報

名称 久保田城(くぼたじょう)
番号 日本100名城 9
住所 秋田県秋田市千秋公園1−39
電話 018−066−2154
開館時間
(御隅櫓)
午前9時から午後4時半
 
観覧料
(御隅櫓)
一般100円(高校生以下無料)   
冬季12月1日から3月31日までは休館
休館日 12月1日から3月31日
HP
 
www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/
1002685/1009870/1002300.html

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久保田城の歴史と千秋公園の自然を楽しもう

季節の移ろいを存分に味わえる千秋公園。その中にある久保田城跡には、秋田市の近代化には無くてはならない歴史が多く秘められていました。江戸時代の築城から平成の復元まで、歴代藩主の居城としてだけではなく、城下に暮らす人々にとっては地元の大切なシンボルとして現在も存在しています。

さらに秋田県で最初に日本100名城のスタンプにもなった久保田城。秋田市を眺める高台にある御隅櫓からは暦代の城主たちも眺めたであろう景色を見ることができます。スタンプを集める時はぜひ眺めの良い御隅櫓まで上りたいものです。

久保田城を散策する時、先人たちの残した歴史の足跡を垣間見ることができます。四季を通して散策するのにうってつけの久保田城旅行の目的地にしてみるのはいかがでしょうか。

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MORISUK3
カメラとテント担いだ気持ちは旅人

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